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(五)予言者の死

 首都ウルクの外れにある森の中の質素な一軒家に多くの人が詰めかけていた。
 国王の側近、大司教、騎士団の総長、他にも商人組合の長や石職人の代表ら、各界の主だった顔が大勢集まっていた。重責を担い、国を支えるものたちが、かくも多くこんな辺鄙な場所に集まっているのには理由があった。今日、預言者エトが最後の預言を与えると連絡があったからであった。

 預言者エトは神の言葉を聞くことのできる唯一の人間であった。神は常にエトを通じて御言葉を伝え、その御心を世界に伝えてきた。ところがこの十年というものエトは黙したまま語らず、じっと家に引きこもり、国王や教会からの招請があっても、ついぞ家を出ることはなかった。そのエトが齢百を超えて己の死期を悟ったのか、最後に神の言葉を告げたいと言い出したのだった。

 

預言者の死

 

 エトの寝室は人で埋まっていた。長年付き添った従者が恐る恐る、眠っているかのように目を閉じていたエトに皆が集まった旨を伝えた。エトはうっすらと目を開いた。目ヤニが溜まったその顔には、長年の辛苦を思わせる深い皺が何本も刻まれていた。白い髭が胸元まで伸びていたが、それももはや干からびた蜘蛛の巣の如くに精気が失われていた。エトは集まったものたちを見ると、憂いの面持ちで静かに語り始めた。

「――これは、私がそなたたちに与える最後の言葉になるであろう。私はこれまで幾度となく、民衆の間に広まっている乱れを正せと声をからしてきた。しかし民衆の中に生じた悪は消え去るどころか人々に蔓延し、今や神の御名は地に堕ち、国中に悪がはびこっている。それをご覧になられた神は私の無力さに呆れかえり、この十年もの間、私の問いかけにも応えてくださらず、私は皆に語る言葉を失ってしまった」

 エトは一つ息をついた。
「ところが三日前の晩、私が眠っていると神が私の名前を呼ぶのが聞こえた。私は目を開いた。そこは光に包まれた神殿のような場所だったが、神は高い御座にお座りになされ、私に御言葉を授けてくださった。そしてその御言葉をお前たちに伝えよとおっしゃられたのだ」

 エトは皆にもっと近くに寄るように手を挙げた。男たちは神の言葉を聞き逃すまいと、エトが眠るベッドににじり寄った。

「神は僕たるこのエトにこう言われた。
『わたしは塵から人をつくり、命を与えた。私は人を自分の思うままに作ることもできたが、あえて、そうはしなかった。あくまでも自由な意思をもつものとして作った。自由な意思を持つ人が自らの意思で、わたしを称えることを望んだからだ。わたしに服従することを宿命づけられて作られたとしたら、そんなものたちの祈りがわたしにとってなんの価値があろう。だから人はすべての行為を自分の意思で行うことができるのである。ところが、人はその自由な意思で正しい道を進もうとせず、悪をなすことにのみ夢中になっている。私は人が自らの行いを悔い、私のもとに帰ってくることをひたすら願った。だが結局、それは報われることはなかった。そして私の怒りはいまや水瓶を超えるまでに達した。かつて私は悪徳に満ちた世界を幾度となく滅ぼしてきた。今再び、その時がやってきたのだ。私はお前たちの世界にリバイアサンを放っておいた。リバイアサンはお前たちの中にはびこる悪徳を餌として食らい、日々成長している。あと三年の後にリバイアサンはお前たちの世界を悉く破壊し尽くすであろう。エトよ、このことを人々に告げ、わたしの意志を知らしめよ』」

 エトの言葉が終わるや否や国王の側近がエトのベッドに手をかけて叫んだ。

「預言者エトよ! それは真の神の御言葉ですか。それはあんまりな御言葉だ。いったい、私たちのどこに悪徳などというものがあるというのでしょうか。民は慈しみあってお互いを助け合い、上に立つものはその高貴な責任を果たすべき日夜努力しているというのに、神は我々の姿をご覧なっていないのでしょうか?」

