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【ダークファンタジー小説】『リバイアサン』(五十八) 父親

「おい、ブラム、お前はいったい全体覚える気があるのか! そんなこっちゃ、お前は一生、俺のとこで冷や飯食う羽目になるぞ!」

 相変らず、マッテオの大きい声が表通りにまで響き渡っていた。その声を聞いたレインハルトとリュウは苦笑いしながら、それでも何かほっとするような思いで店に入っていった。

「マッテオ、今帰ったぞ!」

 レインハルトがマッテオに負けじと大きな声を張り上げると、一瞬物音が静まり、次の瞬間には、どたばたと走ってくる音が聞こえ、マッテオと弟子たちが店に飛び出してきた。

 マッテオはレインハルトとリュウの顔を見ると口をあんぐりあけ、そして、いきなりレインハルトに抱きついた。

「……よく帰ってきた……よく帰ってきてくれた……良かった……ほんとうに良かった」

 そう言って、マッテオは泣きださんばかりに声を詰まらせた。

「マッテオよ。お前の気持ちは良く分かった。だから、少し力を抜いてくれぬか、これでは俺の背骨が折れてしまう」

 レインハルトがそう言うと、マッテオはすまんすまんと笑いながら改めてレインハルトとリュウを見た。二人とも日に焼けていたが、以前と何も変わらなかった。いや、よく見ると。リュウは少し変わったような気がした。どこというわけではないが、大きくなったというか、大人になったというか、風格が出てきたように感じた。そしてその顔には以前にはなかった柔らかさがあった。マッテオはそんなリュウの顔を見ると無性にうれしくなった。

「おい、リュウ! お前、ずいぶんと立派になったな! いや、良かった、リュウ、本当に良かったな!」

 そう言って、マッテオは今度はリュウを思いっきり抱きしめた。マッテオのあまりの力にリュウの顔がゆがんだ。

「……わかった……分かったって、マッテオ」

 マッテオはその言葉がまたうれしいとでも言うようにさらにぎゅっとリュウの体を抱きしめた。

「……お、おい……息ができねえよ……」

 ようやくマッテオが力を抜くと、リュウはごほごほと咳をして、マッテオをにらみつけた。

「……あんたのは抱擁って言わねえんだよ。そんなんで、よくこれまで人を殺さないでこれたな」

 その言葉に弟子のメースがぶっと吹いた。

「……いや、僕らもいい作品ができると、同じように先生によくやったと抱擁されるのですが、失神してしまうこともよくありまして」

「そりゃ、お前らがさっぱりいい仕事しねえから、ちょっと力が入っちまうんじゃねえか。そんなに嫌なら、俺が飽きるくらいいいもの作りやがれ!」

 マッテオはそう言ってブラムを怒鳴りつけたが、みんな、くすくすと笑いだし、とうとう、腹を抱えて笑い出した。

「ところで、リオラはどうした? どこかへ出かけたのか?」

 ひとしきり笑った後、レインハルトは周りを見渡しマッテオに尋ねた。

「なんだ、途中で会わなかったのか? リオラなら、一刻も早くお前さんたちに紅茶を飲ませたいんだって言って、今日も街境まで出迎えに行ってたんだがな」

 それを聞いたレインハルトの顔がみるみる暗くなった。

「マッテオ、リュウ、それにもみんなも、一刻も早くリオラを探しに行ってくれ!」

 いつにないレインハルトの切迫した声にマッテオも急に心配になったのか、「おい、ブラム、レビ、メース、お前たちは、いますぐリオラが立ち寄りそうなところを探してこい!」と叫んだ。その言葉を聞くか聞かないうちに三人は既に店を飛び出していた。

「リュウ、俺とお前は街道に戻ろう。マッテオ、お前はここに残ってくれ」

「分かった」

 そして、レインハルトとリュウは荷を下ろす暇もなく再び店を飛び出していった。

 

 レインハルトはリュウと別れて街道沿いをひたすら探し回っていた。だがリオラの影も形も、その痕跡すらみつけることができなかった。レインハルトの目は必死だった。似たような背格好の女の子が先を歩いていれば駆け寄って肩を掴み、その都度、別な子だと分かって落胆した。リオラ、リオラと叫びまわった。無事でいてくれ、ただそれだけを願っていた。それはまるで、一心不乱にリオラを探し求めたあの日のようであった。

 日は落ちかけ、西の空には宵闇が広がり始めていた。だがレインハルトはそんなことすら気づいていないように、ひたすらリオラを探し求めていた。するとどこから来たのか、いきなり一人の少がレインハルトの方に近づいてきて、はいと小さな紙きれを手渡した。レインハルトは紙切れを渡して帰ろうとする少年の肩を掴んで尋ねた。

 

手紙を差し出す少年

 

「これは、なんだい?」

 少年はレインハルトの顔を見ると、「あそこにいたおばさんが、この手紙をおじさんに渡してくれってさ」と無邪気な顔でいった。

「おばさん?」

「うん、あの木の下にいたんだけど……あれ、もういなくなっちゃったみたい」

 少年はそう言うと、さよならと言って、元来た道を戻っていった。レインハルトは少年が指さした木の方に駆け寄ったが、少年の言う通り、既にそれらしき人の影はなかった。レインハルトは、ふと気づいたように握り締めていた紙切れを広げた。その小さな紙きれに書かれていたのはたったの数行だった。レインハルトは凍り付いたようにその文字をじっと眺めていた。 

