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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(四)

 死体が発見された翌日、捜査本部で第一回目の捜査会議が行われ、それぞれの担当から現在の捜査状況が報告された。

 検死解剖の結果では、死亡後三十時間程度経過しており、死亡時刻は八月二十五日、日曜日の午前三時前後と推定された。死因は右側頭部から撃ち込まれた銃創によるものであり、硝煙反応が頭部からのみ検出されたことから、ほぼ銃を押し付けられた状態で犯人に撃たれたものと断定された。頭蓋骨内に残された銃弾を調べた結果、3Dプリンタで作られた銃から発射されたものであることが判明した。銃弾にはエアガンに使われる薬莢を少し加工したものに火薬を詰めたものが使われており、科捜研が同じものをつくって実験したところ、至近距離から撃てば十分に人を殺すことができる代物であった。

 

3Dプリンタ 銃

 

 3Dプリンタによる銃の製造は何度も使用できるほどの耐久性のあるものを作ろうというのでなければ、インターネット上で製作方法や必要なデータが掲載されていたこともあり、ある程度の知識があれば誰にでも製作可能であった。3Dプリンタ自体も現在では企業や学校などに広く普及しており、また一般にも市販されているので、その全てを調べ上げるのは不可能と言ってよかった。銃弾に使われた薬莢も専門店では普通に市販されており、火薬の原料も簡単に入手できることから、この線で犯人を特定するのも難しいと思われた。

 犯行に使われた銃は発見されず犯人が持ち去ったものとみなされた。被害者の口に挟まっていたカードについては強い噛み跡もないことから殺害後に犯人が口に挟んだのではないかと推測されたがカードから指紋は検出できなかった。カード自体は市販の名刺カードをくりぬいたものであり、これも手掛かりにはなりそうになかった。殺害現場周辺は広範囲に渡ってくまなく捜索されたが犯人を特定できそうな遺留物は全く見当たらなかった。また犯行現場は青梅街道からさらに奥に分け入った林の中で、周囲三キロ四方には一軒の人家とてない人跡未踏の地であり事件解決につながりそうな情報は今のところ皆無だった。

 宮澤拓己はセキュリティシステムの開発やサービスを提供する会社に勤めていたが、その仕事ぶりは入社三年目とは思えないほどで、今年の四月からは課長補佐に抜擢され、官公庁相手の大きなプロジェクトの統括責任者として業務に従事するなど会社の上層部からは既に大きな信頼を勝ち得ていた。上司や同僚からの聞き取りでも恨みを買うような人物ではないとの一致した意見であり、仕事上で殺人に至るような動機を見つけることはできなかった。死亡日前々日の八月二十三日の金曜日もいつもどおり出勤しており、普段となんら変わる様子はなかったとのことだった。

 宮澤が携帯電話を所有していることは確認が取れていたが犯行現場には見当たらず、自宅からも発見できなかった。携帯電話会社に照会していた宮澤の携帯番号の通話履歴についても報告がなされたが、最後の通話履歴は二十三日の日中に取引先の担当者から電話が掛かってきたのが最後であり、相手方に確認したところ単に仕事上の確認だったとのことであった。それまでの通話履歴も同僚や取引先との通話ばかりであり携帯の番号は仕事用に使っていたものと推測された。最近ではSNSアプリを使って連絡を取る人々が増えており、宮澤がそうしたアプリを何種類か使っていたことも分かっていたので、アプリの運営会社にも利用状況の照会がなされたが、いずれのアプリからも事件に関係ありそうなものは発見できなかった。ただ、そうしたアプリはいくつもあり、また一人の人間が複数のアカウントを持つこともできるため、もし宮澤がある特定の人物との交信のためだけに使っているアプリがあったとしたら、それを突き止めることは困難であった。

 宮澤の資産状況についても報告がなされた。宮澤は会社から徒歩約十分という麻布の高級マンションをこの春に約二億円で購入していたが、古今東西の名著名作が並んだ書棚、重厚で杢目が美しい高級机、しっかりした防音対策がなされた書斎兼シアタールームなど、彼が成功者として人生を歩んでいたことは一目瞭然であった。また宮澤の銀行口座には一億を超える残高があり、加えて宮澤はセキュリティシステムの新技術に関する特許を会社と分割して所有しており、その価値も含めると宮澤の資産価値は十億を超えると見積もられていた。もちろん借金やローンなど金銭面でのトラブルの形跡は皆無だった。

 書斎にあった黒いノートパソコンは押収され、内部ファイルやインターネット履歴などが詳細にチェックされたが事件と関連がありそうなものは何一つ見つけることはできなかった。インターネットの最終閲覧履歴は八月二十四日の午後三時十四分となっており、少なくともその時間までは宮澤がこのマンションにいたことは確かなようであった。

