マナハイムを出て、ちょうど十日。リュウたちは、ようやく北の国境の街メキドにたどり着いた。
そこは思ったより荒れた感じはなかったが、人通りは少なく、大人とも言えぬリュウたちが旅姿で歩いてくるのを見ると、いかにも怪訝そうな目でその姿を追いかけた。国境の街ということで、なんとも人相の悪いものたちも所々にたむろしていたが、そいつらはじろじろとリオラを見て、いやらしい視線を送ったり、リュウが差している剣を物欲しそうな顔で見つめていた。だが、不思議とリュウたちに絡んでくるものは誰もいなかった。それほどにリュウの歩く様は威風に満ちていた。リュウは自分たちを値踏みする男たちの視線を柳に風と受け流しながらも、もし一歩でも近づこうものなら、ただではすまさぬとばかりの威圧を全身から放っていた。
十分も歩くと、街の中央と思われる少し開けた広場に行き着いた。一角には小さいながらも市がたっており、この街の住人たちで賑わっていた。
リュウはとりあえず、周りに人気がない木陰の傍に行き、これからどうするか考え始めた。リュウがこの街に関係しているとすると、少なくてもウルクの精神病院の前のことになる、すなわち、あのウルクの郊外で起こった虐殺事件の以前のこと、あの事件はリュウが九歳の時であったらしい。リュウは今年一六歳になる、ということは、リュウがメキドと関係しているとすれば少なくても七年以上前のことになる。
その当時のことをよく知る人物を探さなくてはならない。それにはしばらく時間がかかるだろう。そのためにはまずは安全な宿を探す必要がある。安全な宿を探そうと思ったら、街の人に聞くのが一番であることをリュウは知っていたが、自分が口下手であることと、リオラを人の輪の中に連れていきたくないという思いが頭を過り、しばし逡巡していた。
すると、そんなリュウの想いを察したかのように、
「リュウさん、僕、ちょっと街の人に聞いてきますね」と言って、レオンがすたすたと市場の方に歩いていった。
リュウはレオンの感の良さに驚きつつも、少し心配そうにレオンを見守っていたが、意外にもレオンは輪の中に溶け込むや、すぐに取り囲む男や女たちと談笑し始め、終いにはなんと抱えきれないくらいにオレンジを持たせられて戻ってきた。
「おいレオン、なんだそのオレンジは?」リュウが驚きながら言った。
「いや、なんでもオレンジがこの街の特産らしくて、美味いから食ってみろとこんなにいただいてしまいました」レオンはそう言うと、手に抱えたオレンジを大事そうに地面に置いた。
「確かにこのオレンジ、とっても美味しそうね。ねえ、せっかくだから、食べてみましょうよ」オレンジを手に取ったリオラがそう言った。
確かにちょうど旬と見えて、パンパンに膨らみ色づいたオレンジから、甘みを含んだ瑞々しい香りが漂ってきた。
小腹がすいてきたこともあり、それじゃとみんなで木陰に座り、オレンジを手に取って食べ始めたが、確かにそのオレンジはなんとも言えぬ甘みがあり、とても美味しかった。一つ食べると、ついつい次に手が出て、リュウが五つ目に手を出そうとすると、リオラが笑いながら言った。
「リュウ、あなただけ食べ過ぎよ。それにそんな風にパクパク食べちゃダメ。あなた昨日も私の作ったシチューをそんな風に食べてたでしょう。もっと、味わって食べなきゃだめよ」
「確かに、リュウさん、昨日も一人で半分くらい食べてましたもんね」レインハルトが笑いながら言った。
「うまいから手が出る。そういうもんだろ――まあ、分かったよ、これは後に残しておくか」
そう言って、リュウは手にしたオレンジを戻した。
「――しかし、レオン、お前、凄いな。いったい、どんな魔法を使ったんだ」
「大したことじゃないですよ。ただ正直にこのオレンジ美味しそうですねって言っただけです。そしたら、そうだろ、そうだろって、みんなが近寄ってきて。この街のことをたくさん教えてもらいました」
「レオン、それがあなたの素晴らしいところよ」リオラが朗らかな笑みを浮かべて言った。
「それを言うなら、リオラさんの方が凄いですよ。今じゃ、私なんかより、ルークさんの近所の人たちや患者さんたちに慕われてますし、おそらく、今頃、まちの人たちは、あなたの姿が見えないって寂しい思いをしていると思いますよ」
「そうかしら?」
「そうですよ。まったく、あなたって人は、自分がどんなに素晴らしい力を持っているかってことに、全然気づいてないんですからね」レオンは不思議そうな面持ちのリオラをみて微笑んだ。
「確かに、リオラは、こんな俺まで生まれ変わらせちまったからな。俺は神なんて信じねえが、もし神がいるとしたら、お前みたいな奴だったらいいなとは思うぜ」
「リュウがそんなことを言うなんてね。じゃあ、私はあなたの神様になるから、私の言うことはちゃんと聞きなさいよ」
「分かった、分かった、お前の言うことには逆らわねえよ」
「レオン、聞いた。リュウはこれから私の言うことをちゃんと聞くって。あなたは証人だから、絶対忘れないでね」
「リュウさん、これは誓いですからね。あなたがいつも言ってるとおり、自分がした行いには責任を持ってくださいね」
「まったく、お前らと一緒にいると、この先、がんじがらめにさせられそうだぜ」
うめくように頭を振るリュウを見て、リオラとレオンが笑った。
「――ところでレオン、どこかいい宿屋はあったか?」
「街の人がいうことには、この街の宿屋には泊まらない方がいいって言ってます。どこの宿屋も国境越えの旅人用で、法外な値段を取る割に、ベッドも汚いし、食事は食えたものじゃないって」
「そうか、まあ、そんな気がしたけど、ただ、それだとねぐらをどうするかだが、困っちまったな」
