アマチュア作家の面白い小説ブログ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

【笑えるコメディ小説】『妻の唇はいったいどれだ!』

 鬼が、俺の目を隠すために手拭いを頭に巻きつけて、きつく縛った。
 これで俺の目は完全にふさがれた。
 もう、やるしかない。俺は覚悟を決めた。
「さあ、さっさと始めろ!」俺は目の前の閻魔大王に向かって叫んだ。

「――では、始めるとしよう。ここに今までお前がつきあった女が5人並んでいる。お前は目隠しの状態で一人づつ、口づけをしろ。もしお前が見事、妻の唇を言い当てたなら、お前の妻の寿命を延ばして、現世に返してやろう。だが失敗したら、お前の寿命は妻もろともここで尽きる」閻魔大王の声が重々しく響いた。

 こうして妻を取り戻すための俺の孤独な戦いが始まった。


「まず1番目の女だ」閻魔が言った。
 足音が聞こえてきた——これは、ピンヒールの音だ。いや待て、さきほどうっすらと見えたが、焔魔堂はコンサートホールのようで、音響効果を必要以上に効かせているようだ。これも人を恐ろしがらせるこいつらの策略だろう。くだらない仕掛けだが、やはり、音で判断するのは危険だ。やはり、唇で判断するしかない。

 俺の前に人の気配がしたかと思うと、俺の唇に女の唇が触れた。
 そして、その女は3秒ほど唇を触れさせた後、俺から離れた。

 俺は鼻で笑った。余裕過ぎる。
 この女は20代の頃に半年ほどつきあったことがあるキャバ嬢の優香だ。唇が肉厚ですぐにわかる。そんなことより相変わらずルージュを塗りすぎだ。俺の唇にルージュのねっとり感が残っていやがる。しかもこいつは物凄いキス魔で所かまわずキスしてくる女だった。シャツにキスされると大変なことになるので、俺はいつも気をつかったもんだ。
「もう十分だ、次のやつをよこせ」俺は確信をもって言い放った。

 

「では、次の女だ」閻魔が言った。
 さきほどよりも重い感じの足音だ。優香よりも太った女か……いや、先入観は捨てよう。これもやつらの手口だ。

 再び俺の前に女の気配がして、唇が重ねられた。
 小ぶりの唇だ。なめらかで潤いがある。こいつは芙紗子か絵梨のどちらかだと思うが、判断に迷う――どちらだ。
 女は唇を離したが、俺はまだ決断できていない。
 妻ではないことは確実な気がするが、迷いを残したまま進むのはまずい。肝心な時に響いてくる。 
 やはり、はっきりさせるべきだ。
 そう決断した俺は閻魔に言った。
「おい、閻魔! もう一度だけキスさせてほしい」
「迷いがあるようだな。さもあろう、しかし一度だけだぞ」閻魔はふっと笑うと、そう答えた。
 よしっ、やつは俺に隙を見せた。ここが勝負だ。
「実は、もう一つ頼みがある」
「なんだ」
「舌を入れたい」
「……」
 閻魔が黙ってしまった。これはやばいか。だが、ここで引くわけにはいかない。
 俺は、閻魔に向かって滔々と語り始めた。
「キスという行為においては、唇と舌の動きは表裏一体のものだ! 唇の接触によって生じる高揚感は、いつしか互いをもっと知りたいという欲求を生み出す。その結果こそが舌の動きなのだ。舌を相手の歯の間に無理やりつっこみ、臆病な相手の舌を絡めとる、そして女はいつしか俺の唾液の全てを舐めまわすようにエロチックになる、そして、舌先をつんつんとぶつけ合い――」
「……もういい、分かった。だが一度だけだぞ」
 閻魔が折れたようだ。

 俺はふふと笑った。
 閻魔よ、お前にキスの醍醐味を教えてやったのは、この俺だ。お前の髭面では、キスも満足にできまいが、これで彼奴も、これからはキスを堪能できるようになるだろう。俺に感謝することだな。

