リュウは警官に囲まれて、小高い丘の上に立てられた大きな建物の中に連れて行かれた。そこは警察署ではなく、この街の行政を一手に引き受けている執政官の館であった。リュウはすぐさま大広間に連れて行かれ、豪奢な椅子の前に引き立てられた。後ろ手に縛られていたリュウは恐れる様子もなく傲然としてその場に突ったっていたが、いきなり怒声が響いたかと思うと後ろから蹴り倒された。
「執政官のお出ましであるぞ、頭が高い! 平伏さんか!」
よろめいて床に倒れたリュウの体を数人の警官が上から押さえつけた。それでもリュウは顔だけは挙げて、燃えるような目で目の前の椅子を見つめた。
しばらくすると鮮やかな赤いシルクの衣装を羽織った男が何人かの家来を伴って、そこに現れた。男は見すぼらしい格好のリュウを見ると、さもいやそうに顔をしかめて椅子に座った。しかし、家来がすぐに耳元でなにやら囁くのを聞くと、今度は憎々しげな面持ちでリュウを睨みつけた。
家来の一人が声をあげた。
「ここにおわすのは、今上陛下の弟君であるマナセ大公から、ゴランの統治の一切を委任されている執政官ザケエス様である。ただいまから、繁華街で起きた殺人事件についての審理を始める。まず警察隊長より、事件の報告を求める」
そう言われた警察隊長は一歩前に進むと、緊張気味に事件のあらましを語り始めた。
「ついさきほどゴランの繁華街で刃傷沙汰が起きているとの報告があり、当官がかけつけますと、この男がマナセ大公の長年の御友人であり、王の騎士の位をもつバラム殿をまさに殺めたところでした。目撃者も多数おり間違いのないところであります。しかもこの男は孤児上がりだと自ら名乗ったとのことでした」
その報告を聞いたザケエスはリュウの方を睨みつけて、
「それに相違ないか」と怒りを押し殺したような声で尋ねた。
リュウは体を抑えられていたが、にやりと笑い、「ああ、まちがいねえよ」と答えた。
それを聞いたザケエスは、「では貴様は王の騎士を殺害した咎で死刑とする」と述べ、もうこの場にいるのが耐えられないとばかりに椅子を立った。その瞬間、リュウが大声を張り上げた。
「ちょっと待てよ! 俺は確かにやつを殺った。だが奴も剣を抜いたんだ。剣士同士が剣を抜きあったら、それは決闘だろうが。決闘の果てに相手が死んだとしても、それは殺人とは呼ばねえはずじゃねえのかよ、それがこの世界の常識だろうが!」
ザケエスはそれを聞くと、憤慨したようにリュウを睨みつけた。
「お前は、その身なりで自分を剣士だなどとぬかすのか。剣士とはもっと堂々と威厳と慈愛に満ちたものを言うのだ! しかも貴様は孤児上がりだというではないか。薄汚い盗人の癖に剣士だなどと――笑止千万だ」
「はあっ! 威厳と慈愛に満ちただと。あの血も涙もねえ、臆病もんの豚野郎が、そうだっていうのか、それこそ、笑わせるぜ!」
「貴様、王の騎士であるバラム殿を誹謗するか!」
「誹謗もなにもねえ、あの場にいたものは誰だってそう思ったはずだ。おい、そうだろうが!」
リュウは怒鳴り声をあげると、自分を押さえつけている警官たちを睨みつけた。
「わたしはバラム殿をよく知っている。バラム殿は公正で愛情に溢れた名士であった。その方を非道に殺しておいて、しかもそんな出まかせをいって辱めるとは……だからこいつらは信用できんのだ。こいつらは生きるためだったら平気で嘘をつき、盗み、暴行なんでもやる。こんなやつらは一人残らず処分した方が街もきれいになってせいせいするというものだ――もう十分だ、今すぐこいつの首を刎ねろ。こいつの顔をみているだけで虫唾が走る」
「ふざけんな、ちょっと待てよ!」
リュウはなんとか体を動かそうとしたが、警官が数人がかりで必死に抑えているので抜け出すことができなかった。リュウの横に厳めしい顔をした隊長が立ち、剣をするりと抜くとリュウに声をかけた。
