リュウはルークの指導のもとに歩行練習を開始していた。相変わらず側にはリオラがいて、リュウを見守っていた。
「だいぶ、歩けるようになったじゃない。この調子なら、あと二週間もすれば、すっかり元気になるね」リオラは嬉しそうに言った。
「なんで、てめえはいっつも俺の側にくっついてんだよ。目障りなんだよ、たまにはどっかにいけよ」リュウは憮然とした様子で言った。
「たまにはって、じゃ、だいたいは一緒にいてほしいんだ」リオラは笑った。
「ふざけんな! そんなわけねえだろ。てめえがいると気が散るんだよ。早くどっかいっちまえよ!」
「だ~め、あなたがちゃんと回復するまで私がお世話をするって、レインハルトと約束したんだもん。だから、わたしと離れたかったら、早く元気になることね」
「……つまり、てめえはあの野郎に頼まれて俺を見張ってるってわけだ」
「まあ、そういうこと」
「――じゃ、てめえも敵だ。俺はこの体が治ったら、やつをぶっ殺す。そしたら、てめえもぶっ殺してやる」
「いいよ」
事も無げに答えるリオラにリュウの方が驚いた。
「……なんだと」
「レインハルトが死んじゃったら、生きている意味がないし……もし、あなたがレインハルトを殺したら、そのときは私も殺してね。約束だよ、絶対だからね」
「……ふざけんな、馬鹿言ってんじゃねえ!」
慌てたように言い放つリュウを見て、リオラは小さく微笑んだ。
「――てめえも親なしか」
だいぶ歩いたので木陰で一休みしていたリュウが、隣にちょこんと座っているリオラに聞いた。
「うん、レインハルトに拾われたんだ」
「……あいつは、どんなやつだ」リュウは低い声で尋ねた。
「とっても優しい人よ。それにすごく暖かいんだ」
「……どこが優しいんだよ。血も涙もねえ野郎じゃねえか」
「それは、あなたがまだレインハルトを知らないからだよ」
「あんな奴のことなんか知りたくもねえ」
「じゃあ、なんで聞くのよ」
「……ったく、うるせえ奴だな」
「あなたが聞いてきたんでしょう」
「……で、どんな野郎なんだよ」
リオラは仏頂面をしながらも再びレインハルトのことを聞きたがるリュウを見て、くすっと笑った。そして遠くに浮かぶ雲を見ながら、ゆっくりと話し始めた。
レインハルトは孤児だった。親に捨てられ、ウルクの孤児院で育った。どこもそうであるように孤児院とは名ばかりで、貧民窟とさして変わらなかった。誰もがそうであるようにレインハルトも喧嘩、盗み、刃傷沙汰に明け暮れた。そしていつしかお尋ね者となり、警察に追われる身となった。レインハルトは山奥に逃げ込んだが、丸三日ほど歩きつくしたあげく、気力も薄れ、いつしか力尽きて倒れ果てていた。
レインハルトが目を覚ますと、年老いた老夫婦の家に寝かされていた。老夫婦は山の中で倒れているレインハルトを見つけると、彼らの家へと運び、ベッドに寝かせ、一生懸命看病してくれたのだった。
老夫婦の介護の甲斐あって、レインハルトはすぐに体力を取り戻した。老夫婦はレインハルトがお尋ね者であることを薄々知っていたようであったが、警察に通報することはなかった。それどころか、まるで我が子のように慈しみ、愛情をもって接してくれた。
レインハルトには生まれて初めての体験だった。レインハルトは不思議だった。どうして、自分のような無法者にこんなに親切にしてくれるのか。ある日、レインハルトは老夫婦にその訳を尋ねた。すると、老夫婦はこう言った。
「苦しみに喘ぎ、助けを求めるものが目の前にいるのに、どうして、ほっておくことができよう。私たちはあたりまえのことをしただけだよ。それにお前は早くに死んでしまった私たちの息子によく似ているのだよ。神様は老い先短い私たちを哀れに思召して、生きる喜びを与えてくださったに違いない」
レインハルトはその意味をしかとは理解できなかったが、老夫婦に受けた恩と愛情には報いたいと思い、老夫婦と一緒に暮らすようになった。そんな生活が一年も続いた。その頃には三人はまるで家族のように仲良く暮らしていた。
ある日、レインハルトは獣を取るために仕掛けた罠を見に山に入っていった。するとそこには、大きな猪がかかっていた。レインハルトは予想外の大物に喜び、今日はみんなで猪鍋でもしようと意気揚々と猪を担いで帰ってきた。
レインハルトは家に帰ってくると大声で、「帰ってきたよ! すごい土産があるよ!」とうれしそうに叫んだ。ところが、いつもなら無事に戻ってきたことが何よりもうれしいとばかりにレインハルトに駆け寄ってくる夫婦の姿はなく、それどころか物音ひとつしないのだった。家は乱雑に荒らされ、物が床に散らばっていた。
レインハルトは嫌な予感がして、肩に担いでいた猪を投げ捨てると、家の中を探し回った。夫婦は寝室で血を流して倒れていた。肩口から胸までざっくりと切られ、指輪を嵌めていた老婦の薬指が切断されていた。
レインハルトは呆然として二人のそばに座り込み、老夫婦の顔を見つめた。すると老婦がうっすらと目を開き、レインハルトに向かって弱弱しく手を伸ばした。レインハルトはその手をしかと握り、必死に呼びかけた。
「しっかりするんだ。死んじゃだめだめだ……母さん……母さん、死なないでくれ!」
その言葉を聞いた老婦は微笑んだ。そして、つぶやくように言った。
「――レインハルト、わたしを母さんと呼んでくれたの。うれしい、本当にうれしい。あなたに会えて本当に良かった。神様は私たちに幸せを恵んでくださった」
その声が聞こえたのか、老父もうっすらと目を開くとレインハルトの方に手を伸ばした。
「――レインハルトよ、お前は私たちの息子だ。お前は心根の優しい子だ。本当に強い心をもった子だ。レインハルト、お前は神に愛されているのだよ。だから、お前も神を愛するのだ。神の御心に沿うように努力するのだ。わたしたちは神の御許に召される時がきたようだ。だが、いつもお前を見守っているよ。お前がどんなに素晴らしい人間になるか本当に楽しみだ。私たちの子、レインハルトよ、立派な男になるんだぞ……」
その声が老父の最後の言葉だった。その言葉を聞いていたのか、老婦の顔にも笑みが浮かんでいたが、すでに息絶えていた。