 

 日もすっかり暮れ、立ち並ぶ店の明かりも次々に消えていく中で、マッテオの店だけは、煌々と灯りがつき、何人もの人が慌ただしく出たり入ったりしていた。実は、しびれを切らしたマッテオが、近所の知り合い連中に声を掛けて、リオラの捜索にあたってもらっていたのだった。弟子のブラムたちも散々探し回って夕刻に一旦戻ってきたが、まだリオラが帰ってきていないことを知ると休む間もなくまた探しに出ていった。レインハルトやリュウもあれから帰ってこず、夜が深まるに連れてマッテオの不安はどんどん増していった。

 そんな中、マッテオに会いたいと見知らぬ男が店に入ってきた。マッテオが応対すると、その男はレインハルトに頼まれたといって小さな紙切れをマッテオに手渡した。マッテオはすぐに渡された紙切れを開いた。そこにはレインハルトの手で言伝が書かれていた。

『リオラが何者かにさらわれた。これから助けに行く。必ず連れて戻るから安心してくれ レインハルト』

 それを見た瞬間、マッテオは力が抜けたように尻もちをついた。そして震える手でその言伝を何度も読んでいたが、急に地べたに臥せ、自分の頭を叩きつけ始めた。

「なんて、俺は大馬鹿なんだ!」

「あれだけ、レインハルトからリオラを頼むと言われたのによ」

「すまん、すまない、レインハルトよ!」

「リオラよ、頼むから無事でいてくれ」

「リオラ、リオラ……」

 その場にいたものたちはびっくりして、やめさせようとマッテオを抑えつけた。だがマッテオはそんなことに構うこともなく、何度も地面に頭を叩きつけた。マッテオの顔は土に塗れ、額からは血が噴き出していた。それでもマッテオは狂ったようにリオラ、リオラと叫びながら頭を叩きつけ続けるのだった。

 

『リオラは預かった。
 この先の小径の先にある小屋に一人で来い
  おかしな真似をすれば、リオラは即座に殺す』

 

 少年から手渡された手紙にはそう書いていた。レインハルトはその紙切れをしばらくの間じっと眺めていたが、ようやく顔を上げると、近くを歩いていた男を呼び止めた。そして、マッテオ宛ての言伝を頼んだのだった。マッテオやリュウの助けを求めようとははなから思わなかった。リオラを誘拐したものたちの目的が自分にあることを知っていたからだった。レインハルトは街道から分かれた小径を歩き出した。

 

 月明かりがあたりを照らしていた。小径が木々の間を曲がりくねりながら続いていた。昔、父と母を殺され、今と同じように森の中を歩き回ったことがあったが、その時とはずいぶん心持が違っていた。

 あの時は、全てが呪わしかった。森の中の獣や鳥たちの鳴き声も自分を嘲笑う悪魔の叫びに聞こえた。生きていることに何の意味も価値も見出すことができなかった。ただただ、死にたいとだけ思った。だが今は、獣や鳥たちの鳴き声が愛おしかった。こんな夜にも連れ合いを求めて鳴いているかと笑みがこぼれた。木々や草花の香りが小風に乗って空気に漂っていた。それは命の香りだった。レインハルトはその香りを思いっきり堪能した。

 あれから何年経ったろう、二十年以上が過ぎた。その間、本当にいろいろなことがあった。エトという二人目の父に会い、いろいろなことを教えてもらった。エリザという女性に会い、生まれて初めて恋をした。聖騎士として、神のために戦い、全身全霊をかけて仕えてきた。 リュウと言う少年に会い、今まで味わったことがなかった思いを抱くことができた。

 リュウ……それは、かつての自分だった。世界を憎み、怒ることでしか、自分を表現することができなかった。だが、リュウは徐々にかわってきた。いずれリュウは本当の男に、立派な男になっていくだろう、レインハルトはそう感じていた。そのことがうれしかった。自分のこと以上にうれしかった。それはまるで息子を持つ父親のような感情だった。

 リュウは、イラルの勇者イロンシッドに勝利した。それは神がリュウを新たな聖騎士として任命した瞬間でもあった。もう何も思い残すことはなかった。奴らの狙いが自分の命であることはとうに分かっていた。自分の命と引き換えにリオラを奪い返すことができるなら、なんの悔いもなかった。リオラは娘も同然だった。リオラと一緒に暮らし、レインハルトは生きることの喜びを感じられるようになった。生きることは素晴らしい、この世界は素晴らしいと心の底から思うことができるようになっていた。今なら、父と母がなぜ自分を救い、ともに暮らしてくれたがよく分かった。私を愛してくれたから、本当の息子のように愛してくれたからだった。だから、あんなに安らかな顔で天に旅立っていったのだ。今の自分もあの時の父と母のような顔をしているのだろうと思った。レインハルトはそう思って静かに微笑んだ。

 

静かな夜



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