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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(三十一)

「――すいません、いい大人がみっともないですよね。こんなんだから先輩に及びもしないんですよね――えっと、つまりこのプロジェクトはほとんど失敗しかかってたんです。それは確かに課長のせいもあるけど、僕も悪かったんです。自分の力を過信して上にしっかり状況を報告してこなかったんです。年が明けていよいよやばいって思って、ようやく課長に状況を報告したんです。そしたら課長、血相変えて俺はもう知らん、ぜんぶお前のせいだからなって怒鳴り散らして――その後です、課長が宮澤さんに任せたって言って逃げ出したのは。普通だったら、そんな状況になったら慌てますよね。なんだかんだ言っても先輩まだ二十四歳だったんですよ。でも先輩は違いました。先輩は課長がいなくなるとすぐにメンバーを全員集めてミーティングをしたんです。そして各班が何を担当して、どういう状況にあるのかってことを話し合いました。そしたら、うちの班だけじゃなくて二班も三班も予定から大幅に遅れてるってことが分かって、結局三月の納期には到底間に合いそうもないってことを始めてチーム全員が理解したんです――すごい沈鬱な空気でした。みんな下を向いて誰も発言しようとしませんでした。そしたら先輩がこう言い出しました。『みんな大変だったな。道理でみんな暗い顔してるなって思ったよ。井上、だいぶ痩せたんじゃないか。そんなことじゃ本当に倒れてしまうぞ。よしっ、状況はだいたい分かった。あんまりいい状況じゃないけど、まだ挽回できないわけじゃない。大丈夫だ、もう一回みんなで組み立てなおそう。とりあえず現状をスタートとして、最速の工程を各班で作ってみてくれ。それから先方のリクエストでどうしても対処できないものを洗い出して欲しい。そしたら明日の朝イチにもう一回集まって状況の分析をしよう。俺はこれからクライアントのところに行ってくる。一応、統括マネージャーが代わったんだから挨拶ぐらいしておかないとな。ついでに納期の延期が可能かどうかちょっと探ってくるよ』、先輩はそう言うと、すぐに出かけていきました。僕たちは班ごとに集まって工程の見直しと、絶対無理なリクエストを拾い出しました。そして翌朝、もう一度集まったんです」

 

沈鬱な雰囲気の会議

 

 井上の目はすでに乾いていた。その顔からはさきほどまでの屈辱にまみれた暗い影は消え去っていた。

「会議早々、各班から見直しした工程と作業上の課題が報告されました。どこの班も同じで、どんなに頑張っても今の人員体制では絶対間に合わない、少なくてもエンジニアをあと五人は増員しないとだめだって結論でした。そしたら先輩が『あの後、役所の担当者と会ってきたよ。やっぱりお役所だから、納期の延期って話を匂わせただけとんでもないみたいな感じで絶対に三月までに完成してもらわないと困るって言われちゃったよ。まあとりあえず納期の延期は無理だってことが分かっただけでも前進かな』そう言ってにっこり笑うんです。僕らはその話を聞いた途端、全員真っ青になってしまったのにですよ。そしたら先輩が言ったんです。『そういうことだから、三月の納期に間に合わせるためには人を増やすしかないってことになるよな。だから、さっき部長のところにいって人を回してもらえないか相談してきたんだ。案の定、いい顔されなくて、なんとか課内でやりくりしろって言われた。だから俺はこう言ったんだ。それじゃ、うちの課の人員の割振りを僕に任せてもらえますかって。そしたら部長、俺に全部任せるってさ』。僕たちは先輩が少し意地悪そうに笑うのを不思議に思いながら眺めてました。そして先輩は最後にこう言ったんです。『うちの課は現在この案件と俺が関わっている案件の二本立てで動いているけど、俺の方は予定より早く終わりそうで、一月末にはシステム間の突合までいきそうなんだ。後は結合テストとバグ取りくらいだから、エンジニアの数はそんなにはいらない。だから俺はそっちのメンバーをこっちに加えることに決めた。さっき作業チーフと話して、なんとか承諾してもらったよ。だからもう余計な心配はしなくていいから自分の仕事に集中して頑張ろう。ここから挽回して絶対いいもの作ってやろうぜ』って。僕たちは先輩の言葉を聞いた途端、腰が抜けたようになってしばらく言葉が出てきませんでした。でも段々に冗談や軽口が出始めて、そして最後には、みんなで頑張っていいもの作ろうって凄い盛り上がったんです。その時、僕は初めて先輩の本当の凄さが分かったんです。この人は仕事が早いとか頭がいいとか、そういうことが凄いんじゃない、この人は僕たちみたいな凡人も全部ひっくるめて一緒にゴールに導いてくれるから凄いんだ。僕たちみたいな人間が絶対にたどり着けないようなところに導いてくれるから凄いんだって」井上の上気したようなその顔には宮澤に対する尊崇の念すら漂っていた。

