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【聖書世界をモチーフにしたダークファンタジー小説】『リバイアサン』(二十一)屈辱 

 リュウの体はすっかり回復していた。

「ねえ、少しはゆっくり食べたら」

 リオラはもりもりと朝ご飯を食べるリュウの姿を見て、少し呆れ気味に言った。
 リュウは一気にスープを喉に流し込むと、ようやく満足したようにほっと息をついたが、すぐにリオラの方を向くと命令するように言った。

「おい、あの野郎に伝えてこい。今日こそ、てめえをぶっ殺すってな」

 リオラは悲しそうな目でリュウを見た。

「本当にやるの? レインハルトはいい人だよ」

「お前にはいい奴だろうが、そんなの俺には関係ねえ。俺はやつをぶっ殺すと決めた。だから、さっさとあいつを呼んで来い」

 リュウはそういうと、あとはリオラが何を言っても黙ったままだった。リオラは諦めたように部屋を出て行った。

 

 ルークの家の裏庭で、リュウとレインハルトが対峙していた。そんな二人をリオラとルークの二人が心配そうに眺めていた。

「おい、忘れちゃいねえだろうな。俺がてめえをぶっ殺すってことをよ――俺がてめえより弱いだと、ふざけんな! 今日こそ俺の強さを思い知らせてやる。俺の力を見くびった自分の間抜けさをあの世で後悔することだな」

 リュウはそういうと、剣を抜いた。レインハルトは何も言わなかった。剣すら抜かなかった。ただ、リュウの心を射抜くかのように黙ってじっとリュウを見つめていた。

「……てめえ、剣を抜けよ! 今さら臆病風に吹かれたかよ!」

 リュウが吠えたが、レインハルトの口は閉じたままだった。武器も持たず、ただ突っ立っていた。殺気もなく隙だらけだった。だがリュウは飛び掛かれなかった。体は隙だらけでも、その眼だけは隙がなかった。その眼は完全にリュウの体を射すくめていた。

「……おい、なんとか言え! てめえの喉を切り裂く前にな!」

「弱い奴ほど、よくしゃべる……」

 その言葉を聞いた瞬間、リュウの体内で何かが爆発した。リュウは飛んだ。今まで一度たりとも外すことがなかった必殺の突き、確実に相手を死に至らしめてきたリュウの突きがレインハルトに向かって放たれた。リオラは思わず目をつぶった。

 鈍い音が聞こえた。恐る恐るリオラが目を開けると、リュウの体が極限まで伸びて、レインハルトと重なるようになっていた。突かれたのか、そう思った瞬間、リュウの方が倒れていた。リュウの突きは紙一重でかわされ、無防備になった後頭部にレインハルトの強烈な拳が振り下ろされたのだった。レインハルトは地面に倒れ伏したリュウの胸倉を掴み上げると、もう一度強烈な拳をあびせた。リュウは後ろに吹っ飛んだ。

「てめえ……」

 口を開く間もなかった。その頭はレインハルトの丸太のような足に踏みつけられた。

「――どうした。それがお前の実力か」

「……くっそお!」

「お前が自慢する力など、しょせんこんなもんだ――」

 リュウは渾身の力を振り絞ったが、レインハルトの足は一ミリたりとも動くことはなかった。

「――どれほど力があるかと思えば、こんなものだったか――惨めなものだな、力だ力だと騒ぎ立てるくせに自分に蚊ほどの力もないというのは」

「……殺せ! 俺を殺せ!」

 リュウが絶叫した。

「ああ、殺してやる。お前など、糞の役にも立たんことがよく分かった。お前ごときがリバイアサンを倒すなどありえんことだ。こればかりはエトも間違っていたようだ」

 レインハルトはそういうと、初めて腰の刀を抜いた。そして、その刀をリュウの頬に突き付けた。その顔は日頃のレインハルトの顔とは似ても似つかぬものだった。その顔は憎悪に満ち、その眼は怒りに燃えていた。切っ先を突き付けられたリュウの頬から、血が噴き出していた。剣を握るレインハルトの腕に力が籠った。リュウは目を閉じた。死を覚悟した。

