アマチュア作家の面白い小説ブログ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』

 

 

はじめに

 この作品はある日突然、小説を書きたいと思い立って書き始めた作品です。それまで小説など書いたことなどなかったから、完成させるのに本当に苦労したし、その後も、何度も手を入れて直してきました。

 処女作にはその作者の全てが詰まっていると言います。その言葉通り、この作品には僕の全てが詰まっています。

 20万字を超える大長編ですが、最初の二話だけでも読んでいただければうれしいです。

 

本編

(一)

 映画史に残る名作『2001年宇宙の旅』のオープニングにも使われた交響曲『ツァラトゥストラはかく語りき』。

 新時代の到来を予感させるようなトランペットの吹鳴、新しい世界の創造に大地が慄くかのようなドラムの振動、偉大な存在の誕生を言祝ぐかのように鳴り響く楽器たちのハーモニー。オーストリアの作曲家、リヒャルト・シュトラウスが、ドイツの哲学者ニーチェによって書かれた同名の著作に喚起されて作り上げた至極の名曲。

 

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(二)

 私は人間を信じていた。人間とは高い理想をもち、理想を実現するために己を克己し、そして他者の痛みを自らの痛みとして分かち合う、そういうものであると固く信じていた。私はそういう生き方を自らに刻み付け、微々たる歩みであったとしても生きることに価値を見出せる社会の実現のために努力してきた。しかしそれは無意味な行動であったとついに悟った。なぜなら私の周りにいたのは人間の名に値しない芋虫の群れだったのだ。向上する意志を持たず、食って寝てまぐわるだけ、己の欲望のままに行動することしか頭にない、そういうおぞましい環虫の群れだったのだ。

 これが人間なのか。これがともに歩もうとしたものたちの真の姿なのか。こんな吐き気のするような人間たちと、そいつらが我が物顔で闊歩するこんな世界になんの意味があるというのだ。間違っている。こんな人間たちでいいはずがない、こんな世界でいいはずがない。私が目指そうとする世界は、こんな世界であってはならないのだ。

 

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(三)

 八月二十六日の午前十一時、青梅街道沿いの山林で男の死体が発見された。死因は頭部への銃創によるものであったが、現場付近には凶器は残されていなかった。被害者のズボンには財布が残されており中に入っていた会社の社員証から、死亡した男性は東京都港区在住の宮澤拓己二十五歳であることが確認された。財布には手を付けられた形跡もなく、現金三万円とカード一式が残されていた。

 現場は奥多摩の山林の中を走る国道から百メートルほども離れた林の中で、死体が発見されたのは偶然ではなく警視庁へ郵送された匿名の手紙のおかげであった。そこには死体の位置をマークした地図が印刷されており、余白に『ここに死体がある』とだけ印字されていた。宛先は警視庁、消印は銀座局で八月二十五日付であった。これらのことから警視庁はこの事件を殺人事件とみなし捜査を開始していた。匿名の手紙の他に、もうひとつ奇妙なことがあった。顔を横に向けてうつ伏せに倒れている死体の口に名刺サイズの白いカードが挟まれており、Von den Predigern des Todesとドイツ語でタイプされていた。日本語では『死の説教者』と訳される言葉であった。

 

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(四)

 死体が発見された翌日、捜査本部で第一回目の捜査会議が行われ、それぞれの担当から現在の捜査状況が報告された。

 検死解剖の結果では、死亡後三十時間程度経過しており、死亡時刻は八月二十五日、日曜日の午前三時前後と推定された。死因は右側頭部から撃ち込まれた銃創によるものであり、硝煙反応が頭部からのみ検出されたことから、ほぼ銃を押し付けられた状態で犯人に撃たれたものと断定された。頭蓋骨内に残された銃弾を調べた結果、3Dプリンタで作られた銃から発射されたものであることが判明した。銃弾にはエアガンに使われる薬莢を少し加工したものに火薬を詰めたものが使われており、科捜研が同じものをつくって実験したところ、至近距離から撃てば十分に人を殺すことができる代物であった。

 

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(五)

 浩平と桜は宮澤の大学時代の同級生やゼミの後輩を片っ端からあたっていたが、手掛かりになりそうなことは何一つ聞き出せないでいた。ただ宮澤の同級生で同じ内藤ゼミに所属していた高橋という男が語った言葉が妙に浩平の頭に残っていた。

