リュウが住む孤児院は国教会が運営している身寄りのない子どもや乳飲み子を抱えた寡婦を住まわせる施設であった。そう言えば聞こえはいいが、住んでるものにとってみればなんのことはない、浮浪者のたまり場のごとき施設で、個室などあるわけもなく、大きな広間の中で各々がわずかばかりのスペースを確保し、支給された薄い毛布一枚にくるまり、毎夜毎夜、寒さに震えながら夜を耐えているのだった。赤子がミルク欲しさに泣きわめこうものなら、至る所から「うれせえ!」、「静かにしろ!」とヤジが飛び、母親は赤子を担いで急いで外に出なければならなかった。ある意味、母親付きでここにいられる赤子は、ここに住む大半の子どもらに取ってみれば、嫉妬の対象以外のなにものでもなかった。ほとんどの子供が親を亡くし、親に捨てられ、親に虐待されてきたものたちだった。親の愛など感じたこともなく、人の善意など理解すらできないものたちであった。何かあればすぐに喧嘩。強いものが弱いものを脅し、恫喝する。結局、子どもたちは地獄を抜けてきたと思ったら、今度は修羅の世界で生き延びなければならなかった。
施設の者はというと、日に三度の食事を与えることしか自分の職務と思っていないらしく、その他のことには一切干渉しなかった。一応、施設長と呼ばれる司祭がいたが、朝の朝礼の時に空疎な挨拶を長々としゃべるしか能のない男で、ここに住む子どもたちにとってみれば侮蔑の対象でしかなかった。
リュウはいつものように皆が寝静まった頃にここに戻ってきた。昼間は猛獣のようなエネルギーを発散させる悪鬼のごときものたちも所詮まだ子どもだった。寝ているときばかりはすやすやとまるで天使のような顔で寝静まっていた。
リュウはこの悪鬼のような子どもたちから憧れの眼差しで見られていた。こんな環境の中で育ちながら、剣の業を磨き、半年前に行われた国教会主催の剣技トーナメントで見事に優勝し、王の騎士になる資格を与えられた。それに伴い、国教会はリュウが王の騎士として正式に認可されるまでの間、孤児院出身者としては異例のことだが、街の学校に入る許可を与えたのだった。それはこの孤児院に住む子どもたちにとって、奇跡のような出来事だった。そして、その奇跡を成し遂げたリュウはいわば英雄ともいえる存在だった。リュウがいるときばかりは子どもたちは絶対に喧嘩をしなかった。喧嘩などに時間を潰すより、リュウの傍にいる方を選んだ。リュウの傍にいるだけで、いつか自分もリュウのようになれると信じているのだった。まるで自分たちの夢や希望そのものであるかのように目を輝かせてリュウを仰ぎ見るのであった。
それが嫌だった。それが苦痛だった。そんな人間じゃない。俺は、お前たちが思うような人間じゃない。そう感じていた。だからリュウはいつも朝一番に孤児院を出て、夜遅くに帰って来るのだった。
深更を過ぎて、リュウがもう寝ようと毛布を被ったその時、広間の扉が開いて施設の職員が何人か入ってきた。リュウは用心深くその様子を見ていたが、その男たちが自分の方にやってくるのを見ると、小さくため息をついて立ち上がった。
「――リュウ、司祭がお呼びだ」一人の職員が言った。
リュウは返事もせずに男たちの顔を眺めていたが、覚悟を決めたように歩き出した。
リュウは施設長室の中で司祭と対面して座っていた。
頭の禿げた少し神経質そうな司祭。いつも朝の朝礼でくだらない話を延々と語るあの施設長であった。司祭は何かひどく思案気な顔で、時折リュウの顔を盗み見るように目を走らせていたが、ようやく言葉がまとまったのかぶつぶつとしゃべり始めた。
「――リュウよ、我々は非常にお前に感謝しているのだよ。お前が剣技トーナメントで優勝したおかげで、この孤児院の名誉も大いに高まった。私も国教会の大司祭様からお褒めの言葉をいただき、大変光栄な思いをしたものだ。しかも最近のお前の成長は実に著しい。お前がいるだけで、この孤児院も平穏になり、先日は都から視察団まで訪れた。いったいお前にはなんといって感謝したらいいか――」
「――施設長、用件はなんですか?」リュウは司祭の話を遮るように言った。
司祭はリュウの暗い目を恐れるように、
「いや、すまん。お前には大変に感謝をしているのだとしっかり伝えておきたくてな……」とそこまで言うと、司祭はしばし押し黙った。
「……実はな、知事からさきほど連絡があってな……なんというかその、お前が学校に通学するのはもう許可しないと……その、まあ、そんな内容でな……」
リュウは司祭の奥歯にものが挟まったような言葉を聞いて、ようやく司祭が何を言いたいのか理解した。
「なんだ、そんなことですか。ご安心ください。学校にはなんの未練もありませんよ、却って清々するくらいです」
だが、目の前の司祭はまだ何か言いたそうな重苦しい顔をしていた。リュウはこの臆病な司祭が次は何を言い出すのか逆に面白くなってきたが、あえて助け船もださず、ただ悠然と眺めていた。
「……そうか、それは良かった。学校など、どこにでもあるからな。お前は王の騎士になれる資格があるのだ。自分の好きなところに行って勉強した方が良いであろう」
「――ええ」
「そうだ。どうせなら、ウルクにいってみてはどうだ! どうせ、王の騎士となるのだ。ならば一刻も早く、国王陛下のお膝元で勉学に励んだ方がよくはないか」
司祭はまるで妙案を思いついたかのように突然高声をあげた。
「――ウルクですか」
「そうだ。ウルクなら、こんな田舎と違って、お前も腕のふるい甲斐があろう」
「そうですね。それも良い案かもしれませんね――あなたも俺をここから追い出せて、知事にも顔が立ちますしね」リュウは冷ややかに笑った。
「な、なにを言う。わ、私は、そんなことは何も……」
「まあ、そんなことはどうでもいいです。ウルクに行くかどうかは分かりませんが、今日を限りにここを出ていきますよ。そろそろ俺も新しい世界を見たいと思っていたところだったんでね」
「おお、そうしてくれるか! それはありがたい……いや、めでたい。誠にめでたい……ところでいつ出発する」
リュウは司祭のあまりに露骨な態度に、笑いが込み上げてきた。
「荷物というようなものがあるわけでもなし、この足で街を出ることにしますよ」
「いや、そうか!」
司祭は心底ほっとしたように大きな息をついたが、今度は別な心配が込み上げてきたと見えて、再びリュウの方を見た。
「リュウよ……その、なんというか、気を悪くはしなかったかな」
リュウは含み笑いをしながら席を立った。
「施設長、曲がりなりにもベッドと食事を与えてくれて感謝してます。ここでは学校などよりもはるかに多くのことを学びましたよ。まったく、あなたのお陰です」
「そうか! そう言ってくれるか。私もここの運営には並々ならぬ努力を重ねているのだよ」そう言うと、司祭は満足げに笑みを浮かべた。
「そうそう、施設長。明日、警察のものが俺を捕まえにここにやってくるでしょう。さきほど、警察署長のペニスを二度と使えないように切り刻んでやりましたからね。王の騎士を輩出したと思ったら、今度は犯罪者を出した孤児院として名を馳せることになるでしょう。施設長には大変ご迷惑をお掛けしますがどうぞよろしく」
リュウは顔面蒼白でガクガクと震えだした司祭をちらと見て、ふんと一つ鼻で笑い、そのまま部屋を後にした。