同じように怒り狂っている男がいた。せっかく楽しみにしていた余興を台無しにされ、民衆の前で豚呼ばわりされた署長だった。署長はぷるぷると震えながら、物凄い形相でリュウの前に近づいてきた。
「――神など、どうだっていんだよ! てめえは俺に這いつくばらねえといけねえんだよ!」
そう言うと、署長は思いっきりリュウの顔面を殴った。何度も何度も殴った。前歯が折れた。鼻梁が折れた。残った左目からも光が消えた。それは拳による虐殺だった。
相変らず周囲は静まり返って、誰一人声を出すものはいなかった。みな署長の怒りが自分に及ぶの恐れて、見るに堪えぬ光景をひたすら我慢して見続けていた。
「――ほおお。ようやく少し気分が張れたわ。ちょっとだぞ、ほんのちょっとな——おい、聞こえてるかあ!」
そう言うと、署長はもはや顔面血だらけのリュウの顔を持ち上げた。リュウはかすかに息をしていた。
「――よかった。いやよかった。少し頭が切れてしまって、思わず殺してしまうところだった――さて、これからどうするかだが、お前らは俺のことを豚野郎なんて言ったよな。そりゃあんまりだぜ、そういうことを人に言っちゃいけねえよ。学校で礼儀を教わらなかったのか――そっか、てめえらは学校もいけねえ貧乏人だったな。だから貧乏人は生きる価値がねえんだよ。ごみあさって、まるで臭えどぶ鼠だ。こりゃまじな話だが、どうせならみんなおっ死んで欲しいもんだ。そうすれば俺の仕事もだいぶ楽になるだろ。お前もそう思わねえか――おっとまた余計なことを言ってしまった。どうも本当にな、最近頭が少し変なんだよ」
署長はそう言うと後ろを振り向いて、そこに突っ立っている部下に命令した。
「おい、あれを連れてこい。それとこいつの縄をきって地面に寝かせろ!」
わたわたと何人かの警官が集まり、リュウの縄を切るとそのまま地面に寝かせた。そして、別な警官が後ろの方から豚を数匹曳いてきた。
「おいリュウ、てめえはこれから豚に食われるんだよ。豚ってのは結構いやらしい奴でな、なんでも食うんだよ。でも少し、喰いやすいようにしておかねえとな」
署長はそう言うと、地面に転がったリュウの腹を剣でぐりぐりと切り裂いた。
「大丈夫だ。死なねえように皮だけ切っただけだ。どうだ、上手だろ——おお、お前の腸が見えるじゃねえか。これなら豚も喰いやすいだろ。豚だってそりゃあ、喰いやすい方がいいよなあ。リュウ、良かったなあ。豚に食われて死ねるなんて、てめえみてえな屑に取ってみれば本望だろう。少しは世の中の役にたって死ねるってもんだ。さあリュウ、俺はゆっくりと見物させてもらうぜ」
そう言うと、署長は部下が用意した椅子に座って、豚に囲まれたリュウを満足げに眺めた。リュウはもはや全身の感覚がなかった。ぴくりとも体を動かすことができなかった。ただ、頭だけが妙に覚めていた。
……まあ、俺の一生なんてこんなもんだろ。どうせいつか、どこかでのたれ死ぬと思ってたし、それが意外に早かっただけのことだ……しかし、いつも夢に見るあの泣き声は誰の声だったんだろうな。あれはやっぱり俺の声なのか……いや、誰かと一緒にいた気がするんだが……何言ってる……そんなこと、いまさらどうだっていい……もう疲れたよ。さっさと終わらせくれ……
豚が鼻を鳴らしながら、切り裂かれたリュウの腹に近寄ってきた。腹から出た血が地面に流れ出て、雨と混じり合っていた。署長は思わず身を乗り出した。これから起こるであろうことに頬が緩み、口からだらだらと涎がこぼれた。反対に周りにいた警官と市民は一斉に目を背けた。
豚たちが切り裂かれたリュウの腹に鼻をつっこみ、内臓を喰い漁る。腸を引き出し、肝臓を齧り、胃を貪り食う。そんなおぞましいショーが始まるはずだった。ところが豚たちはうろうろするばかりで、さっぱりリュウの傍に寄ろうとはしなかった。予想外のことに署長の怒りが再び爆発した。
「なんだ、この豚どもは!」そう言うと、後ろにいた警官から鞭をひったくり、豚をこっぴどく叩き始めた。
「この豚ども、さっさと喰わねえか! 言うことを聞かねえと、てめえらから先に喰っちまうぞ! こら、さっさと喰い漁れ!」
所長は豚の体を容赦なく鞭でひっぱたき、豚は哀れな声をあげて逃げ回った。豚以上に肥えた署長がはあはあと息を切らして、豚を追いかけまわす姿は滑稽そのものだった。その滑稽さを自覚したのか、署長はもう勘弁ならないとばかりに鞭を捨てると腰の剣を抜いて、豚の頭に叩きつけた。刃は豚の頭に食い込み、豚は断末魔の悲鳴を上げて、どうと倒れた。目を血走らせながらその様子を見ていた署長は、今度はリュウの方を振り向いた。
「せっかくの余興を悉くつぶしやがって――リュウ、てめえは悪運が強え野郎だな。おい、まだ死んじゃいねえよなあ。この隙に死なれたんじゃ、俺は一生もんもんとして暮らさねえといけねえじゃねえかよ。もう面倒くせえ、俺がてめえの内臓を全部引きずり出してやる」
そう言うと、署長は剣を持ってリュウのところに向かって歩き出した。リュウはもはや意識を失っていた。
「おい、起きろ! 気を失ったまんま殺したんじゃ、面白くもなんともねえんだよ! 起きやがれ、この糞鼠!」
署長はそう叫ぶと、リュウの顔を革靴で踏みつけた。
「てめえ、起きろ! まさか、死んだんじゃねえだろうな! こん畜生!」
署長は顔を真っ赤にして、狂ったような叫びをあげてリュウの頭を何度も何度も蹴りつけた。