「宮澤はほんと頭良かったですよ。それに生まれつきリーダーシップがあるっていうのか、後輩とかの面倒見も良かったですね。責任感も強いし実行力もあって、なんていうか完璧なやつでしたよ。完璧すぎるっていうか。あいつはニーチェに心酔していたから、ニーチェが説いた生き方みたいなものを実践しようと気張ってたんじゃないかな。でもそういうことを言ったら、うちらのゼミ生みんな多かれ少なかれそういうところがあったかも。あいつほどじゃないけど、みんなニーチェを気取って、社会の常識みたいなことを小ばかにしてたっていうか。ま、俺たちみたいなのは結局カッコだけなんですけどね」言い終わった後にハハハと笑う高橋の姿が印象的だった。

 

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(六)

 上條和仁の住まいは帝都大学から歩いて十分ほどの集合住宅が密集している一角にあった。浩平と桜は築三十年は経っているかと思われるような古めかしい二階建てのアパートの錆びついた階段を上っていった。

 二人は通路の一番奥の部屋の前に立った。玄関の脇には小さなプランターが置かれていてペチュニアが綺麗な薄紫色の花を咲かせていた。浩平は本当にこの部屋かと確かめるように桜の方を向いたが、桜はドアに203号室と書いてあるのを見ると間違いないとばかりにコクとうなずいた。浩平はそれを見ると気を取り直して玄関脇の旧式のインターホンを押した。ブザー音が室内でも響いているのが外からもはっきりと聞こえた。すると中で人が動く気配がした。二人は少しかしこまって立っていると、ドアが静かに開いた。

 

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(七)

「一体どうしたんですか?」車に乗り込むや桜は浩平に噛みついた。今まで何度も一緒に聞き込みをしてきたが、大事なところでは浩平が常に合いの手を入れて、それが絶妙のコンビネーションとなり、思わぬ一言を聞き出したことは一度や二度ではなかった。それが今回に限っては、浩平は最初に質問したきり結局最後まで黙ったままであった。

 桜は不平顔で浩平を睨みつけていたが、浩平は口を閉じて前を見つめるだけだった。文句が口から出かかったがなんとか喉に押し込むと桜はギアを入れて車を走らせ始めた。人が往来する夕暮れの街並みを横目に見ながら、桜はさきほどのことを思い返していた。確かに不思議な雰囲気を持った青年であった。

 

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(八)

 今年は残暑が厳しく、もう九月になろうとしているのに今日も真夏日を記録したようで、この時間になっても肌に粘着するようなべとついた熱気が辺りに漂っていた。浩平は開襟シャツを着ているにも関わらず暑さに辟易したように悲鳴を上げた。

「しかし暑いな。東京に来てから十年になるけど、東京の夏の蒸し暑さだけはいまだに耐えられないわ」

「このくらいなんともないですよ。先輩は東北出身だから暑さに弱いんじゃないですか?」

 

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(九)

 太陽が西の空に落ちかかり、街中がオレンジ一色に包まれる頃、浩平と桜はまちの図書館に来ていた。

「うわ~涼しい!」図書館に入ると桜が大声をあげた。その言葉どおり、天上から吹き付ける涼気が肌にべとついていた湿気を一瞬のうちに追い払った。

「確かに、ここは別世界だな」昼の暑さに閉口していた浩平も一息ついたように笑顔を見せた。厳しい残暑が続いていることもあり、他の利用客もみな一様にほっとしたような顔つきで自分の時間を思い思いに過ごしていた。

 

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(十)

『新しい偶像』


 国家は全ての冷酷なる怪物のうちで最も冷酷なるものである。それはまた冷酷に嘘をつく。「わたしは民族そのものである」と。
 それこそが嘘である。民族を創造し、一つの信仰、一つ愛を彼らの上に掲げたものは創造者たちである。こうして彼らは人生に奉仕した。
 多くの者のために罠を仕掛け、それを国家と名付けるものは破壊者である。彼らは一つの剣と百の渇望を多くの者の上にかけるのだ。
 

 

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(十一)

 真っ赤な巨大な太陽がジリジリとアスファルトを照り付けていた。至る所で湯気のように陽炎が立ち昇り、べとべとした大気が重苦しく沈滞する中、この東京の都心のいったいどこにいたのか、油蝉の鳴き声だけが異様なほど辺り一面に響いていた。海外の有名ブランドショップが立ち並ぶこのあたりは、普段であれば多くの買い物客や観光客でにぎわうのだが、今日に限ってはなぜか人一人見当たらず、車一台走っていなかった。

