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【聖書世界をモチーフにしたダークファンタジー小説】『リバイアサン』(三十八)新時代

「臣民に告ぐ。

 この世に悪が蔓延り、神をあなどる風が広がっている。それは全て私の不徳の致すところであり、私の不明が撒いた種であった。だが、皆も今一度、己を顧みて欲しいのだ。そこに己の利欲のみを欲する心がありはしないだろうか。人に施しを与える気持ちを忘れてはいないだろうか。己さえよければ他人はどうなってもかまわないとする卑しい思いが心の中にありはしないだろうか。

 臣民よ、思い出して欲しい。私たちの国はいつもこのようであったろうか。今は豊かで平和な国となったが、かつてはこの国も戦禍に巻き込まれ、最愛のものたちを失い、明日の食事も事欠く日々があったことを思い出して欲しいのだ。そのとき私たちは互いになぐさめあい、食事を分かち合い、力を合わせてこの国を創り上げてきたのでなかったか。今、私たちが当たり前と思うことがどれほど尊いことだったかを思い出して欲しいのだ。その当たり前のことを与えて下さるのが、他ならぬ神だということを思い起こして欲しいのだ。神が人を愛して下さるからこそ、神は私たちに糧を与え、憩いを与えてくださる。暖かい日をもたらし、豊かな日々をもたらしてくれる。そのことに感謝すること、それが神を称えるということなのだということを今一度思い出して欲しいのだ。

 神はわたしたちに対して何を望んだであろう。わたしたちが到底捧げることのできないものを一度でも望んだことがあったろうか。神はご自身が富める者であり、わたしたちが貧者であることをよく知っておいでで、いつも私たちに計り知れないほどの恵みを与えてくださっているのだ。そのことに感謝し、神を讃えることがそれほど困難なことなのであろうか。預言者エトが伝えた神の言葉を思い出して欲しい。神は私たちが薄汚れてしまったいまでも私たちを愛してくださっているのだ。私たちが悔い改め、神のもとに戻ってくるのをひたすら待っておいでなのだ。臣民よ、あなたがたに求める前に、まず最初に私自身が神に仕えることをここに誓う。日々、神の名を讃え、神とともにある幸せに感謝することを誓う。最後の一瞬まで神を愛し、神のつくったこの世界を愛することを誓う。そして、同じように誓う。神の御手を煩わせることなく、私自身の手でこの国に蔓延る悪を放逐することを。私はこの国に蔓延る悪を決して見逃がしにはしない。きっと私の手であぶり出し、神に唾するものたちを厳しく罰する。

 臣民よ、喜んで欲しい。私たちは偉大な預言者エトを失ったが、私たちが愛する聖騎士レインハルトはいまだ健在で、私と共に悪を殲滅せんことを誓ってくれた。私はレインハルトとともに悪を一掃する。そして、それを成し遂げるためにレインハルトに不罰の権を与えることとした。この勅命がなされた後、レインハルトは私がもつ全ての力を代行することができる。そして、神を除いてはレインハルトは決して罰せられることはない。そして、私の寿命が尽きた後は、レインハルトはこの世界から悪を放逐するまでの間、この国を指導し、そして無事に任を全うした後に、しかるべき正当な王位継承者にその権を譲るものとする。これは、この国の王たるヨセウスの言葉であり、決して、取り消すことのできぬ勅命である」

 ヨセウスはそこまで言うと、安堵したように口を閉じた。

「――陛下、私は陛下の御側に仕えて三年になりますが、今日ほど陛下の御言葉が身に堪えたことはございません」

 アインはそう言うと、大事そうに紙を丸めて席を立った。

「陛下、今日はお疲れでしょうから、お早めにお休みください」そう言って、アインは窓際に歩み寄ってカーテンを閉め始めた。

 カーテンが一枚閉まるごとに外から降り注ぐ日の光は遮断され、室内は徐々に暗くなり、アインが最後のカーテンを閉じたときには部屋の中は宵闇よりも暗くなっていた。

 

暗い寝室

 

