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【聖書世界をモチーフにしたダークファンタジー小説】『リバイアサン』(四十二) 策謀渦巻く王宮

 レインハルトは謁見の間で群臣が立ち並ぶ中、新しい国王となったマナセの前に悠然と立っていた。レインハルトは聖騎士であり、これまでの習わしから国王と言えどレインハルトを膝まづかせることはできないからであった。マナセは、階下とはいえ自身と対等の如くに屹立するレインハルトを内心忌々しく思いながらも、表情は努めて柔らかくレインハルトに語り始めた。

 

謁見の間

 

「レインハルトよ、よく来てくれた。そなたも知っておろうが、兄ヨセウスが亡くなったばかりだというのに礼儀も知らぬイラルのものどものがこれ幸いと我が国に攻め寄せてきたのだ。我が軍も必死に戦っているのだが、イラルのものどもは兄ヨセウスが亡くなったことで士気が上がっているようで、いささか手こずっておる。なにせ、兄ヨセウスは過去の大戦でイラルのものどものを完膚なきまでに駆逐し、やつらにとっては目の上のたんこぶであったからな。だが幸いなことに我が国にはまだそなたがおる。そなたが赴けば、やつらはそなたの名を聞いただけで意気消沈し、もしやすると戦わずに兵を引き上げるかもしれん。どうだレインハルトよ。あの時と同じように、そなたの手で我が国を救ってもらえぬだろうか」

 レインハルトはマナセの言葉を黙って聞いていた。

「安心しろ、敵はたかだか一万とのことだ。万に適するそなたであれば一人でも十分事足りるであろう」

 マナセはレインハルトが黙ったままなので、安心させるかのように付け足した。その言葉を聞いて初めてレインハルトが口を開いた。

「たかだか一万の敵であれば、我が国の精兵が赴けばイラルを打倒するのはたやすいのではありませんか」

 その言葉はマナセの顔を一瞬にして凍り付かせた。マナセは次に発する言葉がなかなか喉から出てこず、困ったような顔をしてきょろきょろと階下の群臣たちを眺め渡した。その時、群臣の列の中から、一人の男が前に進み出た。その男こそ、今やマナセ国王の全面的な信頼を武器に国政の中心人物として存在感を増している司法大臣のジュダであった。

 ジュダはマナセに慇懃に一礼すると、レインハルトに向かって語り掛けてきた。

「レインハルト殿、あなたに再び見えることができるとはなんたる幸いでしょう。あなたとマナハイムでお会いできた喜びも束の間、それから数か月もたたぬうちに、私たちは偉大な先王を失ってしまいました。それ以来、私の心は悲しみに打ちひしがれ、何を見ても灰色に見え、何を食べても味もしない日々を過ごしておりましたが、今日あなたに会えて、ようやく一筋の光を見た思いがします」

 ジュダは相変わらず、その美しい美貌ににこやかな笑みを湛え、誰に向かって言っているのか、舞台で演じるがごとき様であった。

 レインハルトはジュダの方を振り向くことなく、ただひたすらマナセの方を見つめていたが、マナセはジュダがしゃべり出してくれて安堵したのか、ジュダの言うことにいちいち大仰に頷いていた。

「レインハルト殿、マナセ国王があなたにお任せしたいと仰ったのには、国王の寛大なるお心があるのです。国王は相手がイラルと言えど、無益な殺生はしたくないとお考えなのです。もちろん、我が国の精兵が赴けば、彼らを制圧することは手のひらを反すことよりもたやすいでしょう。しかしそうなれば、敵兵の多くの命が奪われ、我が国の兵士たちにもいかほどかの犠牲が伴うことになるでしょう。心優しき国王は一滴の血も流すことなく、この不毛な戦い終わらせたいと考えておいでなのです。あなたの武名はイラルどころか遠く異境の果てにまで轟き、もはや生ける伝説となっております。あなたが敵兵に呼び掛けるだけで、敵は蜘蛛の子を散らすがごとくに逃げ帰るのは必定でしょう。レインハルト殿、聖騎士たるあなたが、わずかな手間を惜しんで、あたら人の血が流れるのを黙って見逃すはずはありません。いや、聖騎士であるあなたであれば、我らが言わずとも率先して赴かれるに違いありません」

 マナセは自身を褒め称えるジュダの言葉に喜色満面の体で、さらに言葉を重ねた。

「私の思いはまさに今、ジュダが言ったとおりのことだ。レインハルトよ、私の平和への思いを汲んでくれぬか」

 レインハルトはこれがジュダの策略であり、自身を陥れる罠であることを理解していたが、レインハルトの口から出た言葉は意外なものであった。

「――神の御意思は時に人には諮りかねることすらありますが、神の御意思とあらば、このレインハルト、何を躊躇うことがありましょう。さっそくにも現地に赴き、イラルの兵に教え諭してまいりたいと思います」

「おお、行ってくれるか!」

 マナセは企みが成功したうれしさのあまり、思わず腰を上げて身を乗り出した。

「ただし、一つだけお願いがあります。供を連れていくことをお許しください」

 レインハルトの言葉にマナセの表情が曇った。

「供と……まさか、千人力のマッテオを連れていきたいと申すのか……」

「いや、マッテオは既に兵士を辞めて、平和に暮らしております。今更彼を戦地に連れ出したくはありません。私の従者のリュウという少年を連れてまいりたいのです」

「なんだ、そのようなことか。天下のレインハルトともあろうものが従者の一人二人連れていくのは当然のこと。許すも許さぬもない、そちの自由にしてよろしい」

 マナセの表情は一瞬にして回復し、うれしさを隠しきれない様子でレインハルトの申し出を許した。レインハルトはその言葉に一礼すると、誰とも目を合わせることなく、その場を後にした。満座のものは皆、レインハルトが快諾してくれたことに満足し、これで国も安泰と喜色に溢れていたが、その中でジュダ一人だけはその目に怪しい光を湛え、レインハルトが去っていった扉をずっと見つめていた。