「最後に言い残すことはないか」
リュウは顔を真っ赤にして、ザケエスの方を向いた。
「ああ、最後に言ってやる。おい、そこの糞野郎、よく聞け! 孤児を生み出してるのは誰だ! てめえら、大人じゃねえか! 勝手にガキ作った癖に、面倒見切れなくなって捨てるから孤児になるんじぇねえか。しかもてめえらが作った社会のせいで孤児はいつまでたっても孤児上がりと言われて、世間から白い目で見られる。だから孤児は生きてくために盗みもするし、法も犯す。でもそれは、すべててめえらの作った糞だめのような社会の残飯を漁ってるだけだ! すべて、てめえらが撒いた種だ。覚えてろよ、いつかてめえらが撒いた種がでかくなって、てめえらを一人残らず、ぶっ殺すからな。こんな社会なんて、ぶっ壊してやるからな!」
ザケエスは怒り狂ったリュウの悪罵を聞くと、薄笑いを浮かべた。
「ほう、虫けらが人並みに青筋立てて、吠えおるわい。やはり虫けらは最後まで虫けらなのだなあ。お前らごとき虫けらが、いくら集まって騒いでも、ごみに群がる蠅のようなもので、我らはびくともせんわ。隊長よ、こいつの首を刎ねろ。そして、ごみとでも書いて街角に曝せ――そうだ、街中に害虫駆除をするとふれを出せ。そして明日から、こいつのような孤児どもを一人残らずかき集めて全部焼いてしまえ。それがいい、そうすればこの街もすっきりするわ」
その言葉を聞いた瞬間、リュウは怒りに燃えた。リュウは上で抑えていた男たちを振り払うとザケエスめがけて飛び掛かろうとした。だが周りにいた警官たちに防がれ、再び押さえつけられた。思わぬことにザケエスは思わず尻もちをつきそうになったが、凶悪なリュウの顔を見ると、殺せ、殺せと大声で叫んだ。
その時だった。広間の門が開き、男と少女が衛兵に案内されて入ってきた。レインハルトとリオラだった。
「誰だ貴様! おい、誰が入れろと言った!」
ザケエスは真っ赤な顔で、入ってきたものたちを怒鳴りつけた。だがその声は、より力強い声によってかき消された。
「ザケエスよ、私の顔を見忘れたというのか! 預言者エトによって選ばれた聖騎士の顔を!」
ザケエスは思わず、男の顔を見つめなおした。それはレインハルトであった。預言者エトによって選ばれた聖騎士。異教の蛮国が大軍をもって攻め込んできたとき、わずかの兵とともに敵陣に乗り込み、万の敵を蹴散らし、敵大将の首を取ってきた豪勇の男。現国王が我が弟とまで遇する我が国の至宝であった。
ザケエスは今までの醜態を忘れたかのように襟を正して、レインハルトに歩み寄った。
「これはこれは聖騎士レインハルトではありませんか。この街に御逗留とは知りませんでした。一言、仰っていただければ盛大なおもてなしをしたものを」
「ザケエスよ。そんなことよりも、その男のことで話があるのだ」
ザケエスは不審げな面持ちでレインハルトとリュウを眺めた。
「その男はいま、わたしとともに旅をしているもので、言葉遣いは荒いが決して悪をなすものではない」
「レインハルトよ。あなたのお言葉でも、こればかりは頷くことはできませんぞ。この男は王の騎士を殺害したのですぞ。しかもマナセ大公の長年の御友人のバラム殿をですぞ」
数人がかり抑えつけられながらもザケエスに飛び掛からんばかりの勢いでリュウが叫んだ。
「だから、いってんじゃねえか! やつとは決闘でけりをつけたんだと。何も一方的に殺したんじゃねえって!」
レインハルトはザケエスに言った。
「ザケエスよ、剣士が互いに剣を抜いたのであれば、それは決闘だ。まして最初に剣を抜いたのはバラムだと聞いている。ならばその少年のいうとおり殺人とは呼ばぬはずだ」
