カクヨムで出会った仲間との交流を題材にした特集もこれで最後になります。最後は、この方のコメントです。
「昨日の作品も読み応えあり、勉強になりました。母親は幼い私を膝に入れ、本をたくさん読んでくれました。学校で賞を貰うとすごく喜んでくれ、褒めてくれました。今、創作が好きなのも母親の影響だなと思います。難しい評価はいらないんです。たった一人でも笑ってくれたら幸せです。今は娘が笑ってくれます(*´∇`*)」(Hさん)
創作するのに小難しい理由なんていらないんです。
ある時、ふと何か書きたくなる。
それでいいんです。
それが当たり前であり、長続きの理由なんだと思います。
僕も最初そんな感じで書き始めました。
公募に送ろうだとか、誰かに見てもらおうとか、そんなことは全く思わなかった。
ただ、こんなの書いたら面白いだろうなと思って書き始めた。
今だって、楽しいから書いている。
確かに苦しい時もある。でも、それは産みの苦しさだ。
いやいや書いているわけじゃない。
それどころか、ちょっとづつでも進んでいることがなんともうれしい。
完成してもいないのに、途中の原稿を読みながら時にはうるっときたり、時にはにやっとしたり、完成したらどんな良い物語になるだろうかと夢想してしまう。
皆さんはどうですか。
あの人、僕よりどんどん書いてる。
あの人、私よりどんどんうまくなってる。
……そんなことを思っていませんか。
そんなことどうでもいいんです。
人のことなんてどうだっていいんです。
自分が書きたいときに書きたいものを書けばいいんです。
そして、そんな風にして書いた自分の大事な作品。
誰かに読んで欲しいなと思う。
それもまた自然なことだと思います。
でも、欲しいものって、読んでもらうことなんでしょうか。実は本当に欲しいものって、読んでくれた人に良かったよと言ってもらえることじゃないでしょうか。
面白かったよ!
上手いじゃない!
笑えたよ!
たったそんな一言で思わず顔がほころんじゃいませんか。
物凄く元気をもらえませんか。
僕は他の人の作品を読んでコメントするときは批判だけのコメントは絶対にしないようにしてきました。
ちょっと厳しめの感想を言う時もありますが、必ず良いところに言及するようにしました。
雰囲気がいいですね。
センスがいいですね。
構成が上手いですね。
でも、たぶんそういう一言でも、少しは喜んでくれるかなと思って書いてきました。
そんな言葉の一つだけで、書き手はまた書こうという意欲が湧いてくるんじゃないかと思ったんです。だって、僕がそうだったから。
でもそういう言葉を投げかけるだけで人が自然と集まってくれてます。毎回、たくさんのコメントを頂戴します。
カクヨムというサイトの本当の価値はそこにこそあると、僕は思っています。
※ このエッセイは、かつて僕がカクヨムという投稿サイトで活動していた際に書いたものを掲載していますので、現在の実態とそぐわないことがあるかもしれませんが、その点についてはご容赦ください。