「結局、その後どうなったと思います。無事に納期に間に合わせることができましたよ。確かに残業は続いて大変だったけど、前とは違って誰一人文句も言わないし、みんなもの凄い前向きなんです。納品が終わった夜、大慰労会やったけど、あの時は本当に盛り上がったな。先輩、全員のところを回って、よくやった、よくやったって言ってくれて、女子なんかみんな泣き出しちゃう始末で。最後、先輩が涙ながらにみんなと仕事できて本当に良かったって言ってくれたとき、俺、この人のためならどんなことだってやってやるって誓ったんです」そこまで言うと、井上の顔がまたしても赤みを帯びてきた。

「それがですよ、ツァラトゥストラだかなんだか知らないけど、そんなくだらないやつのために先輩が不当に貶められているんですよ。僕は絶対に許せないんです。先輩の命を奪っただけでも飽き足らないのに、その上先輩の顔に泥を塗る犯人が絶対に許せないんです。そして先輩の爪カスほどの価値もないくせに、ありもしないことをべらべらしゃべってる奴らが勘弁ならないんです!」井上は握り拳を震わせながら、怒鳴り散らした。

「お話はよく分かりました。我々も一刻も早く事件を解決し、宮澤さんの無念を晴らしたいと思っています」桜はなだめるようにそう言うと改めて井上に尋ねた。

「井上さん、宮澤さんがなくなる直前、何か変わったことはありませんでしたか。どんなことでもいいんです。何かありませんか?」

 井上は必死に考え込むようにしていたが、諦めたように頭を振った。

「いや、何も思い当たりません。仕事は大変そうだったけど、やることはしっかりやっていたし、変わったことはなにも……そうだ、歓送迎会のときはちょっと様子が変でしたけど」

「歓送迎会?」桜が怪訝そうに聞き返した。

「ええ、部の歓送迎会があったんですけど、先輩ずっとそわそわしてて表情も真っ青で、あれは確かにちょっと変だったな」

「詳しく教えてくれますか?」

「僕らの会社、四月の頭はちょうど年度切替えの時期で、クライアントのシステム更新作業で忙しいから、いつも四月の末に歓送迎会するんですけど、先輩なんだか最初からそわそわしてるっていうか落ち着きがないっていうか。何度も席立って、しばらくすると帰ってくるんですけど、すぐにまた立ち上がっていなくなるんです。料理にも一切手をつけないし、顔色は悪いし。席が隣だったから、大丈夫ですかって聞いたんです。そしたら『俺ちょっと用事ができたら帰る』って言ったかと思うと、逃げるように会場を出て行っちゃったんです」

「その会で何か特別なことはなかったですか」

「そうですねえ――まあ、うちの課は四月から増員になったんで、今回は六本木にできた新しいレストラン貸切って盛大にやろうってことにしたんですけど、だからと言って別に変なことは」

