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【聖書世界をモチーフにしたダークファンタジー小説】『リバイアサン』(二十四)ドラコ

「聖騎士レインハルトよ。あなたが想像しているのは全くの誤解です。この孤児院のことを全て説明しますので、どうぞ、その席にお座りください」

 男は薄笑いを浮かべ、レインハルトに座るように促した。レインハルトは目の前の男をしばらく見つめていたが、静かに席に腰を降ろした。それを見た男もにやりと笑うと、再び席についた。

「聖騎士レインハルトよ。私はこの施設の責任者のアザゾというものです。この施設は恵まれない子どもたちを養っていますが実は孤児院ではありません。それどころかもっと意義深い施設なのです。ここでは親の虐待に苦しむ子どもたちを引き取り、食を与え、技術を教え、あるものは大工に、あるものは鍛冶屋に、あるものは剣士に育てているのです。そして、大きくなれば世に送り出し、請け負ったものたちにはしっかりと賃金を支払うように指導し、子どもたちが十分に生活ができるようにしております。聖騎士、レインハルトよ、これのどこが不法だというのでしょう。私たちは、まさに神にかわり、救われない子どもたちを救っているのでございます」

 アザゾは満足げにそう言うと、レインハルトの返事を楽しむかのように組んだ両手に顎を乗せた。

「アザゾとやら。それが真実であれば、非礼を詫びてこのまま立ち去ろう。だがその前に子どもたちに会って、お前の言うことが真実であるかこの目でしかと確かめたいものだ」

 レインハルトの言葉に両脇の男はうろたえ気味にアザゾを見たが、アザゾはまったく動揺のそぶりをみせず、

「では、ご案内しましょう」と立ち上がった。それを見た二人の男も慌てて立ち上がったが、アザゾはそれを制した。

「お前たちはここに残っていなさい。あまり騒ぎ立てては、子どもたちもびっくりするだろうし、レインハルト様に妙な誤解をされても困るからね」アザゾは相変わらず薄笑いを浮かべて言った。そしてアザゾはそのまま奥の扉の方に歩み寄ると、どうぞとばかりにレインハルトを差し招いた。レインハルトは所在なさげに座っている二人を睨みつけるようにして立ち上がると、アザゾの後に続いた。

 

 アザゾは壁にかけてあったランプを手に取ると廊下を進み始めた。

「ここには現在、約五十人の子どもが暮らしています。彼らは四人一組で一つの部屋を占有しており、決して奴隷のように狭いところに押し込めているわけではありません。食事は朝昼晩と毎日三度、大ホールで一緒に食べさせます。午前中は年相応の教育を受けさせ、午後はそのものたちの希望や適性に基づいて職業訓練を行います。だいたい皆十五歳前後で立派に成長して、ここを出ていきます。確かにルールはあります。しかしそれは時間を守るとか、自分の身の回りのことは自分でするとか、自分勝手なことはしないとか、社会で生きていくために必要な至極当たり前のことばかりです。もちろん、ルールを守れない子どもには罰を与えることはありますが、それとても愛情をこめて行っており、いわれなく殴ったりするようなことは決してありません。まあ、百聞は一見に如かずともいいますので、私が説明するよりも、子どもたちの様子を一目見る方があなたも良くお分かりになるでしょう」

 アザゾはそう言うと、いくつか並んだ扉の一つの前に立ち、とんとんとノックした。するとすぐに中から、はいという返事が聞こえ、扉が開いた。

 そこには寝間着の上に上着を羽織った十四、五と思われる少年が毅然とした態度で立っており、「アザゾ様、なにか御用でしょうか?」と恭しく尋ねた。

「いや、こんな夜半に起こしてすまないな、ドラコ。お前と話したいという方がいらしてな」

 そう言うと、アザゾは後ろに立っていたレインハルトをドラコと呼ばれた少年に引き合わせた。

「この方は聖騎士レインハルト様だ。お前も名前は聞いたことがあろう」

 ドラコはびっくりしたような目でレインハルトを見つめた。

「レインハルト様、このドラコは今この施設で子どもたちの束ね役を任せているものです。この子に聞けば、子どもたちがここでどのような生活をしているか、よくお分かりになるでしょう。私がいては話しづらいこともありましょう。わたしはさきほどの部屋におりますので、話がお済になりましたら、どうぞお声をかけてください」

