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【ほっこりする小説】『田舎暮らし』(五)

 それから数日が立ち、私は意を決して、区長さんに誘われた地区の集会に顔を出してみることしました。

 里に降りると、あたり一面、緑の稲穂が広がっていました。その稲穂に夕暮れの残照があたった様は、まるで緑色の波が広がる大海原のようでした。ですが、私はそんな美しい景色とは裏腹に暗い気持ちで田んぼの中の一本道をとぼとぼと歩いておりました。
 一時間ほども歩いてきて、ようやく先の方に平屋の建物が見えてきました。どうやら、あそこが区長さんに教えられた集落会館のようです。

 建物に近づいてみますと、すでにたくさんの車が停まっていました。恐る恐るそっと近づいていくと、中からはガヤガヤと声が聞こえてきます。私はその声を聞いただけで逃げ出したくなりました。

 私は人付き合いが苦手でいままで友達といえるような人もできずに、本ばかり読んできたのです。田舎生活に憧れたのも、自分のような人間でもこんな田舎だったら人付き合いに煩わされず、楽しく生活できるかもしれないという気持ちが本当だったのです。そんなでしたので、玄関の前に立つには立ちましたが、いつまで経っても扉を開ける勇気が出てきません。

 とその時です。どこからか声が聞こえました。
「柄にもないことをするもんじゃない。お前みたいな人間はさっさと東京へ帰ってしまえと先日言っただろ。さあ、このまま尻尾をまいて逃げ出してしまえ」空を見上げるとあの鷹が舞いながら、私に向かって叫んでいるのでした。

 私は急に悔しくなって、言い返しました。
「おい、そんなに馬鹿にするんじゃない。僕だって、少しくらいは勇気があるんだ」

「そんなに言うなら、さっさとその扉を開けてみればいいじゃないか。どうせお前にはできっこないだろうが」

「なにくそ、よく見てろ!」そう言うと、私は思いっきり玄関をあけてしまったのでした。

 

鷹

 

 扉を勢いよく開けて入っていったのはよかったのですが、あまりに大きい音がしたので、中にいた人が全員、黙ってこちらを見つめております。私は顔が真っ赤になって、カチコチになってしまいました。すると、一番奥から森山区長さんが、
「おお、よく来てくれた。さ、こっちに来なさい」と助け船を出すかのように私に呼び掛けてくれました。

 私は他の人たちの視線を避けるようにそそくさと森山さんの隣の席に座り込んだのですが、ふと気づくとそこは区長さんの隣の一番高い席で、そんなところに座ってしまったのが大変恥ずかしくて顔を上げることもできません。

 森山区長さんはそんな私を見て少し笑いながらこんなことを話し始めました。
「皆さん、新しい仲間を紹介しましょう。先だって東京から移住してきた青山賢治くんです。深沢の奥の小屋に引っ越してきた変わり者だが、まだ若いし、皆仲良くしてやって可愛がってくれんか。ほら、青山君、君からも一言挨拶しなさい」

 区長さんにいきなり言われ、私は目を丸くして小さく首を左右に振ったのですが、区長さんは笑顔のままうなずくだけですし、集まった人たちは無言のままじっと私を見つめているので、やむにやまれずその場に立ち上がりました。

 部屋には十四、五人くらいが集まっておりましたが、みんな、静まり返って私の顔を見つめています。私はもうどうにでもなれと覚悟を決めると、唐突にしゃべりはじめました。

「あ、あの、私は、このたび、東京から移住してきました青山賢治と申します。む、昔から田舎暮らしに憧れておりまして、移住フェアのときに紹介してもらったここが大変気に入りまして移住することに決めました――こ、こちらに来て、実際生活してみても大変良いところだなと本当に感激しておりまして、これからも……」と、そこまで言うと、突然、熊や鹿や鷹に言われたことが不意に思い出されて、言葉が途切れてしまいました。そんな私を、会場の人たちが厳しい目で見つめております。

 私は、その人たちの目をまともに見ることができず、段々と俯いてしまいました。そのうちに、ここ数日、ずっとお腹の中に溜まっていた思いが急にこみあげてきて口からぼそぼそと出てきました。

「……でも、実際に住んでみると、想像していたのと違って……田舎で生活するというのは楽しいだけではなくて、大変なことがたくさんあって……」

 私は俯きながら、蚊の鳴くような声でなんとかそこまでしゃべりましたが、悔し涙があふれそうになり、とうとう、何も言うことができなくなってしまいました。

 ――あんたはここが気に入ってくれたのかい――

 なんだか、どこかで聞いたことのあるような温かい声がどこからか聞こえてきました。
 はっとして横を向くと、森山区長さんが私を見ながらにっこり笑っていました。

 森山さんの顔を見つめるうちに、森の中のきらめくような木漏れ日、そよそよと流れる小川のせせらぎ、名前も分からない花々が精いっぱい咲いている健気な美しさ、鳥や虫たちが日々の生活の中で必死に生きている姿、風や山や石ころでさえまるで生きているように感じられる自然の豊かさ、わずかではありましたがここで感じた幸せな思いが次から次へとお腹の中にあふれてきました。すると、その思いがお腹を飛び越して、口からどんどん飛び出てきました。

「僕は、ここがとても大好きになりました。山も川も木も花も空気も全部好きなのです。田舎で暮らすことの大変さや人と一緒に協力し合うことの大事さが、僕にもようやく分かってきました。一生懸命生きていくことの大切さがようやく分かってきました。僕はこれから皆さんと一緒になんとか頑張ってここで生活したいと思っています――だから、どうぞ、どうぞ、よろしくお願いします」私はそう言って、ばさっと頭を下げました。

 

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