「アインよ、少し暗くはないか。これでは衰えた私の眼では何も見えぬわ」

 ヨセウスが少し笑いながら言った。

「何をおっしゃいます陛下。神の如き陛下であれば、どのようなものも見透かしておいででしょう」

 アインはそう言うと、今度は扉の方に歩み寄り、静かに内鍵をかけた。

「アインよ、本当に何も見えぬわ。枕もとのランプをつけておくれ」

「よく、分かっております。陛下が実は何もお見えになっていないことは……三年もの間、こんなにお側近く仕えてきた私の心さえもお分かりにならなかったのですから……」

「アイン……おまえ、何を……」

 その瞬間、アインはヨセウスの顔に枕を押し当て、狂ったように叫んでいた。

「あなたは私を愛していらっしゃったのではないのですか」

「私はあなたに三年もの間仕えてきたではありませんか」

「わたしよりもレインハルトの方が大事なのですか」

「このわたしよりもあんな男を愛していらっしゃるというのですか」

「あんな男に力を与えたら、いったい私はどうなるというのですか」

「あんな男に私が跪づかなければならないというのですか」

 アインは息を求めんと必死に暴れるヨセウスを押さえつけながら、ずっとしゃべり続けた。

「リバイアサンがなんだというのです」

「あの嘘つきで強欲な神の言葉を真に受けてどうするというのですか」

「あなたのような人がいるから、いつまでも人は神にひれ伏さなければならないのです」

「神は神以上のものによって征服されなければならないのです」

「そうすることでしか、この世界に平和は訪れないのです」

「あなたにはそれがわかっていない」

「今日私はあなたの言葉を聞いて、心底からあきれ果ててしまいました」

「あなたは不要な人間なんです。世界にとっても、私にとっても……」

 最後にアインがつぶやくように言った時には、既にヨセウスの体は動いていなかった。

 アインは何事もなかったかのように枕をもとに戻すと、窓辺に寄って、一枚一枚とカーテンを開いていった。カーテンを一枚開くごとに窓から光が舞いこみ、部屋はもとの明るさを取り戻していった。アインは再びベッドの側に近寄ると床に落ちていた紙を拾い上げた。

 アインは何も書かれていない紙をつまらなそうにもとの場所に戻すと、改めて、ヨセウスの顔を見た。ヨセウスの眼はかっと見開き、アインを睨んでいるように見えた。

 アインはそれを見てにこっと笑った。そして、ヨセウスの顔を思いっきり叩いた。

「なんと醜い顔なのです。こんな醜いあなたに私は三年もの間、仕えていたのですか――まあ、いいです。あなたの寵愛は私にとって必要なものでしたからね。しかし、それももう十分にいただきました。もはやあなたは無用の長物以外の何者でもありません。そう、あなたはもう死に時だったのです。あなたは私に感謝するべきかもしれない。無用な苦しみを味わうことなく、あっと言う間に死ねたのですから――さあ、これで私を遮るものは誰もいなくなった。残ったのは父親と呼ぶのさえ忌ま忌ましいあの愚かな大公だけだが、あんな男はどうとでもなる――もう少しだ。そうすれば私は歴史上、最も偉大なものになれる。あらゆるものを支配し、あらゆるものを跪かせてやることができる……あなたが惨めに這いつくばったあの神ですら私の足元にひれ伏すことになる……」

 アインはそうつぶやくと扉に向かった。そして、扉を大きく開け放つと、叫び声をあげながら回廊を走っていった。

「ヨセウス国王が崩御された! 偉大な帝王が今、お亡くなりになった!」

 アインの顔は紅潮し、その眼からは涙が溢れていた。その涙はもしかすると、真実の涙であったかもしれない。いよいよ世界と対峙する時が来た興奮と歓喜の涙であったのかもしれない。

 一週間後、マナセ国王の戴冠式が行われた。
 戴冠式には多くの有力者が参列し、マナセの越栄の御代を寿いでいた。その中には新しく司法大臣となったジュダの姿もあった。そして、マナセの右には皇太子となったアインの姿があった。そこに集まった多くの国民はマナセよりもアインの姿に見惚れていた。それほどにアインは神々しく、威厳に満ち溢れていた。新しい時代、それはいわばアインの時代といっても過言ではなかった。

 

戴冠式

 

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