弱みというが、はっきり言って、僕らアマチュア作家にとって弱みはあってあたりまえ。
だって強いもなにも全部弱いところから始めるのだから。
ただ人によって、なんとなく描写力が優れている人、構成力が優れている人、オチを考えるのが優れている人、つまりそういうところが強みと呼ばれるんだろうが、他は弱みのまんまなのです。
だから、自分の作品のどこが駄目だとか悪いとか言われても、それは当たり前なんだと思わないといけない。
下手糞で当たり前なんです。
で、ここからは僕の放言ですが、僕は趣味でカクヨムで書いていくだけが目的の方であれば、弱みなどほっとけおけばいいと思う。そんなことに気を使う必要もない。
だからカクヨムで人の作品を貶す奴は馬鹿じゃないかと思う。
素人が書いた作品相手に何を完璧を求めているんだろうと思う。
金払って読んでるならまだしも、ただで読んでるくせに、ああだこうだと文句を言う。
カクヨムのレビューをみてると人を貶すためにレビューしている奴がいるが、そういうやつは永久に出入り禁止にして欲しい。
ちょっと変な方向に行ってしまったが、今日の話題はそっちじゃないので話を戻す。
つまり楽しく書きたいだけなんだという方は、弱みなど気にせず、好きなようにかけばいいと思う。
でも少しはうまくなりたいんです。コンテストを目指しているんです。
まあ、そういう方もいるだろう。
そう言う方は、なかなか辛いが自分の弱みを直視しないといけない。
自分の弱いところが分からない?
昨日、自分の強みはなかなか分からないと言ったが、実は自分の弱みというのは既に自分で分かっているんです。
なぜかというと、実際書いていて、自分ですらどうなんだろうと思うところが弱みだからだ。
こんなオチで受けるかな?
なんか全体的にまとまらない。
キャラが弱いな。
なんか、自分の書く物語って薄い……
皆さん、そんなこと書いていて感じません。
つまりそれが自分の弱みなのだ。
だから、別に指摘されなくても実は自分でも良く分かっているのだ。
まあ、それを改めて指摘されると、ショックは倍増するけど。
で、その弱みをどうカバーするかという話なのだが、まさにカバーなのだ。
カバーは覆う、補うという意味だが、弱みを強みに変えるのは本当に難しい。
ずっと書いていけばそういうことも可能かもしれないが、とりあえずは覆って平均まであげることを目指すべきだと思う。
それは個性を磨くという作業ではなく、教本どおり型を覚えて習得するという作業に近いと思う。
そういうものの一番の訓練法は、自分が高めたい要素が非常に優れていると言われる名作を読むことだと思う。
だからこそ、日頃から名作を読んでいる人は、少なくても瑕瑾が少ない文章を書くことができる。弱みを最小限にできている。
僕は本当に思うのだけど、物語を書きたいという人であれば、夏目漱石の三部作や、芥川龍之介や太宰治の傑作、吉川英治や司馬遼太郎の代表作、ドスエフスキーやトルストイの大作、シェークスピアの戯曲や、ギリシャ神話などのミソロジーなど、もうあまりに多くて書ききれないが、そういう名作をたくさん読んだ方がいいし、読まなきゃいけないと思う。
そうすれば、少なくてもこういうものが傑作として評価されるんだという自分の中での上限値を知ることができる。
自分の書いているものがいかに下手糞か思い知らされる。
強みは自分のオリジナリティを磨く、弱みは世の傑作を見て必死に学ぶ。
そうすることによって、なんとか読んでもらえるような物語になるんじゃないかと僕は思う。
たまには、一日くらいカクヨムは開かず、図書館にこもってみてはいかがですか。
その方が、あなたにとって、とても有意義な時間になると思いますよ。
※ このエッセイは、かつて僕がカクヨムという投稿サイトで活動していた際に書いたものを掲載していますので、現在の実態とそぐわないことがあるかもしれませんが、その点についてはご容赦ください。