 そんな中、何か異様な音が蝉の声に交じって聞こえてきた。怒号、悲鳴、ガラスが割れる音、金属がへこむ音、禍々しい地鳴りのような鳴動が大気を震わせ押し寄せてきた。それは、何とも形容しがたい人間たちだった。全身にピアスやタトーを入れた男が目を血走らせて、血に染まった鉄パイプを握りしめていたかと思うと、白い開襟シャツにスラックスといういでたちの社会人一年生と見まごう青年が、バットを肩にそびやかし肉食獣のような鋭い目つきで何かを物色していた。『人類の覚醒』、『超人』などと書かれた大旗を振りまわしながら、誰も彼も目を血走らせ、怒号をあげながら街を闊歩していた。

 

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(十二)

 浩平は呆けたように固まっていた。かつてはそのビジョンに陶然と酔いしれたこともあったが、今の浩平にとってそのビジョンは粟立つような恐怖を感じさせるものでしかなかった。だがもし今回の犯人がニーチェに共感したかつての自分と同じようなことを夢想していたとしたら、今回の犯行の動機が既存の価値観の破壊、現在の社会制度に対する挑戦だとしたら――考え過ぎだ、浩平は何度も自分に言い聞かせようとしたが十数年ぶりに甦ったそのビジョンは脳内からなかなか消えようとはしなかった。

「――先輩!」

 耳元で大きな声がした。浩平は慌てたように振り向いた。

「大丈夫ですか、顔色悪いですけど」桜が心配そうにこちらを覗きこんでいた。

 

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(十三)

 だいぶ利用者も減ってきたが浩平と桜の作業は続いていた。二人は積み上げられた本に付けられた付箋を一つ一つ確認していた。

「へえ、そうなんだ」桜が声をあげた。

「この本によると、ニーチェはザロメに振られたあと、失恋の痛みや病気を癒すためにイタリアに行くんですけど、そこで書かれたのが何を隠そう『ツァラトゥストラはかく語りき』なんですって」

 

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(十四)

 窓の外はすっかり暗くなっていた。学生たちの姿もまばらになり、たまに聞こえてくる咳払いの音が異様なほど館内に響いた。既に九時を過ぎていたが、まだやるべき作業は残っていた。桜は気分を新たに話し始めた。

「永劫回帰についてはさっき言ったとおりですが『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で語られるもう一つの中心思想が超人思想です。えっと『人間は橋を渡る過程の存在であり超克されるべき単なる中間者であるにすぎず、超人はその対極にある概念として、肉体を持った意志決定者として生を肯定し、新しい価値を示すものであり、現代文明に毒された人々や神と対極をなすものである』――だそうです」

 

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(十五)

 翌日、浩平と桜は御茶ノ水駅から歩いてわずか十分のところにある宮澤の同級生の佐々木隼人という男のアパートを訪ねていた。来る途中上條と田口が買い出しに行ったというコンビニにも寄ってきたが、そこは佐々木のアパートから五分足らずで行ける距離だった。

 佐々木の部屋は宮澤ほどではないにしても二十五歳のサラリーマンが住むには少し贅沢過ぎるように桜には思えたが、佐々木が務めている大手商社の名前を聞くと最高学府を卒業したエリートたちの生活はこんなものかと妙に納得した。だが目の前に座っている男は見るからに体育会系というような体つきで、肌も浅黒く、桜が思い描く帝都大学というイメージからはかけ離れていた。

 

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(十六)

「上條は――いや、拓己と上條は本当の天才でしたよ。自分でこんなこと言うのもなんですけど、僕だって地元では常に一番だったし、入学が決まった直後は周りから散々誉めそやされて、自分は天才だなって思ったこともありました。だけど上には上がいるんですよね――ねえ刑事さん、本当の天才ってどんな奴だか分かります。テストの点数がいいとか記憶力がいいとかそんなことじゃないんですよ。本当の天才っていうのは、ものごとの本質を把握する能力が桁違いに優れている人間のことをいうんですよ」

「ものごとの本質?」浩平が不審げな顔をするのを楽しむかのように、佐々木が言った。

 

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(十七)

「ところで、佐々木さんは上條さんが指輪をしているのをご存知ですか?」浩平が話題を変えた。

「指輪? 上條がですか? いや、あいつはそんなものしてませんよ」佐々木はきっぱりと否定した。

「じゃ、二十四日の晩も指輪はしてなかったんですね」

 

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(十八)

 翌日、定時の捜査本部会議が開催されたが状況は芳しいものではなかった。内藤ゼミのOB全員から聞き取りした結果、宮澤や内藤に恨みをいだくような人物は見当たらず、殺人を想起させるような事実は何一つ浮かび上がってこなかった。

