ある朝、リュウが朝食を食べていると、今まで一度も顔を見せなかったレインハルトが突然部屋に入ってきた。レインハルトはリュウが朝食を全て平らげているのを見ると満足げに微笑み、リュウに声を掛けた。
「だいぶ、回復してきたようだな。そろそろ歩く訓練をした方がいいな。だいぶ体が鈍っているだろうからな」
リュウは部屋に入ってきたときからレインハルトを睨みつけていたが、その言葉を聞いた途端、レインハルトに噛みついた。
「おい、てめえがレインハルトか」
「ああ、そうだ」
「てめえ、勝手なことしやがって。俺はいつ、てめえに助けてくれなんて言った」
レインハルトはリュウの悪態を受けても一向に表情を変えることなく、悠揚として、ベッドの隣においてあった椅子に腰をかけた。
「俺はお前を助けてなどいない。お前を助けたのは神だ」
「――神だと、馬鹿馬鹿しい。そんなもんが本当にいるとでも思っていやがるのかよ――そういえば、てめえは神に選ばれた聖騎士とか言われてるらしいな。じゃあ聞くが、てめえは神に会ったことがあるのかよ。神と話したことがあるのかよ、どうなんだよ、言ってみろよ!」
「残念ながら、私は神の姿を見たこともなければ神の言葉を聞いたこともない」
レインハルトの言葉を聞いたリュウは鼻で笑った。
「はあ! 聖騎士とか言われてるやつが、神を見たこともねえのかよ――しょせん、そんなことだろう思ったよ。神なんているわけねえんだよ。だいたいこの世界を見てみろよ。この腐った世界をよ。もし神なんてもんがいたら、もうちっとはましな世界になってるだろうがよ。神なんてそもそもいねえんだよ。そんなことも分かんねえのかよ。てめえ、馬鹿じゃねえのか」
「そういうお前は賢いのか?」
「あたりまえだ! 神なんか信じているてめえなんかと違って、世の中の仕組みってのをよく知ってるぜ」
「それじゃ、教えてくれ。お前がいう世の中の仕組みというやつを」
レインハルトの顔は冗談を言っている風でもなく、まるで教えを乞うような真剣な面持ちだったので、リュウは一瞬言葉が詰まった。
「……ったく、てめえはよ。いい年して、そんなことも知らねえのかよ。じゃあ、教えてやる。この世はな、力があるやつが強えんだよ。力が強ければなんでも許されるんだよ。だから、力をつけなくちゃいけねえんだ。誰にも負けない力を手に入れなくちゃいけねえんだよ」
「力か……」レインハルトが低い声でつぶやいた。
「そうだ、力だ。力があれば、食い物にも困らねえ。いやな奴に頭を下げる必要もねえ。自分の好きなように生きられる。つまり力のある奴がこの世で一番強えってことだ――そうだてめえ、俺を旅に連れ出すつもりらしいが、俺は絶対行かねえからな。俺はこの傷が治ったら好きなところに行って、好きなように生きてやる。俺はてめえの言うことなんか一切聞かねえからな」
レインハルトは悪態をつくリュウをじっと見つめていた。その眼はリュウの心の奥底を見透かさんとしているようであった。
「リュウよ、お前の言うことももっともだ。弱い奴は力のある奴にすがって生きなくてはならない。だからこそ、お前は私に従わなければならない」
「なんだと! 俺がてめえより弱いってのか!」
リュウの眼が怒りに燃えた。だがレインハルトの顔は平静そのものだった。レインハルトは真っ赤な顔をしたリュウに向かって冷たく言い放った。
「そうだ、お前は私の足元にも及ばん。それどころか、そこら辺のチンピラどもにも勝てんだろうな」
「てめえ、ふざけやがって――俺はカイファとその取り巻きどもを二十人以上殺したんだぞ。それを知らねえのか」リュウが凄んだ。
「ならば、いま、そこら辺のチンピラを二、三人呼んでくるが、お前はその体でそいつらに勝てるというんだな」
レインハルトの言葉をきいて、リュウは一瞬声を失った。
「……いまは、こんな体だ……だが、傷が治ったら、そんな奴ら屁でもねえ。どんな奴が来たって、ぶっ殺してやる」
レインハルトは吐き捨てるように言うリュウを冷ややかに見つめた
「お前のいう力とは便利なものだな。自分が勝てそうもない時は、そうやって逃げ口上をうつのか」
「なんだと!」
「がっかりしたよ。お前のいう力とはそんな程度のものか」
レインハルトはそう言うと、すっと立ち上がり、部屋を出ていこうとした。
「てめえ待てよ。待ちやがれ! ふざけやがって、絶対許さねえからな、絶対てめえをぶっ殺してやる。忘れんじゃねえぞ!」
リュウはレインハルトの背中に向かって吠えた。
「ああ、覚えておこう。だが、このことも覚えておけ。俺はお前の傷が塞がったら、お前を完膚なきまで叩きのめしてやる。あのまま死んだ方が良かったと思うほど、ぶちのめしてやる――もう一つだけ言っておく。俺はお前の味方じゃない。だから、いつでもお前を殺すことができる。お前を生かしているのは、お前が役に立つ男かどうかまだ分からんからだ。お前が糞の役にも立たぬ男であると分かったときは即座に殺してやる。そのことを決して忘れるな」
レインハルトは振り返りもせずに静かにそう言って、部屋を出て行った。その声は決して激高したものではなかったが、リュウはその言葉に威圧されていた。我知らず、リュウの体は震えていた。止めようと思っても震えは止まらなかった。リュウは生まれて初めて、恐怖というものを感じた。