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【聖書世界をモチーフにしたダークファンタジー小説】『リバイアサン』(八)狂気

 冷たい風が吹いていた。暗い雲が空全体を覆っていて、とにかく昏かった。草木一本はえていない荒涼たる大地が見果たす限り続いていた。空腹だった。なんでもいい、食べるものが欲しかった。それに寒かった。凍えるように寒かった。自分がなぜこんなところを歩いているのか分からなかった。いったい自分がどこから来たのか、どこに行こうとするのか……何も分からなかった。ただひたすら歩いていた。

 どこからか泣き声が聞こえていた。遠くの方……いや、誰かが近くで泣いている……誰かいるのか、自分のほかに誰かいるのか。誰でもいい、こんなところに一人でいたくない。誰でもいい、自分と一緒にいてほしい。どこにいるんだ。どこで泣いているんだ……どこにもいないじゃないか。誰が泣いているんだ。どこで泣いているんだ……もしかして、泣いているのは自分なのか……

 

 リュウはうっすらと目を開いた。体が妙に重く、頭が朦朧としていた。体中の筋肉や骨がギシギシと悲鳴をあげているような気がするのだが、感覚が麻痺しているのか何の痛みも感じなかった。

 リュウの目の前には男たちが並んでいた。狂ったような叫び声をあげて自分に向けて石を投げていた。石の一つがリュウの頭に当たった。ハンマーで叩かれたような衝撃があったが痛みは感じなかった。石があられの様に浴びせられた。石が右目にあたり、右目から光が消えた。顔中血だらけらしく、血が口に滴り落ちた。なぜか血の味だけは妙に生々しかった。

 誰かの叫び声が聞こえたと思ったら、急に投石がやんだ。リュウはゆっくりと顔をあげた。そこには着込んだ制服が今にもはち切れそうなくらいぶくぶくと太った男が一人、狂気じみた笑みを湛えてこちらを見ていた。

「おいリュウ! ようやくお目覚めのようだな!」

「……てめえか、一番見たくねえ面だ」リュウはつぶやくように言った。

「つれねえなあ、リュウ。俺はお前に会いたくて会いたくて、毎日たまらねえ思いで過ごしてたんだぜ――リュウ、てめえのおかげで、俺のペニスは使い物にならなくなっちまった。だがよ、驚くなよ! そんな状態でもやっぱり溜まるんだよ。その溜まったもんがどこにいくと思う。なんと頭にいくんだよ! そうするとな、お前を捕まえたら、どんな拷問をしてやろうかって、そんなことばかり考えるわけだよ。分かるだろ。どうしたら一番お前が苦しむかってことをよ、それこそ毎日、毎日考えるわけよ」

 リュウの剣でペニスを串刺しにされた警察署長は狂人のように目を輝かし、その口からはひっきりなしに涎が垂れていたが、そんなことに頓着することもなく、狂ったようにしゃべり続けた。

 

狂った男

 

「だがよ。せっかく考えた拷問であっけなくお前が死んじまったら、元も子もねえだろ。だから事前に試す必要があるってわけだ。お前が逃げ回っている間に、何度も何度も試したんだよ。お前にも見せたかったよ。おい、あの店の店主はミンチにしてやったよ。少しずつ肉を削いでな、それを挽肉にして焼いて、本人に食わせてたんだよ。背骨の脇の肉がまた旨そうでな。あいつ、涙垂らしながら食ってたよ。内臓まで食わせたかったんだが、間違って胃を取ってしまってな。あれは失敗だったわ。ふひひひひひひっ」

 署長は一人で腹を抱えて笑ったが、周囲の警官や市民たちはまるで死人の群れのように声一つなかった。

「俺がボコボコにして、ボロ雑巾のようになった女がいただろ、覚えてるよな。もともとはあいつのせいで俺の大事なペニスを奪われちまったんだから、あいつにもお仕置きをしないといかんだろ。だから皮をな、剥いでやったんだよ。これがまたひどく難しくてな、少しづつ剥がすのがポイントなんだよ。少しづつだぞ! するとな、おい想像できるか! なんと筋肉の筋がはっきり見えるんだよ! あれは驚きだったよ。だがまあ気色悪いもんだな。女ってのは見かけはいいが、結局、一皮剥くと不細工なもんだ。俺はある意味、ペニスが無くなって良かったのかもしれんな。あんな気色悪い生き物とまぐわうなんて、考えるだけで吐き気がするようになってなあ――ああ、なんの話をしていたんだっけ――おおそうだ、すっかり忘れてしまったわ。最近、なんだか物覚えが悪くてなってな。まあとにかく、あの二人の拷問は傑作だったよ。どちらもな、十時間は生きていたよ。店主の方が二時間ほど長く生きていたかな。女の方は俺がボコボコにしたから少し弱っていてな。今思うと可哀そうなことをしたもんだよ。もう少し優しくしておけば、もうちょっとだけ長く生きられたのになあ」

 警察署長の顔はもはや常人のものではなかった。悪魔というものがこの世にいるとすれば、まさに悪魔そのものであった。

「それで、ようやくお前を見つけたというわけだ――ところでリュウ、なんでお前がそんなところに磔にされているのか分かっているか? 分からない――そりゃそうだよな。お前が追剥どもから助けたという商人がいただろ。あいつが懸賞金欲しさに、お前を薬で眠らせて俺のところに通報したんだよ。いや大手柄だったよ。愛しい愛しいお前を見つけてくれたんだからな――だがどうも胡散臭いんで荷を調べてみたら、なんと麻薬を運んでおってな。これはなんだと聞くと、ぺらぺらと嘘ばかりついてなあ。娘がいるとかなんとかいうから、家を調べてみたら薄汚い猫が一匹おっただけだったわ。嘘はいかん、嘘はいかんぞ。神様も嘘はお嫌いだ。だからな、これ以上、嘘を言えぬように舌を抜いて、目をくりぬいて、頭をかち割ってやったよ」