 

 その日の夕方、レインハルトは何事もなかったように王宮から戻ってきた。そしてその晩、いつもどおりマッテオたちと一緒に夕食を食べていたが、急に思い出したように、イラルに対するために国境に向かうことになったことを淡々と告げた。皆その話を聞いて一瞬あっけに取られたが、急にマッテオが目を輝かせ、内心から込み上げる感情を抑えかねるように声を張り上げた。

「そうか! ようやく王宮の間抜けどももレインハルトに任せるのが一番だと悟ったか。いや、これはめでたい。我が国にとってなんともめでたいことだ――それで、いつ立つのだ。俺も兵士はとうの昔にやめちまったが、お前とともに戦うというのであれば、いつでもイラルのやつらと一戦する覚悟はできているぞ!」

  マッテオは再びレインハルトとともに戦えることがうれしくてならないとばかりにレインハルトの前に身を乗り出した。

  それを見たレインハルトはマッテオをなだめるように言った。

「マッテオよ、私が国境に向かうのは戦うためではない。兵を引くようにイラルのものたちに諭してくれと言われたから行くのだ。だから今回は私とリュウの二人だけでいくことにしようと思っている」

  それを聞いたマッテオは意外な言葉に眉をしかめて、到底納得できないとばかりにレインハルトに食ってかかった。

「待て、確かにお前が行けば、やつらは兵を引くかもしれん。だが二十年前の大戦を思い出してみろ。やつらは決して、ひ弱な腰抜けではなかったはずだ。やつらは味方の屍を乗り越えて、俺たちに挑んできたじゃないか。あいつらに言うことを聞かせるつもりなら、少なくてもひと暴れして、半分は殲滅せんことには、やつらとて耳を傾けるはずがないではないか。いくらお前が万に適するとしても、手勢があった方がいいに決まっている。俺はとうに兵士を辞めた男だが、まだまだそこらのひよっこどもに負けるとは思わん。千人力のマッテオと言われた俺の力がきっとお前の役に立つはずだ。なあレインハルトよ、お前だって、俺がいれば心丈夫だろう。また俺たちで天下に威名を轟かせようじゃないか!」

 レインハルトは酔っているかのように顔を真っ赤にして声を張り上げるマッテオの言葉を聞くと、今まで見せたことがないような恐ろしい顔つきになった。

「マッテオよ! お前はなんのために戦おうとしている。まさか過去の名声や栄光を夢見ているのではなかろうな! お前はもはや兵士ではない。そして、それはお前自身が決めたことではないか。ただ人を殺すだけの怪物になりかけたお前が、その体にまとわりついた血を振り落とすのにどれだけの年月がかかったのかお前はもう忘れてしまったのか――いま、ようやくお前は立派な鍛冶職人となり、お前を慕っている弟子たちが日々お前の下で熱心にその技を学びとらんとしているのではないか。その弟子たちを捨てて、己一人、とうの昔に捨て去ったはずの怪物に戻ろうというのか!」

  マッテオはレインハルトの雷鳴のような叱責を受けて、まるで親に叱られた子どものように体をすぼめて下を向いた。部屋中がしんと静まり返り、弟子たちも唇をかみしめて下を向いていた。

 レインハルトはそんなマッテオを見て、今度は優しく言った。

「マッテオよ、お前はもう立派な鍛冶職人だ。お前の手にもはや剣は似合わない。鉄を打つかなてここそが相応しいのだ。それに私はもうお前の体に血の一滴たりとも染みこませたくはないのだよ。マッテオよ、お前が私の身を案じていることもよく承知している。だが、これは神の御意思なのだよ。神が私にそこに行けとお命じになっているのだ。だからこそ、私は赴くのだ。王に頼まれたからいくのではない。私は私に与えられた使命と信念に基づいて、そこに赴くのだ。それが私の生きる道であり、証であるのだから」

 レインハルトは滾々と説いていたが、それはマッテオだけに向けた言葉ではなかった。顔を真っ青にさせてレインハルトの話を聞いているリオラに向けて語っているのでもあった。

 

涙を浮かべる美しい女

 

「――リオラよ、私はお前を決して一人にしないと約束した。だが少しの間だけ、ここで私たちが帰ってくるのを待っていて欲しいのだ――リオラ、これはどうしても必要なことなのだよ」

 レインハルトは優しい面持ちで隣に座ったリオラの髪をなでた。
 リオラはずっと泣きそうな顔をしていたが、無理に笑って言った。

「必ず私のもとに帰ってくる?」

 レインハルトはその言葉を聞いてにこやかに笑った。

「ああ、必ず帰ってくる。帰って来ないとお前の淹れてくれる美味しい紅茶が飲めなくなるからな。どんなことになっても必ずお前のもとに帰ってくるさ」

 レインハルトの言葉にリオラの目から涙が垂れた。リオラはそれを手でぬぐいながら、にこっと笑った。

「じゃあ、許してあげる。でも、絶対に帰ってくること。もし、あなたが帰って来なかったら私、イラルにだって行くんだからね」

「リオラよ、そのときは俺も一緒につきあうぜ。レインハルト、絶対に帰って来いよ。これは男と男の約束だからな」そう語るマッテオの目にもうっすらと光るものがあった。

 レインハルトは二人を見つめて、力強く頷いた。

「ああ、きっと帰ってくる。私にはまだやらなければならないことがあるのだから」

 

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