「では、もう一度だ。これで最後だぞ」閻魔が言った。
 さきほどの女が再び俺に近づいてきたようだ。俺は意識を集中し、唇を重ねた。
 俺は、即座に舌を相手の唇の間に挿入した。女は弱々しく俺の舌を受け入れたが、臆病そうに自分の舌をひっこめた。
 これで分かった。こいつは絵梨だ。男経験の少ない女だったので、いつも俺がリードしてやったものだが、なかなかのナイスバディだった。特に絵梨のあのおっぱい。まるでメロンのようだった……やばい、想像したら、俺の逸物が膨らんできたではないか。死の瀬戸際に勃起するとは、我ながら俺も相当の大物だな。

 俺は女から口を離すと、閻魔に言った。
「おい、閻魔、頼みがある――この女のおっぱいを触りたいんだが」
「……」
「だめか」
「……おっぱいは……だめだ」閻魔は怒りを噛み殺したような声音で言った。
 少し調子に乗りすぎたようだ。だが確かに、おっぱいを触れば、俺は瞬時に5人を見分けることができてしまう――優香はDカップ、絵梨はEカップ、芙紗子はCカップ、桜はBカップ、そして、俺の妻の楓はAカップ。俺にとって、おっぱいは唇に並んで神聖なものだ。あのマシュマロのような柔らかさ、唇が女の鉾だとしたら、おっぱいは女の盾だ。ああ、想像するだけでたまらない。俺なら服の上から触っただけで、瞬時にバストや形を思い描くことができるんだが――しかしやむをえない。ここは我慢せざるをえないようだ。
「しょうがない、諦めよう――さあ、次の女をよこせ」俺は力強く言った。

 

「では、3番目の女だ」閻魔が言った。
 さきほどよりも軽い足取りだ――いや、音で判断するのはやめよう、俺は、この唇と舌で戦うのみ。

 三人目の女が俺の前に近づき、唇が重ねられた。
 さきほどと同じように小ぶりの唇だ。しっかりと潤いがある。これは間違いない、さきほどの女が絵梨だとすれば、この女は芙紗子だろう。
 だが、検証はすべきだ。偉大な天才たちでさえ、ささいなミスで身を亡ぼすことがある。油断は禁物だ。
 俺は舌をつっこんだ。反応は上々だった。女はすぐに俺の舌に自分の舌を絡ませてきた。相変わらず、いやらしい女だ。これで100%間違いない。これは芙紗子だ。こいつはバツイチだったが、前の旦那がよほどエロかったのか、こいつも物凄くエロい女だった……やばい、また俺の逸物が膨らんできた。おとなしくしろ! 今は、そんな状況じゃないんだぞ。

 俺は自分の逸物を叱りつけると、気持ちを切り替えるように大声を張り上げた。
「次の女をよこせ」

 

「では、4番目の女だ」閻魔が言った。
 ぺたぺたと音がした。これは妻の好きなぺったんこのパンプスではないか! ついに来たか。俺は緊張した。

 四人目の女が俺の前に近づき、唇が重ねられた。
 こいつは!
 下唇が若干膨らんでプルンとしている。そして、まるでタコの吸盤のように俺の唇に吸い付いてくる。
 俺は慎重に舌を入れた。女は自然に俺の舌を受け入れ、舌を絡ませてきた。
 決まりだ、この女が妻の楓だ。いったい、なんどキスをしてきたと思っているんだ。俺を舐めるな、閻魔よ。
 俺は確信した。この女に間違いない。
「よし、分かった。さあ、最後の女をよこせ」そう言う俺は、既に勝利を確信していた。

 

「では、5番目の女だ」閻魔が言った。
 ペタペタとした音が聞こえてきた。
 なんだと! さきほど全く同じではないか。残っているのは桜のはずだ。あいつは確か……やばい、あいつもヒールが高い靴は苦手だといって、クリスマスにぺったんこのパンプスを買ってやった記憶がある。
 まて、落ち着け。音に惑わされるな、全ては唇だ! それだけに集中するんだ!

