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【聖書世界をモチーフにしたダークファンタジー小説】『リバイアサン』(四十六) 若き日のレインハルト

 月明かりがあたりを照らす中、リュウとレインハルトは国境の街ダンを目指して裏街道を急いでいた。王宮に入った報告によると、イラルの軍勢は一万の大軍をもってダンを包囲し、もはや猫の子一匹這い出る隙間もなく、いまやダンの住民はイラルの総攻撃は今日か明日かと生きた心地もせず、ただひたすら中央の援軍を待っているとのことであった。おそらくイラル軍も至る所に斥候を放ち、ウルクの動向を探っていると思われたので、レインハルトとリュウは目に付きやすい表街道は避けて裏道を進んでいた。

 山々を超えるうちに、次第に峰は厳しくなり、国境の山脈が見え始めた。目指すダンの街は山脈の切れ目にある交通の要衝であり、あと一日もあれば、たどり着けるところまで来ていた。レインハルトはリュウに、今日はここらで休もうと声を掛けた。リュウは軽く頷くと、道から少し離れたところに空き地をみつけ、野営の準備を始めた。
 簡素な食事を済ませたレインハルトとリュウは、お茶を飲みながらわずかな憩いのときを過ごしていた。

「こうして茶を飲んでいると、リオラの入れてくれる紅茶が恋しくなるな」レインハルトが寂しそうに呟いた。

 リュウはそんなレインハルトの横顔をじっと見つめていたが、思い切って前々から聞きたいと思っていたことを尋ねた。

「なあ、あんたとリオラはいったいどんな関係なんだ。リオラが言うには、たった一人で荒野を彷徨っていたあいつをあんたが救ってやったと言うが、あんたらを見てるとまるで親子のようだ――いや、言いたくねえなら、無理に言わなくてもいいけどよ」

 レインハルトは少し気恥し気に尋ねるリュウを見て軽く笑った。

「リュウよ、せっかくの折だから、私の昔話でも聞いてくれぬか」レインハルトはそう言うと、一つ茶を啜り、おもむろに話し始めた。

「リオラから聞いたかもしれんが、私もお前と同じ孤児院の出でな、生きるために喧嘩、盗み、悪いことはなんでもやった。だがその結果、警察に追われる身となってしまった。なんとか山奥に逃げ込んだはいいが、食べるものもなくてな、歩く気力も尽き果てた私は山の中でばったり倒れてしまったのだ―――そこで私を救ってくれたのが近くに住んでいた老夫婦だった。その夫婦は私の素性を知っていたにも関わらず、私を介抱し、かくまってくれた。そしてこのままここで一緒に暮らさないかと言ってくれた。私はそこで初めて家族というものの暖かさを知ることができた……初めて父と母と呼べる人を持つことができたのだ」

 レインハルトはそこまで言うと、老夫婦と暮らしたあの懐かしい日々を思い出しているかのようにしばらく押し黙った。

「……だが、幸せというのは長く続かないものらしい。ある日、私が狩りに出かけて帰ってくると、父と母は無頼の浪人どもに襲われ、瀕死の状態で倒れていた。わたしは二人に声を掛け続けた、すると二人は最後に意識を取り戻し、私に言葉を残してくれた。だが二人の傷は深く、結局そのまま私の目の前で息絶えた……私は人生を恨んだ、世界を恨んだ、神を恨んだ。私は野山を彷徨した。何度も死のうと思った。だが神は私を死なせてくれなかった。私はもはや何も考えられず、手首を切って、自然に身を任せた――すると私の前に光に包まれたお方が現れた。そしてその方は私に生きることの意味を教えてくれた。私に手を差し伸べてくれたのだ。私はその方の手を取って再び立ち上がった――気づいたら、私はエトに抱きかかえられていた」

 レインハルトはそう言うと、リュウの方を向いてにっこりと笑った。

「エトは私にいろいろなことを教えてくれた。自然の美しさ、命の尊さ、生きることの素晴らしさ、私はエトのもとで、少しづつ、この世界の意味を学んでいった。それだけではない、ある日エトは私にあるお方を紹介してくれた。その方は黄金の鎧を身に着け、全身から光輝が溢れていた。その方はご自身の御名は名乗られなかったが、私に剣の道を教えてくれた。そしていつか、私がその方とも互角に戦えるようになると、その方はエトと私にこう言ってくれた。『レインハルトよ、もはや私がそなたに教えることは何もない。そなたは今日からこう名乗るがいい、聖騎士レインハルトと』。その方はそう言って、私たちに微笑まれ、そのまま去って行かれた」

