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【聖書世界をモチーフにしたダークファンタジー小説】『リバイアサン』(十二)ジュダという男

 この時代、敵の侵攻に備えるために国境都市は堅固な城壁に囲まれており、城の中央にその都市の最も重要な施設が集まっているのが普通で、マナハイムも同様の造りとなっていた。レインハルトは教会の尖塔が見える街の中央に向かって歩いていた。すると、そちらの方から兵士の一団が向かってくるのが見えた。一団はレインハルトの姿を見ると、急に走り出してきて、その周りを取り囲んだ。剣は構えてはいなかったが、明らかにレインハルトを連行するよう命令されていると見えて、どの兵士の顔にも緊張の色が見えていた。その中から隊長と思われる兵士がレインハルトの前に進み出て、硬い表情で言った。

 

兵士たち

 

「聖騎士レインハルトですか」

「いかにも、私がレインハルトだ」

「知事があなたに会いたいと仰せです。ご同道願えますか」

「私の方こそ、知事に会いに行こうと思っていたところだ」

「ならば、このままご案内申し上げる」

 残りの兵士たちは相変わらずレインハルトの周りを取り囲み、厳しい目でレインハルトを見つめていた。レインハルトは緊張した兵士たちの姿を眺めていたが、ふっと笑って肩をすくめ、道を歩き始めた。その動きに合わせるように兵士の一団も歩き出した。

 

 知事公館は街の中央にある非常に大きな屋敷だった。大きな庭があり、色とりどりの花が植えられ、匠の手になる偉人や英雄たちの銅像がいたるところに立ち並んでいた。ところどころに衛兵が立っていたが、一歩も動かぬその姿はまるでそれも銅像の一つであるかのような錯覚さえ感じさせた。

 隊長は大きな屋敷の正面玄関の前に立つと、礼儀正しくドアをノックした。するとドアが開き、中からちょび髭を生やした執事らしき男が出てきた。

「おお、これはこれはレインハルトどのか! 我が国の至宝、民の敬愛する偉大な英雄たるあなたにおいでいただけるなど光栄の至りです。さあ知事もお待ちです。どうぞ、こちらへ」

 執事は満面の笑みを浮かべ、レインハルトを中に誘った。兵士たちはその場にとどまり建物の中に入る様子はなかったが、レインハルトはまるで道化役者のようなこの執事の方にこそ、危険な臭いを感じ取った。だが唯一神を除いては恐れるということがないレインハルトの心は、この執事を前にしてもいささかも揺らぐことはなかった。レインハルトは恐れることなく屋敷の中に足を踏み入れた。

 屋敷の中は庭にもまして豪華であった。長く伸びた廊下に敷かれた厚手の絨毯、至る所に彫刻が並び、天井も美しい絵画で彩られていた。何人もの召使やメイドたちが、レインハルトが通るたびに一歩後ろに下がり礼儀正しく頭を下げたが、いずれも花のように美しいものたちであった。前を歩く執事はこの屋敷の豪華さを見せつけるのが楽しくてならないとばかりに浮き浮きとして、時折メイドたちに軽口を言いながら前を歩いていた。階段を登り、いつくつかのホールや部屋を通り過ぎ、二人はようやく大きなドアの前に立った。

 執事は相変わらず微笑みを絶やさず、ピアノを奏でるかのように優雅にドアを叩いた。そして静かに扉を開けると、慇懃に頭を下げてレインハルトに部屋に入るように手を指し伸ばした。レインハルトはそれを見ると、悠然と部屋に入っていった。

 部屋はそのひと間だけで優に家一軒ほどもある広さがあった。三面ある壁のうち一面は書棚に埋め尽くされ、もう一面は巨大な壁画が飾られ、残りの一面の前には銅像や剥製などのオブジェが並べられていた。部屋の中央には大きな黒檀の机があり、その前に金箔が張られたソファーとテーブルが置かれていた。そのソファーに金髪の男が一人、背中を見せて優雅に座っていた。