 最後の女が俺に近づき、唇が重ねられた。
 これは!
 さきほどと同じように下唇が膨らんでプルプルとして、イカの吸盤のように俺の唇にぴったり吸い付いてくる。
 俺は混乱したが、とにかくも舌をつっこんだ。ところが、こいつもナチュラルに俺の舌を受け入れ、舌をミックスさせてきたではないか。
 しばらくして、女は唇を離したが、俺は放心状態だった。

 どうする、4番目と5番目の女の区別がつかない、どちらが楓で、どちらが桜だ。だが、なんとなく、5番目の女が楓のような気もする。いやまて、5番目の女の唇があまりに4番目の女の唇に似通っていたので、頭が混乱して、気持ちが昂ってしまったせいかもしれない——だめだ、このままでは判断できない。もう一度、冷静な頭で確かめる必要がある。
「閻魔よ、4番目と5番目の女と、もう一度だけキスさせてくれ」俺は哀願するように言った。
「……」
「頼む! 俺はお前にキスの醍醐味を教えてやったではないか、お前は今日から、新しい喜びを抱いてキスをすることができるんだぞ、キスとはいわば、男と女の魂の交歓であり、命の交歓なのだ、この大宇宙のあらゆる命が輪廻を繰り返し、命をつなぐことができるのは、キスがあるからなのだ。理趣経の十七清浄句の一句にも、男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地であると書いてあるではないか、それだけではないぞ――」

「……もういい、分かった……好きなだけ、やれ」閻魔が俺の言葉を遮った。
 俺は、内心ガッツポーズした。閻魔は完全にキスの虜になったようだ。俺は閻魔にキスを教えた男として後世に名を遺すことになるだろう。まあ、教科書に載るようなことではないがな。俺は、ふふと笑った。

「では、4番目の女だ」閻魔が言った。
 俺は唇に全神経を集中させた。
 さきほどと同じようなプルンとしたもっちり感だ。押し付けても、歯茎がぶつかる様な不快さはない。
 やはり、ここでは判断できない。とっておきの秘儀を繰り出すしかなさそうだ。
 そう決心した俺は、荒々しく舌を入れて、瞬時に相手の舌を絡めとったが、すぐにひっこめて、今度は貝のようにだんまりを決め込んだ。
 これは、相手の気持ちや性格を確かめる際に用いられる、究極の奥義だ。
 俺はこの奥義を完璧に使いこなしてきたから、楓のこともよく熟知している。
 楓なら、自分から舌を俺の口の中に突っ込んでくるような真似はしないはずだ。反対に桜なら、ガンガン攻めてくるはず。

 どうやら、俺の作戦が見事ハマったようだ。こいつは、自分から俺の口の中に舌をつっこんできやがった。これで決まりだ。こいつは桜だ。桜は昼は貞淑な感じだが、夜になると極度に乱れる女だった。ある夜など、5回も求められて、俺は最後殺されるかもしれないと思ったほどだった。今はとても、あんな真似はできない。分かれて正解だった。いや、正確にはフラれたんだが……くそっ、なぜ俺じゃ駄目だったんだ……おい、しっかりしろ、俺! 何を感傷に浸っているんだ。俺は楓を取り戻しにきたんだぞ!
 とにかく、後は5番目の女が妻の楓だと確認するだけだ。間違いはないと思うが、検証は必要だからな。俺は決して油断はしないぞ、閻魔よ!