「レインハルト、やめて! その人を殺さないで!」

 リオラが叫んでいた。その言葉はレインハルトの心にかかっていた黒々とした靄を一瞬のうちに吹き飛ばした。レインハルトははっとして剣をリュウから離した。そして、リオラの方を向いた。リオラはまるで神に訴えるように手を合わせ、必死な面持ちでレインハルトを見つめていた。レインハルトは己を恥じるようにリオラから目を背けると、負け犬のように蹲るリュウを改めて見つめなおした。

 よく見るとリュウはまだ少年だった。それはまるで、かつての自分だった。力に憧れ、力を求め、喧嘩に明け暮れ、世界に唾することしかできない、かつて自分の姿がそこにあった。レインハルトはつぶやくように言った。

「……もう、お前に用はない。好きなところにいき、勝手気ままに生きればいい……それと、リオラに礼を言っておくことだな。今日お前が生きながらえたのはリオラがいたからだ。リオラがいなければ、お前は惨めに死んでいた……」

 レインハルトはそれだけ言うと、皆を残して家の中に入っていった。

 リオラは地べたに蹲るリュウに近づいていった。

「……大丈夫、怪我はない?」

 リュウの体は震えていた。何か呻いているようだった。リオラは気づいた。リュウは泣き声を押し殺しているのだと。体を震わせ、初めて味わう屈辱に耐えているのだと。リオラはそんなリュウの背中を優しく摩った。

 

地面に倒れた男

 

 レインハルトは椅子に座ると、自分を嘲笑うかのように苦笑した。聖騎士としてエトに選ばれ、神に仕えるものとしての修養と業を学んだ。エトとともに各地を旅しながら、自然とともに過ごし、世界が神の大いなる御業の結晶であることを悟った。己を律し、人を愛し、神を愛することの大切さを学んだ。それなのに……
 神を信じ、そのために命を尽くすと誓ったのは嘘だったのか。自分があの少年に殺されると預言され、気づかぬうちに自分のどこかに恐怖が棲みついていた。あの少年の獣のような眼を見たとき、心底、憎いと思った。殺してしまおうと思った。自分の中にはいまだ、あの孤児院の頃の腐った性根が残っていたのだ。自分のことしか考えない、卑しい心が残っていたのだ。レインハルトは自分自身に呆れた。死ぬことの恐怖など、とうの昔に捨てたと思っていた。エトに見いだされたとき、自分は死のうと思っていたのではなかったのか。だが、いまだに死を恐れる自分がいたのだ。死に怯える情けない自分がいたのだ。 

――父さん、母さん、俺はまだ、父さんたちの願ったような人間になれそうもないよ。父さんたちのように人のために命を投げ出す覚悟ができていない。それどころか、死に怯え、憎しみさえ抱いてしまった……父さん、母さん、俺に力をくれ、あなたたちのように人を信じる力を――

 レインハルトが祈りを捧げていたときだった。扉がバタンと開いた。レインハルトはそちらの方を振り向いた。そこにはリュウが立っていた。リュウはレインハルトを見つめたまま、しばらく黙っていた。レインハルトもまた少年らしい風貌を残したリュウをじっと見つめていた。

「……俺に、力を教えてくれ」

 リュウが不意に言った。

「……いや……力とは何かを教えてくれ。この世界のことを教えてくれ……」

 レインハルトは、朴訥に語るリュウを黙って見つめていたが、意を決したように言った。

「リュウよ、ともに学ぼう。私もお前と同じだ。お前と何も変わらないのだ。ともに学ぼう、力とは何か、生きるとは何か、神とは何かということを」

 レインハルトはそういうと、リュウの方に近寄り、リュウの肩に優しく手を置いた。リュウはどうしていいか分からず思わず頭を下げた。それはリュウが生まれて初めて示した行為だった。そんな二人をリオラとルークは嬉しそうに眺めていた。

 

頭を下げる男

 

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