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【聖書世界をモチーフにしたダークファンタジー小説】『リバイアサン』(十一)医師ルーク

 レインハルトはリュウが運び込まれた医者の家にいた。リュウはベッドの上に寝かされていたが、切り裂かれた腹は既に糸できちんと縫合されていた。リュウの傍にはリオラがいて、リュウの手を握り必死に祈っていた。

「どうだ。この男、助かるであろうか?」

 レインハルトは、手術をやり遂げて脱力したように椅子に座っていた医師に声を掛けた。医師はレインハルトの顔を見ると、答えにくそうに小さくつぶやいた。

「……だいぶ出血しております。内臓もだいぶ損傷しているようです。後は彼の生命力次第です。生きたいと願う力があれば、戻ってくるでしょう」

 レインハルトはその言葉を聞くと、改めてリュウの姿を眺めた。顔はひどく腫れ、体中が黒く変色し、至る所に出血の跡があった。呼吸は小さく、胸はほとんど動いていなかった。レインハルトはこれまでに何人も死にいく人を見てきたが、リュウの姿はそれに酷似していた。リュウの命の灯はまさに消えかけようとしていた。レインハルトは沈痛な面持ちで小さくため息をついた。

 

ベッドに横たわる少年

 

「そなた、名はなんという」

 しばらくリュウの姿を眺めていたレインハルトだったが、医師の方に向き直ると柔らかい口調で尋ねた。

「私はルークといいます」医師がおずおずと名乗った。

「ルークよ、いくつか聞きたいことがある。この少年のことを知っているか」

 ルークはリュウの方を眺めると、静かに頷いた。

「――はい、先に行われた剣技トーナメントで優勝した少年です。孤児院の出でトーナメントに優勝し、見事に王の騎士に選ばれた少年として、この街では知らぬものはありません」

「それ以前のことは知らぬか」

 レインハルトの言葉にルークは首を傾げた。

「その前のことは、よく知りません。お恥ずかしい話ですが、孤児院とは名ばかりで貧民窟よりもひどいところでして……街のものも敢えては近寄らぬのです」

「……そうか」

 レインハルトは少し落胆したようだったが、気を取り直すと再びルークに尋ねた。

「ところでさきほどの男のことだが、あの悪魔のような男を恐れる気持ちは分からなくもないが、それにしてもこの街の誰一人、あの男に異を唱えられないとはどうも腑に落ちぬ。何か深い仔細があるのではないか?」

 ルークはしばらく下を向いていたが、吹っ切れたように顔をあげた。

「聖騎士レインハルトよ、私たちはただの臆病者でした。神よりもあの悪魔を恐れてしまったのです。しかし今日、神の御業を見て、ようやく私も悟ることができました。神が私たちをご覧になっているということを――私たちの罪は到底許されるものではありません。私たちは全て罰せられるでしょう。でも私は神の御前に立つ日が来たら、甘んじて神の罰を受けようと思います。神の罰を受けることによって、この身の罪を贖いたいと思います」

「ルークよ、そなたがそう思ってくれて私もうれしい。神は信じるものをこそ救う。決して神を恐れるな。神を愛し、神の御心とともに生きるのだ。そうすれば、どんなことがあっても心安らかでいられる」

「レインハルトよ、あなたの言葉をこの胸に刻み、一生の宝として生きてまいります。あなたに比べれば塵のような私ではありますが、神の御心を広めることだけを残りの人生の務めとして、一生懸命に生きていきたいと思います」

 そう語るルークの顔には、今まで広場にいた大人たちの顔にはない輝きがあった。

「ところで、お尋ねのことですが、あの男があれほどに力を握ったのにはわけがあるのでございます――この街の知事が彼に力を与えたからでございます。しかも、この街の知事はただの知事ではありません。聖堂会の有力なマスターでもあるのです。あなたもご存じでしょう聖堂会のことは。聖堂会は教会を支える強大な組織です。その力はいまや教皇や国王ですら侮ることができぬほどになっております。その力を背景に知事はこの街を専制的に支配しているのでございます。あの警察署長のごときは知事の使いっぱしりに過ぎません」

 ルークの言う聖堂会のことは、当然、レインハルトも知っていた。聖堂会はここ十数年の内に、急にのし上がってきた組織だった。豊富な財力を武器に教会の大口スポンサーとなり、今や教会の運営にまで口を出すようになっていた。噂では国を支える大臣たちの半数以上が聖堂会のメンバーになっているということで、この国を実質的に動かしているのが聖堂会であることは誰もが知る暗黙の事実であった。

 レインハルトは少し考えこんでいたが、考えがまとまったと見えてルークに言った。

「この男の看病を頼む。私はその知事とやらのもとに行ってこよう」

 ルークはびっくりした様子でレインハルトの顔を見たが、レインハルトの力強い眼差しを見ているうちに、いつの間にかルークの顔はひきしまり、覚悟を持った男の顔に変わっていた。ルークはお任せくださいと力強く言った。

 ルークの言葉に満足したレインハルトは、今度はリオラの方を向いた。

「リオラよ、少し出かけてくる。この家で待たせてもらいなさい」

 リオラはレインハルトの顔を見ると、にこっと笑った。

「レインハルト、この人はきっと助かるよ」

 レインハルトはリオラの言葉を聞いて微笑んだ。

「お前がそう言うなら、この者は助かるであろう。リオラよ、この者を救ってやってくれ」

「分かったわ」

 そう言うと、リオラは再び祈りを始めた。
 レインハルトは、あとのことは任せたとルークに軽く頷き、そのまま家を出た。向かうのは知事公館であった。聖堂会の有力なマスターにして、知事としてこの街を支配する男。そして、その男はリュウが殺したカイファの父でもあった。

 

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