「その日は最初から様子がおかしかったんですか」

「いや、仕事中は普通だったんですけど……そう言えば、電車に乗ったあたりからなんだか顔色が悪かったような気がします」

「何か思い当たる節はありませんでしたか? 誰かに会ったとか、携帯が鳴ったとか見てたとか」

「よく覚えてないな……けど、携帯は見てたんじゃないですかね。僕だって見てたし」

「そうですか……ちなみに次に宮澤さんに会ったのは、翌週の月曜日ですか?」

「そうです。でも先輩、月曜日は普通に仕事してましたし。だからやっぱり具合が悪かっただけだったんだろうって思って、そのまま忘れてました」

「宮澤さんの様子がおかしかったのはその時だけですか?」

「それくらいしか思いつきません。逆に最近はすごいエネルギッシュっていうか、すごいペースで仕事してましたし――でも実際、あのくらいのペースで仕事しないと、やりとおせないくらい今年の先輩の業務量は多かったですけどね。残業もだいぶしてたようだし――僕だったら、とっくにつぶれてますよ」

「そんなに忙しかったんですか」

「ええ、さっきの一件もあって、先輩は四月から課長補佐に抜擢されたんですよ。つまり黒田課長のお守りまでする羽目になったってことです。あの課長、仕事はぜんぶ部下にふるくせに上司にはさも自分一人でやりきったみたいに言う人ですからね。ま、そんなことは部長も分かってますから、今では課長をすっ飛ばして全部先輩に指示してくるんです。僕らだって、仕事のトラブルや相談事はぜんぶ先輩にしますし、加えて新しく入る新人の世話まですることになったんですから、そりゃ大変ですよ」井上は同情するように言った。

「入社三年目で課長補佐に昇格ですか――凄いですね」桜が感嘆したように言うと、井上はまるで自分に向けられた賛辞であるかのように胸をそらした。

「だから言ったでしょう。先輩はレベルが違うって。あんな人はそうそういませんよ」

 それまで黙って話を聞いていた浩平が突然口を挟んだ。

「会社の中で宮澤さんと特に仲が良い人で思いあたる人はいませんか。個人的な相談もできるような」

 井上はその質問を聞くとさらに胸を張って得意げに言った。

「こんなことを言うのはおこがましいですが、会社の中で先輩のことを一番理解しているのは僕だと思いますよ。他の連中は先輩の凄さなんか全然分かっちゃいませんよ」

「それじゃ、電話やメールのやり取りなんかも頻繁にしてたんでしょうね?」

 井上の表情に初めて戸惑いらしきものが生まれた。

「……そりゃ、たまにはしますけど、僕らはいつも会社で会ってますからね」

「なるほど、ちなみに八月二十四日は宮澤さんに連絡されました?」困惑気味の井上に連打を浴びせるように浩平は質問を続けた。

「……いや、何も」

「井上さん、携帯電話を拝見させてもらえませんかね。宮澤さんとのやり取りを確認したいんで」浩平は初めとは全然違う厳めしい態度で言った。井上はだいぶ戸惑っていたが、浩平の気迫に恐れをなしたのかSNSの履歴を二人に見せた。そこには仕事のトラブルや課長に対する愚痴などが延々と書き連ねてあったが、ほぼ全て井上が宮澤に送ったもので、宮澤はそれら一つ一つにアドバイスを送り解決策や気持ちの持ち方などを懇切に教え諭していた。最後の通信は八月二十二日となっており、宮澤の最後のメッセージには『大丈夫、お前ならきっとできる』と書かれていた。

 浩平はそれを一通り見終わると「ちなみに八月二十四日の夜はどこに」と井上に尋ねた。

「……これって、アリバイ確認ですか?」井上は小さく言った。

「そうです」

「……あの、その日は確か友達と遊んでいました」井上は最初の勇ましさはとは打って変わって委縮したように小さな声で答えた。

 桜と浩平は井上と別れ喫茶店を後にしたが謎は深まるばかりだった。強いリーダーシップを持ち、上司や部下たちから絶大な信頼を勝ち得ていた宮澤拓己が、到底『死の説教者』と揶揄されるような人物ではないことは確かなようであった。

 加えて浩平の頭の中では宮澤と上條の姿がオーバーラップし始めていた。性格や外見は異なるが、どちらも人を魅了する強烈なカリスマを有し、揺らぐことのない確固たる信念を持っていた。浩平はこの事件の背後には宮澤と上條の二人が何らかの形で関わっていることは間違いないと感じはしたが、彼らがどう関わっているのかということになると皆目見当もつかなかった。事件発生から一か月、捜査は完全に行き詰っていた。

 

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