 上條和仁に関しては例外なく好印象の人物として捉えられており、殺人を犯すというイメージからは縁遠い人物に思えた。佐々木や田口についても、現在はごく普通のサラリーマンとして働いており、事件前後から最近の動向についても綿密な調査がなされたが、特に不審な点は見当たらなかった。

 

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(十九)

「なんだと!」

電話を手にした近藤管理官の怒鳴り声が室内に響いた。「おい、テレビつけろ! 帝都テレビだ!」壊れんばかりに受話器を置いた近藤が叫んだ。

 桜が急いでテレビのリモコンのスイッチを押すと、室内にいた全員がテレビの周りに集まってきた。テレビに映った番組は桜も知っていた。芸能界や社会のゴシップ情報を中心に扱う番組で、メインキャスターがニュースを一刀両断するやり方がうけていた。

 

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(二十)

『ツァラトゥストラの箴言』

 お前たちは腐りきっている。なんのためにこの世に生を受けたのかその意味も知らず、学ぼうともしない。お前たちは己のことしか考えず、他者を思いやることもなく、自己の権利ばかりを声高に主張する。そのくせ大衆の中に群れていないと不安でしょうがないひ弱な連中ばかりだ。己を克己することもなく、偉大な挑戦に立ち向かう勇気もなく、ただぬるま湯のような日々を漫然と送る虫けら以下の生物だ。しかもそんなおぞましい環虫のようなお前らが、我が物顔でこの大地を闊歩し、一秒ごとにこの世界を汚している。

 

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(二十一)

 翌日の各紙の朝刊はどれもこれもツァラトゥストラの文字がでかでかと躍っていた。ツァラトゥストラの箴言と題された昨日の声明文の全文が掲載され、これまでの事件の経緯も事細かに記述されていた。それだけにとどまらず、ニーチェの思想や『ツァラトゥストラはかく語りき』に関する詳細な解説や論評も長々と書きたてられていた。

 各局のニュース番組では西洋哲学を専攻している教授や研究者たちが次々と登場し、我こそツァラトゥストラの真の理解者であるかのように得意げに自説をひけらかし、警察OBや心理学者たちは犯人像について喧々諤々の議論を繰り広げていた。

 

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(二十二)

 陽射しが強く照りつける中、今日もたくさんの人が街を歩いていた。バッグを下げて町を闊歩するサラ―リマン、ウィンドーを眺めながら楽しそうに談笑するカップル。リュックサックを背負って軽快に自転車を走らせる学生。いつもと変わらぬ風景がそこにあった。

「不思議ですね」車を運転しながら桜がなんとなしにつぶやいた。

「何が」窓の外を眺めていた浩平が無造作に答えた。

「だって、テレビや新聞はツァラトゥストラ一色だってのに、街は平穏そのものだなと思って」

 

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(二十三)

 上條は初めて会った時と同じような穏やかさで二人を中に招き入れた。

「汚いところですが、どうぞ中へ」その声には警察に対する怯えとか恐怖といった反応は一切感じられなかった。桜は室内に入ると、ざっと部屋を眺め渡した。シンプルな木製のテーブルが部屋の中央に置かれ、その脇には一人掛けのソファーが据えられていた。他には小さなテレビとオーディオコンポが目につくくらいで、室内は綺麗に片づけられていた。

 

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(二十四)

「宮城さん、あなたが何のために僕を尋ねてきたのか薄々は分かっています。そしてそんなあなたにこんなことを言うのは少しおかしいですけど、あなたは僕たちと同じです。そして、僕はあなたと話をするのは、そんなに悪い気分じゃないです」そう言って上條も静かに微笑んだ。

「さきほど、あなたはツァラトゥストラの思想は真理ではないんじゃないかと言いましたね。それも又あなたが生きてきた中で得た悟りです。それは誰がなんといおうがあなたにとって一つの真実なんだと思います。何が正しいことなのか、それは誰にも分からないし、そんなに大したことじゃない。本当に大事なことは、僕たち一人一人が正しいと思えることを追い求め続けることなんだと思います」

 

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(二十五)

 児童養護施設『チャイルドケアホーム』は上條のアパートからほど近いところにあった。アパートを出た二人は一応上條のアリバイを確認するためにこの施設を訪ねていた。

 児童養護施設とは保護者のいない子供や親と暮らすことのできない子供たちが生活するために設置されている施設で全国に五百以上設置されており、二万人を超える子供たちがそこで生活していた。そして、その半数以上の子供が親からの虐待を受けて保護されてきたものたちだった。

 

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(二十六)

