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【仏教をテーマにした和風ファンタジー小説】『鎮魂の唄』 ~国津神編~ 第九話 阿鼻叫喚の戦場

 その時はやってきた。北東の方角から急に闇が広がってきた。そして、奇怪な者どもの猛り狂うような叫び声が響いてきたと思ったら、ずしんずしんと何かものを叩くような振動が伝わってきた。国津神の軍勢が青龍寺に押し寄せていた。

 青龍寺の周囲には強力な結界が張られており、人外のものは中に入るどころか、触れることすらできなかった。しかし鬼どもは、我が身のことなど些かも斟酌することなく、結界にぶつかっていった。

 一瞬にして燃え上がってしまう妖、結界に触れたとたん手がどろどろに溶けている妖怪、全身が燃え上がる中、それでも結界に向けて突進していく鬼たち、その後ろにはカリマとアスラを従えた荒覇吐が大きな眼をさらに大きく見開いて、傲然と鎮座し、その様子をじっと見守っていた。

「――強力な結界が張られています」カリマが憂いを込めた顔で言った。

「――このままだと、配下のものたちの大半を失いかねますが、我等も加わりましょうか」アスラが荒覇吐の顔色を伺うように言った。

「無用!」荒覇吐は断固として言った。

「あのものどものもまた、自らの信ずる道に従って、己の命を捧げている。自分の力では到底、敵わぬと知りつつ、それでも毛ほどの傷を与えんと、焼かれることを承知でその身をぶつけているのだ。あのものどもは仏から見れば塵芥の類かもしれん。だがあのものどもとて矜持をもっている。その誇りを奪うことは誰であろうと許されん。我等が立ち上がるのはあのものども全てが己の力を出し尽くしたときのみだ!」

 鬼や妖どもがその身を焼かれながら死んでいくのを荒覇吐はみじろぎもせず、ただひたすら見守っていた。その体はかすかに揺れ、その眼には真っ赤な血涙があふれていた。

 ひときわ大きな赤鬼と青鬼が現れた。その赤鬼と青鬼は多くのものたちが我が身を犠牲にしてなんとかへこませた箇所に突進し、その身をぶつけた。

「うおおおおおおお!」

「うわああああああ!」

 赤鬼と青鬼は一瞬にして炎に包まれた。だが二人の鬼は、さらにその体を結界にめり込ませた。その赤と青の肌は炎に焼かれ、皮膚はめくれ、黒く炭化しはじめていた。だがその鬼たちも決してひるむことをしなかった。

「我等が誇りを見せてやる!」

「仏に一矢報いるまでは死ねん!」

 一歩一歩、鬼たちは進んで言った。二人の鬼の後ろに他の鬼たちが集まって一斉にその体を押した。それらの鬼たちも結界に触れるごとに、あるものは瞬時に燃え上がり、あるものは一瞬で溶け去ったが、次から次へと仲間の死骸を踏み越え、そこに突進していった。

 強固に張られた結界であったが、鬼どもの必死の攻勢により、バリッ、バリッと巨大な音が鳴り始めた。それはまるで大気と大気がこすれ、ねじれ、ぶつかり合うがごとくであった。そんな中を二人の鬼は最後の力を振り絞って、歩を進めていった。

「おおおおおおおお!」二人の鬼が天に向かって獣のように吠えた。

 その瞬間、轟音が響きわたり、稲妻のごとき光が二人の体を貫いた。二人の鬼たちはもはやどちらが赤鬼か青鬼か見分けることもできなかった。どちらも黒く焼け焦げ、既に息絶えていた。だが決して倒れることなく、仁王像のように大地を踏みしめて、そびえ立っていた。そしてその二人の鬼の屍の間にぽっかりと穴が開いていた。鬼たちはついに青龍寺に張られた鉄壁の結界を打ち破った。

 

 三蔵たちは青龍寺の庭から北東の一画を見やっていた。そこから黒々としたものが広がり、国津神の軍勢が総力をもって、この寺に攻め込んでいるのがわかった。耳をつんざくような悲鳴や怒声が森に響きわたった。轟音が鳴り響き、雷光のような光が青龍寺を照らした。ある一点が物凄い力で押し込まれているのが見えた。その周囲の空間がゆがんでいた。そして大きな叫び声とともに穴が開いた。鬼どもがその穴から続々と入ってきた。

「いくぞ、スサノオ、阿弖流為!」それを見た三蔵が大声で叫んだ。

 青龍寺の境内に入った鬼たちは中を見渡し、縁側に立っている三蔵目掛けて襲い掛かってきた。だが鬼たちは走り出す間もなく、横から稲妻のように駆けてきたスサノオに喉を切り裂かれ、手をもぎ取られた。スサノオは庭を疾駆し、鬼や妖どもを一瞬にして打ち倒していった。緑色をした大きな鬼が穴から這い出てきた。スサノオはその鬼の喉笛目掛けて飛び掛かった。そのまま倒れるかと思ったが、その鬼はなんと喉を噛まれたままスサノオを抱きすくめて、かすれるような声で叫んだ。

「この犬もろとも我を突き殺せ!」

 槍をもった何人かの鬼が一斉に鬼の前に並び、わあああという咆哮とともに槍を繰り出した。だが槍を突き出した鬼たちは自分たちの視界がずるりと崩れ落ちるのを感じた。風雷のごとく現れた阿弖流為によって、鬼たちの首は一瞬にして切り落とされていた。阿弖流為はすかさず、スサノオを抱えた鬼に飛び掛かり、一閃のもとに首を切り落とした。鬼の大きな体が物言わぬ大木のように地面に倒れた。

