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【創作昔話】『山の神』(中)

 さて朝日も昇り、いよいよ神奈備山に向かう刻限が参りました。
 裃をつけた村長と佐五平、そして兄や姉、隣家の村人たちは既に家の前に勢ぞろいしております。その中を白装束に身を包んだお妙が母に手を引かれて、家から出てまいりました。
 お妙は用意された籠の前に立つと、一度、後ろを振り返り、集まった人たちに頭を下げ、そのまま黙って籠に乗りこみました。

 集まった人々は皆一斉に手を合わせ、お京、お園の二人の姉も、涙をぼろぼろ流し、すまぬ、すまぬと心の中で叫びながら、仏さまを仰ぐように、お妙一行が去って行く姿をただひたすら眺めていたのでございました。

 神奈備山は、山また山のその奥にある山で、普段は、誰も行くものとておらぬのでございますが、年に一度のこの儀式のためだけに作られた、細く、長い道が続いておりました。
 村長に佐五平、お妙を乗せた籠を担ぐ村の若い衆は、皆一言もなく、静々とその道を進み、山深く入ってまいります。
 あまりに深い森の中とあって、もはや日の光も地面には届かず、昼時になるというのに、あたりは薄暗いままでございます。たまさか聞こえる獣や鳥たちの鳴き声も、妙にもの哀しげに気に聞こえてくるのでございました。
 村長や佐五平たちも青ざめた顔で歩いておりましたが、何も見えぬ籠の中のお妙の心境を思えば、いかばかり心細いことだったでございましょう。
 とにもかくにも、ほとんど半日がかりでようやく鬼の岩屋と呼ばれるところに辿り着いたのでございました。


 そこは、巨大な岩が幾重にも積み上げられて、まるで誰やらの住処のように見えます。いったい、どのような力があれば、こんな巨大な岩を積み上げられるというのでしょう。籠を出たお妙は、それを思うだけで、ぶるぶると震えてくるのでございました。

 あたりは、寂として物音一ついたしません。
 村長と佐五平は、鬼の岩屋の前に一本突き立っている鉄の棒の側に、お妙を座らせると、縄でぐるぐると縛り始めました。
 佐五平もさすがにお妙の顔を見るに忍びないようで、顔をそらしながらお妙の体に縄を回しておりましたが、いつの間にか目は真っ赤になっておりました。

 その気配を察したのか、縄でしばられたお妙の目にも涙があふれてまいりました。
「お父っつぁん……」お妙がなんともいえぬ哀れな様子で、つぶやきました。

 その言葉が耳に入った途端、佐五平の中で、抑えに抑えていた思いが一気に噴き出しました。

「お妙、お妙!」
「なんと、わしは、身勝手な男じゃ」
「お妙、わしを恨んでくれ、わしを憎んでくれ」
「わしが間違っておった、おまえも可愛い可愛い、わしの娘じゃった」
「わが子を投げ捨てるなど、なんと、あさましい男なんじゃ、わしは」
「おたえ、すまぬ、すまぬ」
「わしを許してくれ、許してくれ……」

 佐五平はもはや駄々っ子のように、お妙に抱き着き、ほっぺたとほっぺたをくっつけて、泣きわめきました。

 お妙も、涙をぼろぼろ流しながら、お父っつぁん、お父っつぁんと声を枯らさんばかりに叫びます。
 その声は、聞く者の心を切り裂くように森中に響き渡り、さすがの村長も込み上げてくるものを必死になって、堪えておりました。

 しかし、いつまでもこうしているわけにもまいりません。村長は子どものように泣きわめく佐五平を必死になだめすかせ、ようやく大人しくなった佐五平の肩を抱くようにして、元来た道を帰っていったのでした。

 帰り間際、佐五平は何度も何度も立ち止まり、お妙の方を振り返っておりました。お妙は、その姿をずっと追い続けておりましたが、とうとう見えなくなってしまったのでした。


 日はすっかり落ちて、あたりはもはや真っ暗です。
 ただ月明かりだけが、真っ暗な森の中をかすかに照らしております。
 いったい何が現れるのか、わが身に何が起こるのか、それを考えただけでお妙はただただ恐ろしくて、ひたすら観音様に祈っておりました。

 不意に、なにやら声が聞こえてきました。

「――いよいよ、待ちに待った御馳走じゃ」

「一年ぶりの御馳走じゃ」

「いい匂いがしおるわ」

 一人がしゃべっているようにも、何人かいるようにも聞こえてまいりますが、とにもかくにも大変恐ろし気な声音で、それを聞いた瞬間、お妙の顔は真っ青になり、歯はガクガクと震え、気も失うばかりでしたが、両手の中に大事に握っていた、あの木片のことを思い出しました。

 お妙は震える声で、
「観音様、観音様、どうぞ、わたくしをお助けください、どうぞ、わたくしをお救いください」、そう言うと、ひたすら念彼観音力、念彼観音力と祈り続けました。

 すると、突然、手に痛みが走りました。
 何事と思い、月明かりに照らしてみてみますと、両手から血がぽたぽたと垂れているではありませんか。お妙が恐る恐る両手を開くと、なんと、握りしめていたのは小刀でございました。
 お妙は、これぞ観音様のお導きと、その小刀で縄を切り始めました。そして、なんとか縄を切ると、お妙は暗闇の中を走りだしたのでございます。

 

小刀

 

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