 話を終えた浩平と桜はせっかくだからという紺野所長の誘いもあり、施設の中を案内されていた。明るい光が差し込む木造の建物は暖かい空気に満ちていた。ホールでは子どもたちがスタッフと積み木をしたり、絵を書いたりして遊んでいた。

「うちではボランティの方にもあんな風に子供と接してもらっているの。そうしないと子どもの方がすぐ見破っちゃって打ち解けなくなるの。子どもって、大人が思っている以上に感性が鋭いものよ」紺野所長が微笑んだ。

 

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(二十七)

「おい宮城! 例の容疑者とツァラトゥストラとの関連はつかめたのか」

 あのテレビでの一件以来、不機嫌状態が続いている近藤管理官がデスクから怒鳴り声をあげた。

 浩平は不承不承腰を上げて近藤のところまで行くと、「いや、まだ、はっきりした証拠は掴めてません」と頭を掻きながら報告した。

 

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(二十八)

 テレビではいつものようにツァラトゥストラ事件の特番が放送されキャスターが帝西大のなんとかという教授に質問をぶつけていた。

『そうすると、ツァラトゥストラを自称するこの人間は実はニーチェの思想を全く理解していないということですか?』

『そのとおりです。そもそもあの声明文なるものは思想なんてものじゃないですよ。単なる狂人の戯言ですよ。例えばね社会が腐りきってるからぶっ壊そうとか、周りの人間は虫けら以下だとか、超人たる自分が社会を導くとか言ってるわけですけどね、超人思想の本質を理解していないからそんなことを言うわけですよ。つまりこの人間はニーチェの思想の上っ面しか汲み取っていない浅薄な人間の一人ということですかね』

 

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(二十九)

「すいぶん上條さんに肩入れされてますけど、何か理由でもあるんですか」

 田口は鼻で笑った。

「刑事さん、あなたも何度か上條に会ってるんでしょう。それなのに、あいつの凄さを感じないんですか。あいつはね、信念を持っているんですよ。そしてその信念のためなら自分の命すら捧げかねない男なんですよ。そんな人間がこの世の中にいますか。警察の中にそんな人間が一人でもいますかね。いるわけないですよね。まあ、そんな体たらくだから、警察が無能とか言われるんでしょうけどね」

 

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(三十)

「先輩はすごかったですよ。仕事は早いし、取引先からの評判もいいし、なにより仕事のクオリティが凄いんですよ。先輩が去年担当したシステムなんか、先輩が提案したアイデアが画期的でしたよ。あんなの先輩じゃなきゃ思いつきもしませんよ」

 静かな喫茶店の一番奥のテーブルで熱っぽく話しているのは、まだ学生っぽい雰囲気を全身に漂わせた宮澤の部下の井上浩太という男だった。今日、浩平と桜がこの男と話しているのには理由があった。宮澤について話したいことがあると、昨日井上から捜査本部に電話がかかってきたからであった。

 

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(三十一)

「――すいません、いい大人がみっともないですよね。こんなんだから先輩に及びもしないんですよね――えっと、つまりこのプロジェクトはほとんど失敗しかかってたんです。それは確かに課長のせいもあるけど、僕も悪かったんです。自分の力を過信して上にしっかり状況を報告してこなかったんです。年が明けていよいよやばいって思って、ようやく課長に状況を報告したんです。そしたら課長、血相変えて俺はもう知らん、ぜんぶお前のせいだからなって怒鳴り散らして――その後です、課長が宮澤さんに任せたって言って逃げ出したのは。普通だったら、そんな状況になったら慌てますよね。

 

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(三十二)

――ツァラトゥストラの予告

 吐き気のする社会に蠢く、傲慢で欲深い環虫どもよ。お前たちと同じ空気を吸っていると思うだけで我慢ならない嫌悪感に襲われ、吐き気を催す。そして、ツァラトゥストラの爪カスほどの価値もないくせに、我こそがツァラトゥストラだと吹聴している屑どものなんと多いことよ。貴様らこそが駆逐されるべき汚物なのだ。偉大なるツァラトゥストラの道を理解できない馬鹿どもが毎日毎日くだらない犯罪で世間を騒がせているが、もはや忍耐の限界だ。お前たちは何も分かっていない。超人に至るには血を流すことが必要だということを。血を流すものだけが新たな地平に立つことができるのだ。
 私は、物覚えの悪いお前たちのために今一度超人の業を披露することを決意した。今度の週末、不浄のまち新宿は血によって洗い清められる。環虫どもよ、しっかり目を開き、そこから学ぶがいい。超人の業とはいかなるものか、超人に至るには何が必要かということを ツァラトゥストラ――

 

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(三十三)