 

黄金の鎧をまとった大天使

 

 リュウはまじろぎもせずに、レインハルトの話を聞いていた。
 レインハルトはリュウと同じ境遇、同じ運命を背負った人間であった。だからこそ、レインハルトが語る言葉は、いつもリュウの心にある何かを響かせてきた。レインハルトの話を聞いているリュウは、まるで若き日のレインハルトであった。

「――そして、私はエトと共に生活するうちにもう一つ生きる喜びを得ていた。私は一人の女性を愛するようになっていたのだ。その女性は何を隠そう、エトの孫娘だった。彼女の名はエリザと言った。エリザもまた私を愛してくれた。私は充実していた。心から尊敬できる偉大な師のもとでこの世の理を学び、神ならぬお方から剣を学び、そして愛する人とともに睦まじく暮らしていたのだ――その頃だった、あのイラルが攻めてきたのは。当時のイラルは今よりもさらに大国であった。次々と隣国を滅ぼし、降伏した国の軍勢を併せていき、百万という大軍をもって、いよいよ我が国に攻め寄せてきたのだ。だが、我が国には若く勇猛で偉大な国王がいた。ヨセウス国王はわずか五万の兵をもって、イラルの大軍を翻弄し、容易に屈することはなかった。だが、長引く戦は民を苦しめ始めていた。ヨセウス国王はエトを召して、領土を割いてでも和議を請うべきか、それとも最後まで戦い続けるべきか、神の御意思をお尋ねになった。エトはヨセウスの言葉を神に伝え、神の言葉を待った。すると、神はエトの口を通して、ヨセウス国王にお答えになった。

 

敵の大軍勢

 

『彼らは、この国の一物をも手にすることはできない。わたしは、聖騎士レインハルトを遣わし、彼らを一掃する。神の聖騎士レインハルトの他に、神の前に従順な兵士九十九人を、彼らの陣営の前に立たせなさい。私は神の聖騎士レインハルトたちを通じて、私の怒りを彼らに放つだろう。その後、ヨセウスは全軍をもって、彼らに攻めかかるのだ。翌朝、あなたがたは知るだろう。イラルの兵が、一兵残らずわたしの国から逃げ去っていることを』――私は、エトからの伝令を受けて、多くのものが熱狂を持って見送る中、意気揚々と戦場に旅立ったのだ。だが、今になって思い出す。その中でエリザの顔だけは、熱狂も興奮もなく、心配そうな顔で涙を浮かべて私をじっとみつめていたことを……」

 そう語るレインハルトの顔は、リュウがいままで見たことがないほど、苦悶に満ちた悲し気なものであった。

「戦場では、私はただ神の力を知るだけだった。マッテオや人々はわたしを万に適するなどと言っているが、それはただただ神の御力によるもの――すべては神が私の体を通してなされたことなのだ。神はその言葉通り、イラルの先軍十万の兵士をことごとく打った。さすがのイラルも神の怒りの凄まじさを知り、慌てふためいた。その機をヨセウス国王は逃さなかった、ヨセウス国王は全軍を持って、イラルの本軍に攻めかかったのだ。一度、浮足立ったイラルはもろく、イラル軍は我先に逃げ出し始めた。翌朝、我々は神の言葉が正しかったことを知った。百万のイラル軍は、数十万の死体を残し、残りの兵士はことごとく逃げ去っていたのだ――我が国は喜びに溢れかえった。誰も彼も私たちを讃えた。ヨセウス国王は私の手を取り、いつまでも兄弟のごとくにあらんとまで仰ってくれた。私も神の名のもとに戦い、国や人々を救うことができたことに興奮していた。そして、大いなる喜びをもって凱旋したのだ」

 そう語るレインハルトであったが、その顔には、誇らしげな様子も興奮もなく、ただ寂しさだけが漂っていた。

「――だが、私を待っていたのは悲劇だった。一番に会いたい、一番に祝ってもらいたいと思っていた女性は、流行病がもとで亡くなっていたのだ……」

 

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