 

「では、5番目の女だ」閻魔が言った。
 5番目の女の気配がして、俺の唇に自分の唇を合わせた。下唇の感触も相変わらずもちもちしていてたまらない。
 ここまではさきほどと同じだ。ここからが勝負だ。
 俺は、さきほどと同様に舌を入れて、相手の舌に自分の舌を絡ませたが、さきほどと同様にすぐに引っ込めて、すっぽんのように身を縮めた。
 楓なら、自分から舌を入れてくるようなことはないはずだ……な、なんだと! ガンガン俺の口に舌を入れてきやがった。どういうことだ、楓はこんな女じゃなかったはずだ。くそっ、いったい、どういうことだ。やばい、完全に分からなくなった。4番か、5番か、やはり5番か、いや4番のような気もする……分からない、どうする……

「さあ、時間だ。これから、お前の目隠しを取るが、お前の目の前にいる女の顔は全員、お前の妻の顔になっている。お前はその中から一人選べ! 見事言い当てたら、妻を連れて、現世に戻るがいい。だがもし違えたなら、お前の寿命はその瞬間に尽きる」
 閻魔の声が朗々と響き渡ると、鬼が俺の目隠しを取った。
 閻魔のいったとおり、5人の女が俺の前に立っていたが、どいつもこいつも楓の顔だ。まったく、見分けがつかない……

「さあ、選べ!」閻魔が唸るように声を張り上げた。

 4番か5番のどちらかだ。
 どちらも、軽く微笑んでいる。
 俺の額から脂汗が垂れた。
 駄目だ、分からない。
 なんということだ、唇博士を自認する俺がここまで追いつめられるとは――

 

 俺の緊張は頂点に達した。
 その瞬間、俺の尻から、ブッと屁が漏れた。
 最近、ケツのしまりが悪くなって、よく屁が出るのだ。

 鬼の一人が、ぶっと笑い声を立てた。よく見ると、俺を取り囲む鬼たちが下を向いて笑いをこらえていた。
 俺を見下ろす閻魔も扇を口に当てているが、肩が小刻みに震えていた。
 目の前の女たちも、みな、耐えられないとばかりに、ぷっと笑って下を向いて肩を震わせていた――そう見えた。だが、一番端の5番目の女だけは、呆れかえるような目で俺を睨みつけていた。

 俺は、ゆっくりと指をさした。
「こいつが、俺の妻の楓だ!」

 

 俺と楓は、現世に戻るために黄泉路を歩いていた。
「……よく、ああいう場でおならが出るよね」楓が心底呆れたようにいった。
「……いや、違うんだ……あれは作戦だ」
「はあ? じゃ、キスじゃ。分からなかったって言うの! 信じられない」
「……いや、あの……違う、違うんだ……お前だと確信していた、おならは、たまたま出たんだ」
「あの後、楓さんの旦那さん、ウケるって、みんなに笑われちゃって、ほんと恥ずかしかったんだからね――ああ、そういえば、あなた、総務課の桜と付き合ってたの! なんで今まで黙ってたのよ、さては浮気してたんでしょう」
「……いや、それだけは違う! あいつにフ……別れてから、お前と付き合ったんだ!」
「……ほんとに?」
「ほんとだ、俺は決して嘘はつかない!」
 楓は、必死になって言い訳する俺を胡散臭そうに眺めていたが、ぷっと笑った。
「まあ、なんだかんだ言っても、こうして、こんなとこまで来てくれて、生き返らせてもらったんだから、少しは感謝しないとね」
「そうだぞ、俺も死ぬところだったんだからな」
「ねえ、キスしよっか」
「なんだよ、お前、こんなとこで」
「だって、あなた、他の4人とあんなにキスしちゃってさ、わたし、少し妬けちゃったんだもん、だから最後、思いっきり、キスしちゃった」
「なるほど、だから最後あんなに激しく……おい……」
 俺の口を封じるように楓がキスしてきた。そのキスは今までで一番激しく、官能的なキスだった。やっぱり、楓とするキスが最高だ。
 俺たちは、黄泉路のど真ん中で、ずっとキスをしていた。

 おわり

 

目次に戻る

TOP