今日は、この方のコメントです。
「カタルシスのある作品って本当に気持ちが良いですよね。ハッピーエンドでもハッピーではないエンドでも、何かしらの答えを見つけ出したり、心に残るものがあると浄化された気持ちになります。そういうのが感動なのかな~と思いつつ書いていると、悩む事も多いけど達成感も大きいです。書いてる側にとっては、執筆自体がカタルシスなのかなと思いました」(Hさん)
僕もカタルシスがある作品が好きなんですよね。ところで、カタルシスって正確にはどういう意味だろう。ちょっとググってみます。
文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。特に悲劇のもたらす効果としてアリストテレスが説いた。浄化。
感情移入による、感情の解放か。
なるほど、確かにそういうものでしょうね。
吉川英治の「三国志」を読んで、自分がこの時代に生きたらどんな男になっただろうなと夢見ながら、読み終わった後に英雄たちの栄枯盛衰を思って深い感慨に囚われたものでした。
また、悲劇という言葉も結構重要かもしれませんね。
完全なバッドエンドではないにしても、その作品の中でなんらかの悲劇的要素がある。
例えば親友の死、恋人との別れ、主人公の挫折。
だからこそ、その物語に共感できる。
以前もちょっと言った気がしますが、単にふんわりとした小説はその時はいいなと思うけど心には残らない。
つまり人生そのものなんですよね。
すべてが上手くいく人生なんてありえないし、そんな物語に共感なんて覚えない。
苦悩があり、挫折があるからこそ共感を覚える。
これが僕が昨今のラノベではなく一般文芸を書こうと志向する理由でもあります。
僕はリアルな人生を書きたい。
妄想に逃げるような物語じゃなく、現実で戦う男の物語を書きたい。
それこそが僕にとってのカタルシス、魂の解放なんだろうと思います。
※ このエッセイは、かつて僕がカクヨムという投稿サイトで活動していた際に書いたものを掲載していますので、現在の実態とそぐわないことがあるかもしれませんが、その点についてはご容赦ください。