「街の人が言うには、数日のことならあそこにある教会に泊めてもらえって、教会のフィリップ神父はとても良い人で、街の人も困ったときは必ずフィリップ神父に言って相談するそうですから、その方に聞けば、この街の過去のことに関する手がかりも得られるんじゃないかと思います」
リュウはレオンの言葉を聞くと、目の前に立つ古びた教会を見上げた。
よく見ると、古びてはいるが、建物の脇にある花壇はよく手入れされていると見えて、色とりどりの花々が美しく咲き誇っていた。
教会に入ると、何人かが祈りを捧げていた。
リオラとレオンも当たり前のように椅子に腰かけると、祈りを捧げ始めた。
その様子をリュウは不思議な思いで見守っていたが、すると祈りを捧げ終わったと見える老女が軽く頭を下げながらリュウの脇を通り過ぎようとした。
リュウは瞬間ためらったが、意を決してその老女に話しかけた。
「……あの、すいません……この教会にフィリップ神父という方がいると聞いたんですが……」
どうにもたどたどしい物言いだったが、老女はにこやかに微笑み、
「フィリップ神父は、奥の執務室にいらっしゃると思いますよ。フィリップ神父に御用があるのですね。では私と一緒にまいりましょう。どうぞ、こちらへ」とそう言って、リュウを促した。
リュウは思わず頭を下げて、老女の後についていったが、そのやりとりを耳で聞いていたと見えて、リオラとレオンがくすっと笑い合いながら、リュウの後を追いかけた。
奥と言っても祭壇の脇にある通路を通ると、すぐにドアがあるだけで、老女はそのドアをとんとんと叩くと、中にいる人に声をかけた。
「神父様、入ってもよろしいでしょうか」
「空いていますよ、どうぞお入りなさい」
中から、物静かだが優し気な声が聞こえた。
老女はドアを開けて中に入ると、深々と頭を下げた。
「神父様、あなた様に御用のあるという方がお見えになりましたので、ご案内いたしました」
老女はそう言うと、リュウ達を中に招き入れて、そのまま立ち去ろうとした。リュウは思わず、老女に向かって、ありがとうございましたと頭を下げた。老女はそんなリュウに優しく微笑みながら、そのまま立ち去っていった。神父もそのやり取りを微笑ましく眺めていたが、さあ中へと言って、改めてリュウたちを招き入れた。
「どうやら、遠方からわざわざお見えになったようですが、私に何か御用がおありでしょうか」
目の前の神父は、後で聞いたら四十五歳ということであったが、そんな年にはまるで見えないくらい若々しい神父であった。しかし、その若々しさには似ず、物腰はとても柔らかく、その面持ちは慈愛に満ち、メキドの人々が困ったときにはこの必ずこの神父に相談するという理由が分かる気がした。
そんなフィリップ神父に勧められて椅子に座ったリュウだったが、どう話したらよいか分からず、助けを求めるようにレオンに目を向けたが、レオンは軽く頭を振って、リュウから話すように促した。リュウははたと困ってしまったが、目の前のフィリップ神父の穏やかな顔を見て、ようやく決心すると、
「――あの、実は、少し面倒な話なんですか……」
と話を切り出し、自分たちの名前や、自分に幼少の頃の記憶がないこと、かつて病院にいたときにメキドという言葉をもらしたこと、自分が十六年前に生まれたこと、自分の生まれたいきさつを知りたいなどということをたどたどしい口調でなんとか伝えた。
神父はその間、一言も言葉をさしはさまず、真剣にその言葉を聞いていたが、リュウが言い終わると、軽く微笑みを浮かべた。
「あなたの仰ること、あなたが望んでいることはよく分かりました。ただ残念ですが、私は十二年前にここに赴任してきましたが、今のあなたの話に関係するような話は聞いたことがありません。おそらく、私が赴任する前にあったことなのでしょう。だが、御安心なさい。私はこれまでたくさんの方と知り合いになりましたので、あなたたちの知りたいことを知っていそうな方を紹介できることはできます。ただ、その方は今風邪を引いて体調をくずしてらっしゃるので、その方の体調が戻るまで、数日の間、しばらくお待ちになっていただけませんか」
「それは全然かまわないのですが……」リュウはそこまで言うと、困ったようにレオンとリオラに目を向けた。
神父はそれだけで事情を察したと見えて、笑いながら言った。
「御安心なさい。それまで、ここにお泊りなさい。この教会の裏に神父用の宿舎があるので、そこをご自由にお使いください。私もたった一人よりもたくさんの人と食卓を囲む方が楽しいですからね」
「本当によいのですか! こんな見ず知らずの僕らを……あの……ありがとうございます」
リュウは思わず立ち上がって、フィリップ神父に頭を下げた。それにつられるように、リオラとレオンも深々とフィリップ神父にお辞儀した。
そんなまだ大人とも言えないようなリュウたちの立ち居振る舞いを見て、フィリップ神父はにこやかに笑みを浮かべた。
「リュウさん、それにリオラさんにレオンさんでしたか。あなたたちと話していると、何か神が身近にいるような気がしてなりません。おそらくあなたたちは神に愛されているのでしょう。そんなあなたたちを迎えることができたのは、私にとって何よりも幸せなことです」
リュウはそんなフィリップ神父の言葉を聞いて、レインハルトが最後に語った言葉を思い出していた。
――リュウよ、神を信じろ。お前は神に愛されていることを信じるのだ――
自分が神に愛されている。そんなことはとても信じられなかったし、信じたくもなかった。だが、自分という存在と神が何かのつながりをもっているらしいということは、もはや否定できなかった。自分が生きる理由、それが神とどうかかわりを持つのか、リュウは純粋にそれを知りたいと思った。