 ノートパソコンの画面上にはインターネットの掲示板が開いていた。

――今度の週末、不浄のまち新宿は真っ赤な鮮血によって、洗い清められる――という例の投稿の後には、嫌悪と礼賛の言葉が山のように連なっていた。男はそれらの投稿を一つ一つゆっくりと眺めながら時には不機嫌に、時には喜悦の表情を浮かべながら、それらに見入っていたが、ある投稿が目に入った。

 

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(三十四)

 電車を降りると上條は駅前の乗り場からバスに乗った。浩平も上條のあとに続いた。神奈川とは言え、ここまでくると山々が広がり、車窓からは富士山の姿も仰ぎ見ることができた。二十分ほど街の中を走り、少し山あいに入ったところで上條が数人の乗客とともにバスから降りた。最後に降りた浩平はその場に立ち止まり携帯を確認するふりを装いつつ、上條が歩く方向を確かめると少し時間をおいてから歩き出した。

 上條が向かっていたのはお寺であった。上條は階段を登り山門をくぐると、本堂には目もくれず墓地があるエリアに向かっていった。すでに来たことがあるのだろう、たくさんの墓が並ぶ敷地を迷いなく進むと、一つの墓の前にたどり着いた。上條は墓の前に進むと静かに合掌した。何と声を掛けているのか、随分と長い間、手を合わせていた。ようやく頭を上げたと思うと、今度は左手を見つめ始めた。よく見ると指にはめられたあの指輪を見つめているようだった。

 

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(三十五)

 上條と寺で別れた浩平はこの機会に宮澤の父を尋ねてみることにした。上條に姿を見せてしまった以上尾行を続ける意味もないし、そもそも、浩平はインターネットの掲示板にあがった投稿はツァラトゥストラのものとは思っていなかった。そんなことに時間を使うより、宮澤という男の実像をもっと知りたいと思ったのだった。

 宮澤家は町外れの閑静な住宅街の一角にあった。急な訪問ではあったが、折よく宮澤の父は家にいて浩平を中に招いてくれた。居間に通された浩平は、宮澤の父親がお茶を運んでくると恐縮しながら頭を下げた。

 

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(三十六)

「今、どこにいるんですか!」桜の怒鳴り声が携帯電話ごしに響いた。

「神奈川から戻るとこだよ。今、列車の中だから、切るぞ」浩平は周りを気にしながら、小声で答えた。

「ちょっと待ってください。大事なことがあるんです」

 

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(三十七)

 翌朝、睡眠不足気味の浩平はあくびを噛み殺しながら、捜査本部会議に出席していた。

 昨晩深夜一時に新宿の繁華街外れの路地裏で殺害されたのは青木健三、中野区在住の四十一歳独身であった。青木は現場にある繁華街ビルの二階のカウンターバー「フォンテン」で九年前から働いていた。渋みがかったなかなかのイケメンで、界隈のホステスの間では名うてのプレイボーイとして知られていた。そのため、色恋のいざこざも相当あったようで、第一発見者で「フォンテン」と同じビルの三階のスナックで働く池戸美奈も以前青木と交際していたらしかったが、青木の浮気が原因で別れ、一時はだいぶ険悪な状況だったと同僚のホステスが語ってくれた。

 

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(三十八)

 取調室の隣室に設えられたマジックミラーの前には大勢の捜査員が立っていた。桜も端の方に立ってミラーを見つめていたが、中では田口宜夫が座っているのが見えた。田口は明らかに落ち着かない様子で、きょろきょろと部屋中を眺めたり、俯いてぶるぶると肩を震わせたりしていた。

 一方、浩平は脇の方で係員と打ち合わせをしていた。係員はこの事情聴取はあくまでも任意同行のもとに行われるものであるので言葉使いや対応には十分に注意するようにと噛んで含めるように説明していたが、浩平はことの重要性を理解しているのか桜が心配になるくらい普段と変わりない様子で、あまりの緊張感の無さに近藤管理官も渋い顔で浩平の方を眺めていた。

 

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(三十九)

「なんで、先輩分かったんですか」今朝は梅昆布茶を飲んで自席でくつろいでいる浩平に桜が聞いた。

「何が?」

「田口がツァラトゥストラじゃないってことですよ」

「あいつは、あんな大それたことができる玉じゃないだろ」

 

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(四十)