 金髪の男はレインハルトがそこに立っているのを承知していると思われるのに、まるでわざと聞かせているかのように心地よさげに鼻歌を鳴らしていた。

「……ジュダ様、レインハルト様がお見えになりましたが」

 執事は金髪の男が鼻歌を終えると、ようやく声をかけた。

 ジュダと呼ばれた男は、その声に今気づいたかのようにこちらを振り向くと、驚いたような顔をして立ち上がった。

「これは聖騎士レインハルトではないか! これアモン、なぜ早く言わぬのだ」

 ジュダは執事を叱りつけたが、何かそこには芝居をしているような、かすかな諧謔の匂いが感じられた。 

「申し訳ありません」

「もうよい、さっさと下がれ!」

 アモンと呼ばれた執事がそそくさと出ていくと、ジュダはレインハルトの前に立ち大仰にお辞儀した。

「これは聖騎士レインハルト。あなたのような方をこのようなあばら家にお招きできるとは――このジュダの一生の誉となりましょう」

 レインハルトは芝居がかったジュダの応対を遮るかのように手をあげた。

「ジュダ殿、私はあなたに聞きたいことがあって、立ち寄ったまでだ。媚、諂いは、人の心を腐らせると聞く。さっさと話をすませてしまいたいものだ」

「おお、聖騎士ともなればこの私などより、はるかに重き任を背負われておりますからな、確かに無駄なあいさつなどで時間をつぶすこともありますまい。さあ、こちらへどうぞ」

 ジュダが指し示すソファーに腰を下ろしたレインハルトは、対面に座ったジュダの顔を改めて眺めた。完璧な美貌であった。年のころは四十は超えているようだが、まだ二十代と言ってもいいような肌のつやと精気を漂わせていた。キャラメルを溶かしたような艶のある金髪、凛々しい眉毛、高く整った鼻筋、この男の前では、どんな美女ですら霞んでしまうとさえ思われた。

 

美しい男

 

 だが、聖騎士であるレインハルトの眼には、その美は何か不健康なもののように見えた。その神々しいばかりの面の内には何か禍々しいものが潜んでいるように感じられた。そんなレインハルトの心の内など少しも気にする風もなく、ジュダがにこやかに微笑みながら尋ねてきた。

「さて、私はあなたがこの街にいらしたと聞いて、まずはご挨拶をせねばと思い部下を迎えにいかせたのですが、あなたはどうやら私にお話があるとのこと――いったい、どのようなお話でしょうか」

「私はある用事があってこの街を訪れたのだが、思いもかけず、神をも恐れぬ非道な拷問の場面に出くわしてしまった。しかもその拷問をなしたる男はこの街の警察署長とのことだった――ジュダ殿、街のものに聞くと、その男に力と権限を与えたのは外ならぬあなたであると伺ったが、それは誠か。もし、そうであったとすればとても見過ごしにはできぬ。国王と教皇に書を送り、あなたの責任を追及せねばならぬ」

 そう言うと、レインハルトは厳しい目でジュダを見つめた。
 しかし、ジュダは全く動じることなく、まるで演技でもしているかのように我が身の潔白を訴え始めた。

「私もさきほど部下のものから聞きました。恐ろしいことです。あのような残虐な行為がこの平和の街マナハイムで起こったとは――あの男があのような暴虐をなす男だったとはついぞ知りませんでした。あの男は私の前ではまるで天使のように耳をくすぐり、甘い言葉でわたしの心を誑かしたのでございます。偽善だけは神以外には見抜けぬと言われております。凡庸な私ごときがあの悪魔の正体を見抜けなかったのは、やむをえないことでございました。もちろん私はこの街の治安を預かる知事の役目を負っております。自身の罪を免れようなどとは露も思ってはおりません。私はさきほど、事情をつまびらかにした書状を書いて、国王と教皇に送ったところです。そのうえで厳正なる処罰を甘んじて受け入れる覚悟でございます」

 まるで神を前にして弁明しているかのように、ジュダは立ち上がり、大仰に手を広げ、懇願し、祈りをささげた。レインハルトはいつまでたっても終わりそうにないジュダの言葉を遮った。

「――ジュダ殿、するとあなたは、あの少年の処刑には一切関わっていないというのか」

「当然です。もし知っていたなら、法に基づき適正に処理したでしょう」

「聞くところによると、あの署長が処刑しようとした少年の罪状は、あなたの子息を殺したことがその理由だというが、それでもあなたはあの処刑に何も関わっていないというのか」

 レインハルトはジュダの心の動きをわずかでも見逃すまいとするかのようにジュダの目を見据えた。一瞬、ジュダの眼に揺らぎがあった。だがそれは動揺ではなかった。ましてや恐怖や焦りでもなかった。驚いたことにそれは喜びに似ていた。