 リュウは署長が機関銃のようにしゃべり散らすのを人ごとのように聞いていた。

「――なんだ、あまり興味なさそうだなあ。いや、すまんすまん。つまらない話ばかり聞かせてしまった。どうも、お前に会えた喜びで俺の頭はいかれちまったらしい。だが安心しろ、リュウ。次はきっとお前も気に入ると思うぞ」

 署長は凄まじい笑みを浮かべると、後ろから一人の女を引っ張ってきた。

「おい、この女は覚えているだろ。お前の馴染みのサラだ」

 その言葉を聞いた途端、リュウの脳細胞が覚醒した。それとともにもの凄い痛みが全身を襲ってきた。だがリュウの眼は目の前の女に釘付けになっていた。それは確かにあのサラだった。サラは口を封じられ、縄で縛られていたが、必死にもがいていた。

「おい、リュウ。こいつはどうしたらいいと思う。俺にペニスがあれば、この場でこいつを散々嬲った挙句に、ライオンに食わせるのを酒でも飲んで眺めたいんだが、あいにくとペニスがないんでなあ。となると、こいつのあそこに槍でも突っ込んでやればいいのかな。しかしそれじゃ、あっという間にくたばっちまうしな――おお、そうだ! お前のペニスをしゃぶらして、おっ立ったところを食いちぎらせるのというのはどうだ! お前もしばらく女を抱いておるまい。どうだ、こんな目にあってもお前のペニスがおっ立つのか、ぜひ見たいもんだ」

 署長はそう言うと、サラの口から縄を解いた。

「ほら、やつのズボンをずり下げて、あいつのペニスを可愛がってやれ。お前らのお得意の舌で、びんびんにおっ立たせてみろ。そんでしっかり咥えてしごいてやれ。だが、いく寸前に食いちぎるんだぞ。いかせては絶対にいかんぞお! うまくできたら、殺さずに俺の家のメイドとして豚のように飼ってやるぞ、ほら行け。市民みんなに見せてやれ。お前ら娼婦がどんだけ恥さらしで、汚いことをやってるかってことをな」

 署長は興奮のあまり、真っ赤になった顔をてからせながら、縄で縛られたサラの背中を剣でつつき、リュウの前に押し出した。

 サラはリュウの前まで歩いていくと、血まみれになったリュウの顔を見つめた。

「――リュウ、だいぶやられたね。せっかくの男前が台無しじゃないか」

「――そうか、前よりもだいぶいけてると思うけどな」

 こんな状態になっても不敵につぶやくリュウの姿にサラが小さく笑った。

「――リュウ、あんた昔、あたしに言ったね。娼婦だからって、へこたれてんじゃねえ、娼婦なら娼婦らしく、胸張って生きろって……リュウ、一つだけ聞いていい」

 サラは一歩、リュウの前ににじり寄った。

「……リュウはさ、死ぬのって怖い」

 リュウは、目の前に立つサラが少し震えているのが分かった。それを見たリュウは、にこと笑った。

 

美しい娼婦

 

「――サラ、俺は死ぬのなんてちっとも怖くねえ。俺が一番怖えのは自分に負けることだ。臆病な自分に負けることだ。卑屈な笑いを浮かべて、だらだらと生き永らえることだ――サラ、俺は負けねえよ。絶対に自分に負けねえ。そうじゃなかったら、俺じゃなくなっちまうだろ」

 そう語るリュウの片方だけ開いた目にまだ輝きがあった。その言葉どおり誇りを失っていない確かな証だった。サラはその光を綺麗だと思った。美しいと思った。そういう光を持つリュウだからこそ惹かれ、いや、好きだったんだと悟った。サラの顔にはもはや震えはなかった。サラにリュウに近づき、血まみれの顔を手で拭い、そして唇を重ねた。激しいキスだった。サラの口に血の味が混じった。だがその血はまだ熱かった。リュウの魂のように熱かった。サラは唇を離すと最後ににっこりとリュウに微笑み、そして署長の方を振り向いた。

「――あたしはしがない娼婦さ。だけど好きな男のためなら喜んで死ねる。あんたみたいな腐った豚にいくら金を積まれたって、脅されたって、決して心は渡さない。それが娼婦の生き方ってやつさ。分かったかこの豚野郎!」

 そう言った途端、サラの口から血がだらだらとこぼれた。サラは自分の舌を噛み切っていた。再びリュウの方を振り向いたサラは口から血を流しながら、よたよたとのリュウの側に近寄って、リュウの足を抱きかかえた。そしてまるで自身の命を捧げるかのように、リュウの足元に崩れ去った。

 リュウはその姿を目に焼き付けんばかりにじっと見つめていた。体の痛みはどこかに吹き飛んでいた。体の中で物狂しい何かが燃え滾った。

 リュウは天に向かって叫んだ。

「神よ、これがてめえが望んだ世界か! こんな世界に何の意味があるってんだ! てめえは自分勝手だ! こんな薄汚ねえ人の世を作って、その中で人がもだえ苦しむのを見て楽しんでやがる。てめえこそ、本当の豚野郎だ!」

 いつしか雨が降り始めていた。

 

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