「レインハルトよ、それは剣士同士の話。このものはただの孤児上がりの無頼漢ではありませんか。そのものを剣士だなどとは――」
「ザケエスよ、この少年の言葉に嘘はない。この少年は確かに剣士だ。それもただの剣士ではない、この少年も王の騎士の一人だ。この少年は今年マナハイムで行われた剣技トーナメントで優勝し、王の騎士の資格を得ている。まだ王から正式に認可されてはおらぬが、すでに立派な剣士なのだ」
レインハルトの言葉を聞いたザケエスは驚きのあまり言葉を失い、まさかこの薄汚い男がと、リュウのことを何度も見なおした。レインハルトは追い打ちをかけるようにザケエスに告げた。
「しかも、そなたはバラムを王の騎士と呼ぶが、バラムは既にその資格をなくしている」
「……なんと、おっしゃった。王の資格をなくしたと――そんな話、私は一切聞いておりませんぞ」
「バラムは自分の奴隷を過剰なほどに鞭で叩き、その奴隷はそれが原因でその場で死んだそうだ。神の法たる律法にはこうある。『自分の奴隷を棒で殴打してその場で死なせた場合,必ず処罰される』と。王の騎士は民の規範となり、率先して神の法と国法を順守することを神と国王に誓うことになっているはずだ。であればバラムはこの時すでに王の騎士の資格をなくしたことになろう。違うか、ザケエスよ!」
レインハルトの厳しい言葉にザケエスは一瞬狼狽えたたが、それはそれとばかりに言葉を連ね始めた。
「――いやしかし、レインハルトよ。奴隷はしょせん奴隷ではないか。奴隷はもともと貧弱ですぐに悲鳴をあげる軟弱なものたち。あたりどころが悪ければ、運悪く死ぬこともあろう。そんな奴隷の命と王の資格を同じに扱うというのは、いくらなんでも……それでは他のものも皆、有罪になってしまうではないか……」
レインハルトはザケエスを厳しく見つめた。
「ザケエスよ、まさかそなたまで奴隷を鞭打ち、死なせているというのではなかろうな」
レインハルトのあまりの視線の厳しさに、ザケエスは慌てて手を振った。
「いや、勘違いされるな。わたしはそんなことはしておらぬ。そんな非道なことをするはずがないではないか。私はこの街の執政官だ。律法と国法を民に守らせるのが仕事ですぞ。そんなことがあるはずがない。そんなことは、決して――」
レインハルトはザケエスの言葉を遮るように言った。
「ならば、ザケエスよ。律法と国法を民に守らせるのが仕事である執政官のそなたに再度尋ねる。この少年は有罪か無罪かどちらだ」
ザケエスは唇を噛みしめるようにして、レインハルトとリュウを交互に眺めていたが、ついに諦めたようにつぶやいた。
「いや、あなたのおっしゃるとおりだ――この少年は無罪である」
その言葉が発せられた途端、警官たちはリュウの体を放した。その瞬間、リュウはザケエスに飛び掛かりそうになったが、レインハルトがリュウを抑えた。リュウは燃えるような瞳で、びくついているザケエスの様子を睨みつけていたが、もう十分だというレインハルトの囁き声を耳にすると、ふんと一つ鼻息をならし、警官から自分の剣をひったくって荒々しく広間から出て行った。
リオラがリュウを追うように走っていき、レインハルトもその場を去ろうとして、歩き出そうとした時、後ろからザケエスの声が聞こえた。
「聖騎士レインハルトよ。まさにあなたは神に選ばれたものだ。だが私はあなたのために忠告しておきますぞ。マナセ大公は決して今日のことを心良くは思われぬと思いますぞ。注意することですな。あなたは強大な力に歯向かおうとしている。それはとても危険なことですぞ」
「ザケエスよ、私が畏れるのは神ただ一人。私の身に何が起ころうとも、それは神がお決めになること。そして、私はそれを喜んで受け入れよう」
レインハルトは振り向くことなくそう言うと、静かに広間を出て行った。