「――聖騎士、レインハルトよ。確かにあの男は私の息子を殺した咎で処刑するのだと触れ回ったそうです。だがそれは全くの誤りです。カイファは確かに私の子どもですが、はっきり言って、ごみのような人間でした。どうして私から、あのような子供が生まれたのか、私自身困惑しております。確かにカイファはあのリュウという少年に殺されましたが、それもカイファがならずものたちを雇って、あの少年を殺そうとして返り討ちにあったのだそうです。まったく情けないというか、あきれ果てるというか――私はリュウという少年がカイファを殺してくれて、逆にお礼を言いたいくらいだ。あのようなくずを私の前から取り除いてくれてありがとうとね。だからもし署長が私に相談していたら、私はリュウという少年を褒めこそすれ、処刑などさせるわけがありません」

 ジュダはこれまでとは打って変わって、胸の内から込み上げてくる感情を必死に抑えるかのように言った。
 ジュダは身を乗り出してきた。

「あなたには本当のことを教えて差し上げましょう。あの署長はね、娼婦に乱暴したあげくに、たまたまそこに居合わせたリュウという少年の怒りをかって、自分のペニスをぐちゃぐちゃにされたんですよ――まったく、汚らしい娼婦に手をだすだけでもおぞましいのに薄汚い孤児に……いや、少し言葉が過ぎましたかな――とにかく、まだ大人にもならぬ少年にペニスまでもぎ取られたんですよ。それで腹立ちまぎれにあんな処刑を思いついたんです。いやはや、あの豚には心底幻滅させられましたよ。聖騎士レインハルトよ、聖騎士たるあなたであれば、私がどれだけ悔しい思いをしているかお判りのことでしょう! あなたと同じように神の御心に沿うことだけにいつも心を砕いているこの私の悔しさが。おお神よ、この染み一つない真っ白な私の心を見てください。全身全霊をかけて、あなたにお仕えすると誓った私の気高き心をご覧ください。わたしはあなたを愛します。あなたの怒りも愛します。だからどうぞ、この私にあなたの怒りをぶつけてください。私の無知ゆえに、あなたの顔を曇らせしまった愚かな私にどうぞ罰をお与えください!」

 そう言うと、ジュダは今度は神に乞うように天井をみつめ祈りを捧げた。その様子を冷ややかに見つめていたレインハルトは、もう茶番は十分とばかりにすくと立ち上がるとジュダに言い放った。

「ジュダ殿、どんな美辞麗句を重ねても神の眼はごまかせぬ。神の名を語って嘘をつくものは必ずや神の怒りを買い、あの男よりも悲惨な末路を迎えることになろう」

「おお、神の前で嘘をつくものには神の雷が訪れんことを! そのようなものは即座に地獄に送られるべきです。偉大なる神よ、あなたの御代が栄光に包まれますように!」

 ジュダは再び天に向かって大仰に叫んだが、レインハルトはその言葉を手で遮った。

「ところで、あなたの言うとおりだとすると、あのリュウという少年にはなんの罪もないようだ。よって、あのリュウという少年の身柄は私が預かることにするが、それでよかろうな。まさか異存はあるまいな」

 ジュダはレインハルトに向き直ると目に真摯な光を湛えて答えた。

「もちろんです。あのリュウという少年には何の罪もありません。あの少年の命が助かるよう私も神に祈りを捧げましょう。聖騎士レインハルトよ、あなたがこの街に来られて本当に良かった。あなたの薫陶を受ければ、あの少年もきっとあなたのような気高い騎士となることでしょう」

 レインハルトはその言葉を聞くと、それで十分とばかりに別れの言葉を交わすこともなくジュダに背を向けて部屋を出ていこうとした。レインハルトが扉のノブに手をかけた、その時だった。背後からジュダの声が聞こえた。

「聖騎士レインハルトよ。私はあなたに一つだけ忠告しておかねばなりません。神は愛するものにこそ試練を与える。あなたはこれから、恐るべき試練に会うことになるでしょう。あなたが試練に耐えかねて、神を呪うなどということがないように心から祈っておりますよ」

 レインハルトはその言葉に潜む毒をはっきりと感じたが、もはや振り返ることなく部屋を後にした。

 

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