 アザゾはそういうと、あとは任せたよとドラコに言ってもとの部屋に戻っていった。

 

若い男

 

「狭いところですが、どうぞお入りください」

 ドラコは部屋のランプをつけるとレインハルトを中に案内した。他の三人の子どもたちも起きているようで、急いでドラコの横に並んだ。レインハルトは部屋に入ると、ぐるりと部屋を見渡した。部屋は思ったより広く、二階建てのベッドが二つと個人用の机が四つ、それに中央には談話用の大きいテーブルが一つあった。窓もあるが鉄格子がはめられているようなこともなく、庭から森が見渡せた。シーツも清潔そうで毛布も暖かそうであった。

 レインハルトは一通り部屋を眺め渡すと、今度は目の前に並んだ四人の顔を見つめた。どの子の顔も血色がよく、ぶたれたような痕はなかった。何よりも四人には孤児院に住むものたちによくあるような卑屈でおどおどとした態度がまったく感じられなかった。

 レインハルトは椅子に座ってもいいかねとドラコに尋ねた。ドラコはもちろんですと丁寧に答えた。

「ドラコよ、いくつか聞きたいことがあるのだが正直に話してほしい」

「はい、なんなりとお聞きください」

「君たちはここで辛い目に遭ってはいないかい」

「そんなことはありません」

「ここには誰もいない、正直に答えていんだよ」

 ドラコはレインハルトの言葉を聞くと、少し考えていたようだが、きっと顔をあげた。

「レインハルト様、私たちは親に捨てられてここに来ました。自分の親のことを悪くいいたくはありませんが、あんな親と暮らすくらいなら、ここでアザゾ様たちと暮らす方がどれだけ幸せかしれません。ここはまるで天国です。食べることができて、学問を学ばせてもらい、手に職まで与えてくれます。ここに住む子どもたちの誰一人として、親のもとに帰りたいなどというものはいないでしょう。わたしたちはここで本当の愛とは何かを知ることができました。わたしたちはここでしっかりと学び、いずれ聖堂会のためにこの身を捧げたいと思っております」

「ここは聖堂会によって運営されているのだね」

「そうです。聖堂会は私たちにとって父であり母です。いやそれ以上の存在です。私たちは聖堂会を愛しています。聖堂会のためなら、いつでもこの命を投げ捨てる覚悟です」

「ドラコよ、人が命を捧げるに値するお方は天におられるただ御一人の方しかおらぬのだよ」

「聖騎士レインハルト様にこんなことをいうのは憚られますが、わたしには神は理不尽に思えて仕方ありません。わたしの父は酒飲みでいつも暴力を奮う男でした。わたしと母はそいつにいつも殴られ、蹴られ、生傷の癒えたことは片時もありませんでした。母はそいつのために体を売って酒代を稼ぎ、そのわずかな残りでなんとか食いつないできたんです。しかし、病弱だった母は客からもらった病気がもとであっさりと死んでしまいました。母が死ぬと、父親は今度はまだ六歳の僕に働けといって、朝から晩まで辛い仕事を押し付けました。その間、父は酒ばかり飲んで近所の女と淫らなことをしていたのです。そしてある時、その女が僕の存在を疎ましく思い始め、結局僕はごみのように捨てられてここに来たのです。レインハルト様、神は私が苦しんでいるときにいったい何をしてくれたでしょう。神は何を思い、母を見殺しにし、今も都で酒を喰らっている屑のような父を野放しにしているのでしょうか」そう語るドラコの顔は真剣そのものだった。

 レインハルトはドラコの眼を見た。青白い炎をたたえたその眼は自身の不幸を嘆き、社会の不正に怒り、無情な神を呪ったかつての自分と全く同じであった。ドラコだけではなかった。他の三人も同じような眼をして、レインハルトを見つめていた。まるでレインハルトに、その答えを聞かせてくれと言わんばかりだった。レインハルトは一呼吸置いて話し始めた。

