今日は、この方のコメントです。
「冒険出来ない人が増えた気がしますね。自分などは『俺がこの道の開拓者だ』と言わんばかりに進みたいものですが、他人のわだちを踏んで歩く人々が多過ぎて堪らない。
執筆はある種の冒険です―――少なくとも純文学を始めとする古人の作品はそうでした。しかし今は、敢えてそれをしない腑抜けのたまり場と化し、『この方法なら売れる』的な方法論に縋って一攫千金、の輩ばかりです。やはりなろう系の功罪は計り知れません……読む人々が嘲りを伴って書く訳ですから。そう言う意味では『スライムだった件』『盾の勇者』だのがどれ程後世をゆがませるか、と思うだけでがっかりです。
遊びがしたいならよそでやれ。
金稼ぎたいなら働け。
有名になりたいなら海外で井戸でも掘れ。
もしかしたら遊び半分で此処に書くより凄い事が出来るかもしれないのに、『自分は無力だ』などと限界を決めた連中が緩く溜まって本当に困る……! 此処は―――文筆の世界は……いや、どころか全ての世界に於いて、『愚弄する奴は来るな』ですよ。その世界をバカにしてる奴なんて、其処に富と名声しか求めない奴なんて、要らない。さっさと自分だけ尊いものでも探しに行け、ですよ」(Sさん)
Sさんのコメントは、いつも真剣で切りかかってこられるような凄みを感じるので、僕も自身の信条をかけて、それを受けて立つような思いで返事をします。
皆さんは、Sさんの意見をどう思いますか、少し過激なんじゃないと思いますか。もっと、気楽に書いたっていんじゃないかと思いますか。
でも、僕はSさんの言葉の熱さにこそ共感します。
そして、「全ての世界に於いて、『愚弄する奴は来るな』」の言葉に全面的に同意します。
僕は思いをもって書く人が好きだし、そういう作品が好きです。
だからもし、昨今流行のラノベについても、俺はそれが書きたいんだと心底熱く思う人がいて、そういう自分に納得して書いているなら、僕は作品を読むことはないかもしれないけど、そういう人を応援するし、評価もします。
ただ、かなり前に売れるラノベを書くにはみたいな2CHの板を見たときに、「ラノベで売れるには、自分の書きたいものなんて欲は捨てて、とにかく脳死状態で、ひたすらテンプレ書いてりゃいいんだよ!」みたいな書き込みが乱発しているのをみて心底くだらないと思いました。
それはもはや僕が心に抱く創作とは全く無縁のものです。
それは読者すら愚弄する下劣な行為だと思います。
そんな作品が本屋に並んでいるのかと思うと寒気すらしてきます。
でも、そういう人たちの根底にあるものを突き詰めれば、つまりは読まれたいってことなんじゃないのかとも思う。
だとすると、その感覚を僕らは否定できるんだろうか。
皆さんは、否定できますか。
読まれるために、★をつけあい、読み合いし、SNSで呟く。そういう行為をしている自分たちと彼等といったい何が違うんでしょう。
僕は彼らのような下劣なものは書いていない。
私はそういうのは書きません。
俺が書くものは、もっとまともだ!
確かに皆さんそう言うでしょう。
でも、僕はそういう発想をあまり好まない。というか他人との比較を好まない。
あいつよりどうだとか、俺の方が上だとか。
そんなことを思うより、自分自身の方が大事じゃないかと思う。
自分は自分が納得できるものを書いているか。
それを自信を持って言えるか。
僕は言えます。
まだまだ下手糞だけど、僕は自分の作品が大好きで、我が子のように愛おしい。この作品たちは僕の分身であり、魂の叫びなんだ!
そう、自信をもって、誇りをもって言える。
皆さんは、自分が書いたものに愛着を感じていますか。
自分が書いたものに納得していますか。
自分が書いたものに誇りを感じていますか。
僕は、書き手は須らく、そういう思いを胸に抱いて書いて欲しいなと心の底から思っています。
※ このエッセイは、かつて僕がカクヨムという投稿サイトで活動していた際に書いたものを掲載していますので、現在の実態とそぐわないことがあるかもしれませんが、その点についてはご容赦ください。