 宮澤の家族関係や生い立ちについては桜が報告した。宮澤の両親はともに教師で、神奈川県西部の山あいの町で生れた。一人っ子ということもあり、両親の期待を一身に背負って育てられたが、小学四年生の時に母親が子宮癌で死亡。その後、父親と二人で暮らしてきたが、大学入学を機に都内で一人暮らしを始め現在に至っていた。東京に出てからも母親の命日には必ず帰郷しており、今年も七月に里帰りしたが、いつもと変わらない様子だったとの父親のコメントを紹介した。

 帝都大学文学部に入学すると西洋哲学に深く傾倒し、授業の枠にとどまらず他の大学や研究者との集まりにも積極的に参加するなど、その知識や思考レベルは学生の域をはるかに凌駕していた。また異色な取り合わせだがプログラミングにも高い関心を持ち、蔵書の半分はプログラム関係の書物が占めていた。そのスキルも相当なもので、在学当時に書いたソースコードが企業主催のコンテストで優勝するなど、実力は既に折り紙つきで、現在務めている会社へ就職したのも会社側が好条件を示して採用にこぎつけたのだった。

 

 八月十二日の午前十一時に埼玉市内のマンションで死体となって発見されたのは内藤昌之六十七歳、昨年の三月まで帝都大学文学部の教授として教鞭を取っていた。内藤の専攻はドイツ哲学で、特にもニーチェに関する造詣が深く、その方面では第一人者と見なされており、著書も多数執筆していた。宮澤は在学当時、内藤のゼミを受講していたが、その時のゼミのテーマはニーチェの代表作『ツァラトゥストラはかく語りき』を題材として、その哲学思想を問うものであった。

 内藤の部屋はビルのど真ん中にあたる505号室で、玄関以外に外から侵入することは実質的に不可能であった。玄関の鍵は戸棚の上に置かれ、ベランダのサッシもしっかりと鍵がかかっていたため室内はいわゆる密室状態にあった。

 死因はシアン化ナトリウムの大量摂取によるもので、内藤はソファーに倒れこむように息絶えていたが争ったような形跡はなく、シアン化ナトリウムが混入された飲みかけのワイングラスが何事もなかったかのようにテーブルの上に置かれていた。死亡時刻は八月十日土曜日の深夜十一時頃と推定されていた。

 内藤は膵臓癌の末期と診断され、余命ももって一年と担当医から宣告されていたが、本人が入院を希望しなかったため在宅で過ごしていた。リビングには内藤が座っていた一人掛けソファーの他にテーブルと来客用のソファーが置かれ、テーブルの上には飲みかけのグラスが二つ残されていた。グラスは鑑識にまわされたが、もう一つのグラスからはシアン化ナトリウムは検出されず、拭き取られたと見えて唾液や指紋も一切残っていなかった。室内は徹底的に調べられたが、結局、内藤以外の人間の痕跡を見つけることはできなかった。

 ドイツ語で『学者』と印字されたカードは内藤の飲みかけのグラスの脇にそっと置かれていたが、宮澤の口に挟まれていたものと同じ種類のカードであり、印字された字のフォントや大きさも完全に同一であった。

 埼玉県警に届いた匿名の手紙については、八月十一日付で銀座局の消印が押されており、地図ソフトの種類や余白への書き込み方など警視庁に届いたものと丸写しのように似通っていた。手紙については内藤本人が書いたものではないかという意見も出された。人生を悲観して自殺を決意した内藤が、死後なるべく早く発見してもらうために警察に送ったのではないかというものだった。実際室内には争った形跡は一切なく、しかも捜査員が部屋に入った時、シュトラウス作曲による『ツァラトゥストラはかく語りき』が部屋中に鳴り響いていた。オーディオコンポをみてみると、曲がリピートで流れるようにセットされており、人生の終わりに自身が人生を捧げたニーチェにちなんだ曲を聴きながら毒を仰いだのではという指摘はかなり説得力があった。結局、第三者が侵入した形跡もないことから、自殺したという線も残されることになった。

 宮澤と内藤の死亡現場に残された二枚のカードについては、そこに書かれたVon den Predigern des TodesとVon den Gelehrtenという言葉が、ドイツの哲学者ニーチェが書いた哲学書『ツァラトゥストラはかく語りき』の中では章題にもなっていて、それぞれ『死の説教者』と『学者』と邦訳されていることが報告された。どちらもツァラトゥストラと名乗る主人公が激しく糾弾するある種のタイプの人間を表す言葉であったが、大学教授で著名な評論家でもあった内藤と『学者』とのつながりはまだしも、名門大学を抜群の成績で卒業し、仕事も順調にこなし将来を嘱望されていた宮澤と『死の説教者』という言葉がいったいどう関連を持つのか見当もつかなかった。

 結局、宮澤の現在の職場環境からは殺害されるような動機が見当たらないこと、また、自殺の可能性も捨て切れないが宮澤の受講したゼミの教官が不審死を遂げていること、さらに宮澤が受講したゼミのテーマである『ツァラトゥストラはかく語りき』に関連するカードが死体現場に残されていたことなどから、大学時代の人間関係に焦点をあてて捜査が進められることになった。

 

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