 宮澤拓己が殺害されてからちょうど一か月後の九月二十五日、下村武彦は逮捕された。下村が逮捕される数分前、インターネットの掲示板に次のような投稿がアップした。

――いまだ超人にたどりつけない未熟なものたちよ。お前たちは新宿で起こったことを知っているだろう。私の手によって賤民が一人この世から消え失せた。だが、この世の中には、まだこうした賤民どもがあふれかえっている。こうした賤民どもがいやな臭いを発し、この世界に汚臭を撒き散らしているのだ。
超人に至らんとするものたちよ、私が手本を見せた。あとは諸君の番だ。賤民を駆逐し、私とともに汚れなき快楽の水を飲もうではないか。賤民である己を捨てて、超人に至る道をともに歩もうではないか。ツァラトゥストラ――

 

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(四十一)

 夏も終わろうとする九月三十日の朝、警視庁に一通の封筒が届いた。中には手紙とコインロッカーのカギが入っていた。総務の担当者はどの部署に回すべきか封筒を開けて手紙を読み始めたが、十秒もたたないうちに大慌てで上司のもとに走って行った。それはツァラトゥストラからの手紙であった。

――警視庁の諸君へ
 ツァラトゥストラを自称するものを捕らえたようだな。おめでとう、君たちの努力に敬意を表する。これでこの事件も一件落着、君たちもようやく辛い仕事から解放されてほっと一息ついていることと思う。そういうことを思うと、君たちに手紙を送るべきか葛藤があったのだが、やはり誤りは正さなくてはならないと決意するに至った。

 

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(四十二)

 ツァラトゥストラの手紙はその言葉通りマスコミ各社にも届けられており、メディアはこの一大イベントを大々的に報じていた。警視庁が依頼するまでもなく、東京キー局全てからライブでこのイベントを報道したいと申し入れがあり、全国民がこの戦いを見ることになるであろうと思われた。

 警視庁の一挙手一投足が注目される中、警視庁からツァラトゥストラと討論するものの人選結果を報じる旨の通達がマスコミ各社になされると、広報には各社からの問い合わせが殺到し職員は休む暇もなく対応に追われた。

 

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読者さまからいただいたコメント

 

 ここからは、これをカクヨムで投稿した時にいただいた読者様からのたくさんのレビューやコメントの一部を紹介させていただきます。

 

 兎に角、読んで欲しい。説明はしません。下地はタイトルが語ってくれています。話数は現時点で2話。それでも、凄い、と思いました。普段、私は最後まで読むか、相当な分量を読んだ上で良いと思わない限り星を押しません。レビューを書くとしても星を付けて何日か後。ですが、現時点で完読した時と同程度以上の凄さを感じ、お勧めしたい衝動を止められません。きっとこの感覚を多くの人が覚えられるかと。2話までだけでも、読めば、財産。

【完結後追記】 私はこの作品をお金を払って読みたいです。その価値があります。そして、そうすれば、作者様の作品を沢山読めるかもしれませんから。でも、若い方にはチャンスです。今がチャンス。(Sさん)

 

●まだ第一楽章までなので星2ですが…キャッチコピーを見て気になり読みました。プレーリュードは雰囲気があり、ザ日本のミステリという感じです。題材に西洋思想、哲学(ニーチェ)を扱ったミステリということで、笠井潔先生の矢吹駆シリーズを思い浮かべました。ニーチェの独自解釈なども絡めてミステリ作品として成立させていくのでしょうか? 大変かと思いますがすごく楽しみにしてます。

●9/20(金)全編読み終えましたので、再レビュー。 この作品には、既存の哲学を捏ねくりまわしただけの蘊蓄が書かれているのではありません。作家が生きてきた中で培った信念や哲学が、登場人物たちを通して見事に描き出されています。今、心が弱っている人にとって生きるための糧となる物語だと思います。初めてこの作品を読みましたが、シンプルなストーリーなのに読む側をグイグイと引き寄せる単純明快かつ心理描写の巧さもあって、一気に読み切ってしまいました。(Mさん)

 

 完結記念に。標題はニーチェの著書からそのまま引っ張ってきたものです。是非ご一読を。 本作は、「あまりにも人間的な」人々による現代ドラマです。ミステリーの枠でもありますが、本作の最終的な目的地はドラマツルギーにあると思います。本作での、「ツァラトゥストラ」は、人名というよりもニーチェの思想を伝えるための役割として使われているように感じます。人間的な感情の発露や暴走が、時に社会を動かす。また、自分に与えられた役割に気づかされる。そのとき人は何を思うのか。超大作です。心して。(Nさん)

 

