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【聖書世界をモチーフにしたダークファンタジー小説】『リバイアサン』(三十七)アイン皇子

 王宮の庭を歩いている若者がいた。
 庭にはたくさんの花々がそれぞれの美しさを競い合うように咲き乱れていたが、この若者の美貌を前にしては、美しい花々も主役を譲らざるをえなかった。女官たちは皆うっとりとしてその若者の顔を眺め、男たちですら息が止まったようにその若者の姿を目で追ってしまうのであった。

 

美貌の皇子

 

 アイン皇子。
 マナセ大公の長子にして、次代の王を約束された若きプリンス。子どもに恵まれなかった国王ヨセウスは、ことのほかアインを可愛がり、三年前から王の側近く仕える身となり、今ではヨセウスの全幅の信頼を得て、ヨセウスの言葉は全てアインの口を通じて臣下に伝えられるのであった。しかしアイン皇子はただ美貌を誇るだけの若者ではなかった。学を好み武を尊び、そして何よりも何物も畏れぬ胆力を兼ね備えていた。

 こんな逸話があった。
 アイン皇子がまだ九歳の頃、側近たちと鹿狩りに出かけた折、すでにその頃から乗馬が巧であったアインは側近たちを引き離し、いつしか野に一人になっていた。恐れを知らぬアインは小高い丘に上がると近くの木に馬をつなぎ、そのままごろんと寝入ってしまった。

 どのくらいの時間がたったのか、馬が嘶く声が聞こえたアインは、はっとして目を覚ました。つないでいた馬が何かに怯えるように木の周りをせわしく動き回っていた。何かが近づいてくる気配を感じたアインはすっと立ち上がった。すると、背の高い草むらの中から牛ほどもある虎が姿を現した。馬は狂ったように嘶き、暴れまわったため、軽く木にかけてあっただけの手綱が外れ、馬は一目散に逃げて行ってしまった。

 だが、アインはそんなことには一切頓着しなかった。ただ、じっと虎だけを睨みつけていた。虎はアインを威嚇するように唸り声をあげたが、アインは微動だにしなかった。

 そのうちに虎の方がきょろきょろとして、アインの眼を避けるようになった。アインは、ゆっくりと近づいていった。虎は身動き一つせず、その場にじっと佇んでいたが、よく見ると、なんと虎の方が震えているのであった。ただの子どもを前にして、巨大で獰猛な虎が恐れおののいているのであった。

 アインはまるで王が臣下に与えるように虎の頭に手をあてた。すると虎は、平伏するかのように身をしゃがめた。それを満足げに見たアインは虎の背に飛び乗ると、何事もなかったように元来た道を戻っていった。

 驚いたのは側近たちであった。
 大きな虎が近づいてきたと思ったら、その背中にはアイン皇子が乗っており、まるで自分の愛馬のように虎を操っていたからである。

 この話はすぐに国中に広まり、アインの豪胆さと神にも匹敵する威風を備えた皇子として、感服せぬものはいなかった。そのアインもいまや十五歳となったが、その美しさはいや増し、神に勝る皇子として、国民の絶大な人気を誇っていた。

 

「アイン皇子、国王がお呼びです」

 側近の一人が花を見ていたアインを呼んだ。

アインは側近を振り返ると笑みを湛え、「――わかった。すぐにいく」と軽やかに答えた。

 アインが歩けば側近も女官も、花や木であっても身をよけて、偉大な皇子に道を譲った。それはアインにとって当然のことであり、奢りたかぶるわけでもなく、ごく自然に受け入れていた。

 ヨセウス王の寝室に入ったアインは、いつもの如くにヨセウスに深く拝礼し、王の言葉を待った。ヨセウスはアイン以外のものは全て立ち去るように指示すると、アインに近く寄るように言った。ヨセウスの言葉に従い、恭順の意を示しつつベッドに近づいたアインだったがヨセウスの顔を見て驚いた。

 今朝見た時はもう息をするのも絶え絶えとばかりな面持ちだったのに、今見ると顔色にはほんのりと赤みが差し、なによりもその体が一回りも二回りも大きく見えるのであった。

「アインよ。今日はお前に大事なことを伝えたいのだ」

 ヨセウスはアインに言ったが、その声音もアインを驚かせた。その声には張りがあって、今まで聞いたことがないような力強さがあった。

「なんでございましょう」アインは驚きを隠しながら、丁寧に答えた。

「さきほどレインハルトが参ってな――いや、そなたも知っておろうレインハルトのことは。預言者エトに見いだされた聖騎士であり、我が国の至宝、私が弟とも頼む偉大な男のことだ」

「はい、もちろん存じ上げております。レインハルト様を知らぬものなどこの国におりましょうか。わたしもいつかお会いしたいと思っていた方でございます」

 アインは恭しく答えた。

「そうか、それは残念なことをしてしまった。お前とレインハルトを会わせるのをすっかり忘れてしまっていた。私も少し興奮していたようだ」

「それが原因でございましょうか。陛下のお顔はまるでこの世に生を受けた赤子のように生き生きとして、生気に満ち溢れております」

「そうか――もしかすると、レインハルトは私の余命までも永らえさせてくれたのかもしれんな」ヨセウスは軽く微笑んだ。

「陛下のお元気な姿を見て、私も我がことのようにうれしく思います。して、何か大事な用があるとか」アインも微笑みを返しながら言った。

「そのことよ――お前も知っておろう、エトの預言のことを」

「預言者エトが最後に残した世界の滅びの預言のことですね」

「そうだ。レインハルトはエトの預言は真実であり、その言葉どおりこの世はあと三年でリバイアサンという怪物に滅ぼされると言うのだ」

「レインハルト様までもが……」アインは顔を曇らせた。

「だがレインハルトは諦めておらん。きっとその悪を見つけ出し、悪を一掃すると誓ってくれた。そして私に言うのだ。一緒に戦ってほしい、死ぬ間際まで力強く生きて欲しいと――わたしはその言葉を聞いて、自分がどれほど怠惰な道を歩んでいたか思い知らされた。この国の民とともに喜びも苦しみも分かち合わねばならぬ私が、民の声も聞かずこんなところでただじっと死を待つことに何の意味があろう。私はすっかり忘れてしまっていたのだ。わたしの務めは死ぬまで民とともに生き、民の声に耳を傾けることであったことを――リバイアサンはいわば私が作り出したようなものだ。私の怠惰が生んだものなのだ。アインよ、私は明日から、かつてのように政堂に立とうと思う。そして最後の日までその役目を果たさんと思うのだ。それが神が私に与えた使命であり、わたしが生きる意味なのだから――だがアインよ。私の命はいつ果てるともしれん。だから、今から私が言うことを臣民に伝えたいのだ。アインよ、お前は私の語ることを書き留めて、私の命として大臣どもに伝え、天下に知らしめよと告げるのだ」

 そう語るヨセウスの姿は、まるで神の如くに威風を放ち、アインをして瞠目させた。そして、アインが紙とペンを用意し筆記の準備が整うと、ヨセウスはゆっくりと語り始めた。

 

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