リュウはマナハイムを飛び出した夜からいっときも休むこともなく、ひたすら道を急いでいた。どこに行くあてもなかったがマナハイムの近くに留まっているのは危険であることは分かり切っていた。
騒がしい表街道は避けて裏道を歩いていたが、それでも至る所に関所ができているため大きく迂回せざるをえず、なかなか先に進むことができなかった。しかしその警備の物々しさには妙な違和感を覚えた。最初は自分が犯した殺人のせいかと思ったが、それにしては大げさすぎるほど早馬が何度も走ったり、騎馬隊や兵士の群れがときおり駆けて行った。結局、リュウは昼間は動くのをやめて、夜間のみ移動することにしたのだった。
午後の昼下がり、リュウが木の上で休んでいると下の方で何か騒ぐ音が聞こえた。リュウは神経を集中させて下の気配を伺った。どうやら誰かが追剥どもに追われているようだった。追われていたものはちょうどリュウが休んでいた木の下まで来たところで力尽きてへたり込んだ。
「この野郎、てこずらせやがって」追剥の一人が、はあはあと息を切らしながら怒鳴った。
「見逃がしてください。私はただの商人です」
「ふん、どうせこんな抜け道を使うなんぞ、ろくな商売でもあるまい。大方、麻薬か何かを運んでいるんだろうが」
「そんなことはございません。これは薬です。娘が大変な病を患っており、どうにか病に聞くという薬を探し当てて、家に戻るところなのでございます。お願いです、どうか見逃してください」
「薬だと。だったら荷を開けてみろ」
商人はやむをえないと思ったのか荷を解いて、中身の一つを追剥に差し出した。追剥の一人がそれを手に取って包みを開き、胡散臭そうに見つめた。
「ご覧のとおりです。ただの薬でございます」
「娘一人のためにしては、たくさん持っているじゃねえか」
「私は、普段は薬を商っておりますので、商いに使う分も贖ってきただけです」
「ならば、金はあろう」
「お金は全て、この薬を買うのに使ってしまいました」
「ああ言えばこういいやがる。口が達者なやつだ――お前のような男は好かん。お前みたいな野郎が一番性質が悪いと相場が決まっている」
追剥の一人が吐き捨てるように言った。
「おい、どうせこいつは俺たちの顔を見ちまったんだ。生かしてはおけん。叩っ切るしかあるまい」もう一人が冷たい声で言った。
「そ、そんな、私が死んだら、娘一人では生きてはいけません」
「てめえの娘のことなど知ったことかよ。薬がなければ死ぬような娘なんぞ、生きてる価値もあるまい。まあ、運よく生き残ったら孤児院にでも入れてもらえ。あそこの臭えガキどもに散々嬲られれば、そのうち男の味を覚えて商売女にでもなろうさ」そう言うと追剥たちはゲラゲラと笑った。
その時だった。木の上で一部始終を聞いていたリュウが、おいと追剥たちに声を掛けた。その声に驚いた追剥たちは、きょろきょろとあたりを見渡していたが、やっと気づいたように頭上を見上げた。
「なんだてめえ、そんなとこに隠れていやがるとは――てめえ、俺たちの話を聞いたな。さっさと、降りてこい!」追剥が凄んだ。
「――てめえらの話なんかどうだっていいが、最後の一言だけは聞き捨てにできねえな」
そう言うと、リュウは木の上から飛び降りて、男たちの前に立った。追剥はリュウがまだ大人になり切れていない少年だとみると、薄ら笑いを浮かべた。
「さては、てめえも薄汚ねえ孤児院あがりのごみ野郎の一人か……」
調子に乗って悪罵を吐こうとした追剥の口の中に、いつの間にかリュウの剣が突っ込まれていた。追剥はそれ以上言葉を出すこともできず、二、三歩後ずさりして、そのまま倒れた。
「おい、臭えガキに殺される気分はどうだ」
リュウは汚物を見るような目で、喉を貫かれて死んだ男の顔に唾を吐いた。
「って、てめええ……」
もう一人の追剥が言えたのは、たったそれだけだった。リュウの剣はあっという間にもう一人の追剥の喉をも貫いていた。
放心したようにその様子をみていた商人は、二人目の追剥が倒れると今度はリュウの顔を食いいるように見つめた。そして、リュウが自分を襲ってこないことが分かると、急にリュウの前に這い進み、神を拝むように手を合わせ、感謝の言葉を浴びせかけた。リュウはその言葉をうるさそうに聞いていたが、腹が空いているのを思い出し、腹に手をあてて言った。
「別にあんたに感謝される筋合いはない。気に入らねえから、やっただけのことだ。だけどまあ、感謝してるってんなら、何か食いものはないか。この数日、何も食ってないんだ」
「そんなことならお安い御用です。ここにライ麦のパンがあります。ああ、せっかくだから、いますぐスープも作りますのでここで休んでいてください」
ついさっきまで死にそうな顔をしていた男が、急に目を輝かせて食事の準備を始めるのをみて、リュウは少し苦笑いしたが、腹が減っているのは事実なので男の好意に甘えることにして木の根元に腰を下ろした。商人はいそいそと焚火の準備を始め、鍋を火にかけた。荷箱から芋や玉ねぎや人参を取り出し、ざくざくと切って鍋に入れた。ぐつぐつと煮え始めてくると、荷箱からいくつか粉末を取り出して、その中に振り掛けた。
「これは、東の国の調味料で大変いい出汁がとれます。あなたもきっとお気に召すと思いますよ」商人は笑いながら言った。
確かにあたりに漂う匂いは、リュウがこれまで嗅いだことがないような旨そうな香りで、思わず腹がぐうとなった。
「おっと、お腹が空いておいででしたね。すいません、もうできましたよ。どうぞ、たっぷりと召し上がりください」
商人は大きな椀にスープを注ぐと、そそくさとリュウに手渡した。リュウはあまりに旨そうな匂いに我慢ができず、がつがつと食べ始めた。ものも言わずひたすらパンとスープをかきこんだが、ようやく腹が満ちたと見えて、リュウは椀を置いた。そのとたん、リュウの口から大きなあくびが出た。急に腹がいっぱいになったためなのか、どうにも眠かった。これまでの疲れもあった。リュウは商人に少し休むと言って、ごろんと横になった。そして、あっという間に深い眠りに落ちていった。