「危うかったぞ!」阿弖流為は鬼の手から抜け出したスサノオに声を掛けた。

「ちと調子に乗りすぎた。だがこの鬼ども油断ならん。並々ならぬ覚悟を感じる」

「彼奴等も死を賭して、この場に来たようだな、スサノオ、ゆめ油断するなよ」

「ああ、阿弖流為、お前もな!」

 そうして、二人は、絶えることなく入ってくる鬼たちに立ち向かっていった。

 

阿鼻叫喚の戦場

 

 三蔵は縁側に立ち、不動明王の真言を唱えていた。三蔵の唱える真言が空気を震わせ、波のように広がっていった。それと同時に三蔵の体が光り始めた。背後から炎が立ち上がり、姿が変わっていった。髪はそそりたち、手には鋭い剣と悪を縛り上げる羂索を持っていた。炎を背負ったその姿はまさしく、不動明王そのものであった。不動明王は三蔵の体から離れると一歩前に踏み出した。そして、三蔵の唱える真言を心地よさげに聞きながら周囲を睥睨した。目の前の鬼たちは憤怒の顔をした不動明王を見ると一瞬ひるんだが、それでもときの声をあげて一斉に飛び掛かってきた。

 不動明王はそんな鬼どもを怒りの形相で眺めると羂索を投げつけた。羂索はまるで生き物のように空を走り、鬼どもを絡めとった。そして絡めとられた鬼どもは悉く一瞬のうちに焼き尽くされた。だが鬼たちはひるまなかった。いくら倒されても次々に向かって言った。鬼たちの呻きや叫び声が充満するその世界は、まさに阿鼻叫喚の地獄さながらであった。だが三蔵たちは決して容赦しなかった。鬼の目玉に剣を突き刺した。鬼の体の一物も残すことなく焼き払った。それはまるで戦いもまた仏のつくる三千世界の実相の一つ、そして命を賭して戦ってこそ、仏の世界に辿り着ける、そう教えているようでもあった。

 さしもの鬼たちも数が減じてきた。そして最後の一兵が阿弖流為の剣によって倒されると、ようやく庭は静かになった。スサノオと阿弖流為も疲弊していた。いったい何百という鬼に対したであろうか。二人の体も血まみれなっていたが、必ずしもそれは帰り血ばかりではなかった。至る所に傷を負っていた。二人は息を整えて、ぽっかりと穴があいた結界を見つめた。これで終わりではないことは十分に承知していた。真の戦いはまさにこれから始まる。そしてそのとおりに穴からカリマがゆっくりと現れ出でた。その後ろから同じような背丈のアスラが現れた。最後にカリマとアスラを従えるように巨大な鬼が現れた。それこそ蝦夷を総べる国津神の首領、荒覇吐であった。

 青龍寺の庭に立った荒覇吐は辺りを見渡した。そこには荒覇吐のために死んでいった鬼たちの死体がごろごろと転がっていた。無念の形相で目を見開いて死んでいる鬼、首がなく胴体だけとなった鬼、全身が焼けてもはや消炭と化した鬼、どろどろに溶けて原型もとどめていない妖たち、荒覇吐は割れんばかりに目を見開き、それをじっと見やると目の前に並ぶ三人の男たちを睨みつけた。

「……貴様が本山からきた三蔵とかぬかす坊主か、そして隣にいるのは蝦夷の勇者であった阿弖流為、そして……スサノオか」荒覇吐が地鳴りのような声で言った。

 「阿弖流為よ、スサノオよ、なぜに貴様らはその坊主に与する! お前らが大和にどんな仕打ちを受けたか忘れたわけでもあるまい。いったい、なぜだ!」

「――荒覇吐よ、我は大和に与したわけではない。我らはこの三蔵と言う男に惚れたのだ、この男が目指す理想をともに為さんがために、この命を懸けているのだ。その理想とは決して、お前の想いに反するものではない! 荒覇吐よ、お前の想いが分からぬ我らであると思うか、蝦夷の民を愛さぬ我らであると思うか!」一歩前に出たスサノオが切々と説いた。

「貴様らが容赦なく殺戮したこの鬼たちの前で、よくもぬけぬけとそんなことが言える――我は貴様らを決して許さぬ、このものどものためにも許すわけにはいかぬ。もはや問答は無用だ! 積年の恨み、今こそはらしてくれるわ」

 荒覇吐の言葉に合わせるようにカリマとアスラがずいと前に出た。

「……三蔵よ、荒覇吐は俺に任せろ」スサノオは荒覇吐を睨みつけながら三蔵に言った。三蔵はスサノオを横目で見て小さく、死ぬなよとつぶやくと、今度は阿弖流為を向いて叫んだ。

「阿弖流為よ、あのカリマという四本腕の鬼はお前に任せていいか」

「大将はお前だ、いいかなどと言わず、任せたでいい!」阿弖流為は、不敵な笑みを浮かべて叫んだ。

「では阿弖流為、カリマは任せたぞ。決して、死んではならんぞ!」

「おう!」そう言うと、阿弖流為はカリマに躍りかかっていった。

 

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