 著者の魂の叫びが聞こえる。本作は、ニーチェを題材に、登場人物が生きる意味を問いかけます。きっと、著者も、本作の登場人物と同じように、生きる意味を自らに問いかけたのでしょう。著者の思いが込められた作品は、否応なしに、読者の心を惹きつけます。人の感性は、いろいろです。ある作品を読んで面白いと思う人もいれば、つまらないと思う人もいるでしょう。しかし、感性の違いはあっても、凄い作品を読めば、凄さは伝わります。本作は、凄い作品です。なので、感性の合わない人でも、読めば凄さがわかります。そして、感性の合う人が読めば、とてつもなく面白い作品だと思うでしょう。なお、本作は、ニーチェを知らなくとも楽しめます。(Aさん)

 

 まずはタイトルに惹かれたら読んでみましょう。確かな作者の叫びが筆力に宿っており、ハマった方は続きが気になっていくと思います。僕自身はニーチェは正直に言って名前しか知りませんが、とても興味が惹かれました。とても長い作品ではありますがなるべく続けて見ることをオススメします。自分の中に熱があるうちに続きを読みたいと思わせてくれます。特に「ツァラトゥストラ」との対決は読めば途中で切ろうとは思わないはず。僕は最終章は話が終わるのがもったいなく感じて何日か置いた後に読了しました。あまりレビューは書かないのですが途中から感想よりもレビューを書きたいと思いここに書かせてもらいました。ぶんちくさん。魂のある作品、ありがとうございました。(Mさん)

 

 ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の解読に挑んだ渾身の力作。ミステリーと現代ドラマをミックスした作風に思慮深い作者の心の叫びが込められています。(Nさん)

 

 ニーチェ思想をモチーフにしたミステリ……ということで、笠井潔御大の矢吹駆シリーズのような思想戦と探偵小説のハイブリッドを思い描きながら読み進めたのですが、ツァラトゥストラと主人公の公開討論生中継辺りから、これはそういった類いの代物とは違うのだと気づきました。この物語は、とことんニーチェなのです。矢吹駆シリーズにおける〈VSシモーヌ・ヴェイユ〉〈VSマルティン・ハイデッガー〉といった対立軸とは根底から異なる、ニーチェの思想にどこまで深く潜れるか、現代に生きる我々にとってその意義はなんなのかをあらん限りの力で追究した、ツァラトゥストラの伝道受難劇の翻案そのものなのです。その点に気づいてから、一気に物語世界に惹き込まれました。あとがきにも記されていますように、ジャンルとしては現代ドラマのほうが適当なのかもしれません。が、いかなる枠組にカテゴライズされようとも、この息詰まるような思索の密度は決して薄まることなく、インプットのスピードに追い立てられ考えることをやめてしまった現代人のニヒリズムに、ツァラトゥストラは何度でも蘇り、主人公と共に闘いを挑み続けるのです。(Kさん)

 

 思想とは何か。社会とは何か。人生とは何か。様々なテーマが詰まった本作。哲学に絡んだ殺人事件を通して展開されていくシリアスなドラマは、どれも目が離せない重厚な展開になっています。登場人物一人一人が彼らの人生を生きているんです、その描かれ方のリアルさと言ったら言葉が出ません。時には目を背けたくなるような現実を突きつけられる場面もあり、時には魂が震える程の熱い展開もあり。いずれにせよ、登場人物の『叫び』が伝わってくる壮大な人間ドラマに仕上がっております。終盤のミステリーの種明かしは衝撃的すぎて絶句しました。読み応えのある素晴らしい文学作品になっておりますので、皆様是非ご一読を!(Kさん)

 

 

 

あとがき

 

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 というか、御礼の前に皆様には謝らないといけません。
 この作品はミステリーと書いていますが、本当は現代ドラマだったかもしれません。

 この作品で僕が本当に書きたかったのは、今まで生きてきた中で僕の中にたまった叫びでした。
 体がぼろぼろになるほど苦しめられた時期がありました。死ぬことすら覚悟したときがありました。あまりに不条理な世の中を呪いたくなるようなことがありました。そういう中で自分の中に生まれた叫びを、上條や宮澤や浩平が僕の代わりに語ってくれました。
 でも、上條を信奉する田口やツァラトゥストラになれなかった佐々木、宮澤を尊敬する井上たちの語った言葉もまた自分の中にあった言葉でした。

 作中で上條が言ってたように、何が正しいのかなんて僕にはわからないし、そんなことは別に大したことじゃないと思います。
 大事なことは、どれだけ、自分の信念に命をかけられるかだと思います。

 ここまで読んでくれた人であれば、この作品を読んで、肯定、否定、いろいろと思うことがあったと思います。僕にとっては、それで十分満足です。哲学なき現代。だからこそ、信念を持って自分らしく生きたいと、今、改めて思っています。

 

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