「ドラコよ、他のみんなもよくお聞き。確かにこの世界にはあまりにも理不尽なことが多い。汚辱にまみれ、不正がまかり通っている。だがそれは神のせいではない。人が自ら選択した結果なのだ。人が自らの意思で歩きたいと願ったからなのだ。神は情け深くも人の願いを聞き入れ、それをお許しくだされたのだ。だから人間が苦難の道を歩くのは神のせいではないのだ。自らが招いたことなのだ。世界が辛く厳しく、不正がまかり通り、汚辱にまみれているのは、人の心が汚らわしいからなのだ。この世界はまさに我々の心そのものなのだ。だから神を恨んではいけない。神は我々の心が見るに堪えぬほど汚らしいものであっても、いまだ私たちを愛しておられ、私たちに機会を与えてくださっているのだ。自分の心から神を棄ててはいけない。それは希望を捨てることだ。栄光につながる道を捨てることだ」

 レインハルトは言葉に心を込めてドラコたちに話した。だがドラコの心が動くことはなかった。

「聖騎士レインハルトよ。あなたは神に愛されているから、そんなことが言えるのです。この世界をみてください。今この瞬間にも小さな胸に抱えきれぬほどの苦しみをいだき、涙で頬を濡らしながら眠れぬ夜を過ごしているものたちの魂の叫びが聞こえませんか、鬼のような形相をしたけだものどもに何度も何度も殴りつけられ、助けてと悲鳴を上げている声が聞こえませんか――わたしには、はっきりと聞こえます。その声がわたしの魂を揺さぶり、今、この瞬間をもわたしの心を苛んでいます――わたしはこの世に神がいらっしゃることは信じます。しかし私は神に祈るだけで、救いの御手をただ待つだけの人間にはなりたくありません。救いを与えぬ神に変わり、わたしたちこそがこの世界の中で苦しみ、悶えている哀れな魂を救いたいと思っているのです」

 もはやレインハルトはドラコに対して何も言うことができなかった。神を愛する心は些かも揺らぐことはなかったが、神の御心をこの少年たちに届けることができない自分の愚かさ、情けなさを感じていた。レインハルトは最後に一つだけ聞いた。

「ドラコよ、他のものでもいい。もしこの施設を出たいと言うなら、私とともにここから出ぬか。お前たちの思いは私にもよく分かる。だが神の御心を知るには、もっと世界を知らねばならぬ。多くの人と会い、多くのことを学ばねばならぬ。その先にこそ、お前たちが抱いている疑問を解く鍵が秘められている」

 だが誰一人、その言葉に頷くものはいなかった。

「――ドラコよ、おまえたちが神に疑問を抱こうとも、今この瞬間もおまえたちの上には神がおいでになり、暖かい目でおまえたちを見守っていらっしゃる。生きるということは辛く、苦しいものだ。時にはたった一人で、それに立ち向かわなければならない。だが安心しなさい。神はそなたたちを決して見捨てはしない。いつかおまえたちも、それを理解することがあろう」

 レインハルトはそれだけを言うと寂しそうに立ち上がり、ドラコたちの部屋を後にした。
 

 レインハルトはアザゾたちの待つ部屋に戻った。

「おお、レインハルト様、話は終わりましたか。それで、あの子たちはなんと言っておりました。わたしたちが悪魔のようにあの子たちを鞭打っているとでも言っておりましたか」

 アザゾは、まるでレインハルトを挑発するように声をかけた。レインハルトはそれには答えず、アザゾの顔を見ると重々しく言った。

「アザゾよ、あの子たちがこの施設を出たいと望むときは決して妨げてはならぬぞ」

「もちろんでございます。今だって、いつでも逃げ出すことができますよ――まあ、今まで一人たりとも、そんなことはありまえんでしたがね」

 そういうと、アザゾは勝ち誇ったように笑った。その笑いは、まさにレインハルトを嘲り笑うものだった。レインハルトはその嘲りの声を後ろに聞きながら、館を後にした。

 レインハルトが去ると、アザゾはくくと笑いながら、その場にいた男たちに声をかけた。

「おい、お前たち、このことを早速ジュダ様に伝えるのだ」

「分かりました」男の一人が薄ら笑いを浮かべて立ち上がった。

「そうだな、こうお伝えしろ。『聖騎士レインハルトが館に現れ、子どもらを救わんとしましたが、逆に十五歳の子どもに言い負かされて、すごすごと逃げ出しました。やつの神は、もはやガキ一匹救えぬほど力をなくしております』とな」

 アザゾはそう言うと、もはや我慢できぬとばかりに笑い出した。その笑いに併せて、他の二人も腹を抱えて笑い転げた。神を嘲る声が天に響いた。だが、天は何も言わず黙したままだった。

 

嘲り笑う男

 

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