 その言葉を遮るように、大司教が声をあげた。

「預言者エトよ、私はあなたに十分な敬意を表すものですが、今の言葉は腑に落ちません。教会は神と共にあり、我々は日々神に祈りを欠かさない。神は我々の真摯な祈りをいつも暖かくお聞きくださっている。まさかとは思うが、あなたは自分の考えを神の言葉を借りて広めようとしているだけではありませんか」

 さらに騎士団長が大声を上げた。

「預言者エトよ、あなたの仰る言葉はあまりに惨い。神は私たちを愛してらっしゃらないというのか。私たちがどれほど神を愛しているかお分かりになっていないというのか。私たちが神のために日夜捧げているこの心をお疑いなのか。もしお疑いだというのであれば、今この場でこの胸を切り裂き、私の清廉潔白な心中をお見せしたい」

 エトは再び手をあげて議論を制した。

「神はこうもおっしゃった。
『わたしは、いまこの瞬間をも人を愛している。人がわたしに嘘をつき、わたしを罵り、わたしを敬わぬとしてもだ。だから、わたしは人に機会を与えようと思う。もしリバイアサンがまだ力を蓄えぬうちに捕らえて、殺すことができれば人は救われる。人々よ、よく考えよ。リバイアサンとは人である』」

 エトは弱々しくそう言うと、疲れたように目を閉じた。
 その言葉を聞いた人々は狂気じみた声を上げてがやがやと周囲の者たちと話していたが、こうしてはおられぬと蜘蛛の子を散らすように駆け去っていった。

 さきほどまでの喧騒が嘘のように静まり返ったエトの寝室に、皆を送り出した従者が戻ってきた。従者がエトのもとに行くと、既にエトは微笑みを浮かべて息絶えていた。その微笑みはようやく神の御許にいけた喜びなのであろうか、もしかすると世界の終焉を見ることなくこの世を去ることができた喜びであったのかもしれない。こうして神の言葉を聞くことのできる唯一の預言者はこの世を去った。それはあの惨劇があった夜から数えて、ちょうど六年目の日のことであった。

 エトの死とエトが最後に残した預言はまたたくまに国中に報じられたが、世界が滅びるという恐るべき預言にも関わらず、市民の混乱はほとんどなかった。もちろん中には街角で騒ぎ立てるものもいたが、大抵の人々はあまりに信じがたい話に、そんなことがありえるはずがないと高を括るのみで、大仰に騒ぐものを侮蔑の目で見つめるだけだった。繁華街ではエトとエトの預言を風刺した戯れ唄がはやり、世の中が破滅するなら一層この世の享楽を楽しめとばかりに、毎夜毎夜淫らな嬌声と笑い声が空を賑わした。

 かと言って、人びとを責めるのは酷なのかもしれない。この豊かで平和な世界がある日突然終わりを迎えるなどと、そんな話を信じろと言う方が土台無理であった。しかも世界を破壊するのが、リバイアサンとかいう怪物のような人間だというのでは、人びとが真に受けないのもやむをえなかった。
 しかし国を預かるものたちはそうとばかりは言ってはいられなかった。司法大臣は全国の警察署にふれを出し、リバイアサンと関係がありそうな情報を至急集めさせるとともに治安の強化を徹底した。結果、国中の前科者や浮浪者、反体制者が吊るし上げられた。その中には冤罪のものも多くいたが、警察が十分な取り調べなどするはずもなく、汚いものは汚いという先入観と卑劣な告げ口により、死んだ方がましというような拷問が繰り返された。だが、多くの市民は国の方針に万雷の喝采をあげた。

 自分たちに害が及ばなければそれでよかったのだった。連行されるものたちは前科者にせよ、浮浪者にせよ、自分たちとは縁遠い世界にいる余計な人間たちだった。そんなものたちがどうなろうが、却って街が綺麗になるとしか思っていなかった。多くの罪なき者たちの血が流された。正義を求める数少ない人々の叫びは天に満ち満ちていた。

 

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