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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(十)

『新しい偶像』
 国家は全ての冷酷なる怪物のうちで最も冷酷なるものである。それはまた冷酷に嘘をつく。「わたしは民族そのものである」と。
 それこそが嘘である。民族を創造し、一つの信仰、一つ愛を彼らの上に掲げたものは創造者たちである。こうして彼らは人生に奉仕した。
 多くの者のために罠を仕掛け、それを国家と名付けるものは破壊者である。彼らは一つの剣と百の渇望を多くの者の上にかけるのだ。
 民族がまだあるところでは、国家は理解などされず、むしろ邪まなるものとして、また風習及び律法に対する罪悪として憎悪される。
 民族とはいかなるものかを私はあなたたちに教える。各々の民族は善悪についての各々の言葉をもつ。その言葉を隣の民族は理解しない。その言葉は民族の風習及び律法の中から創り出される。
 しかし国家は善悪についてあらゆる言葉で嘘をつく。何を語ってもそれは嘘である。何を持っていても、それは全て盗んできたものだ。
 国家というものは、善悪を問わず全ての人々が毒を飲むところである。善悪を問わず全ての人々が己自らを失うところ。全ての人々の緩慢なる自殺、それが「生活」と呼ばれるところ。
 国家が終わるところにこそ、本当の生が始まる。本当の人間の歌が、ただ一度しか聞くことのできない生の歌が始まる。
 国家の終わるところ――私の兄弟たちよ、どうかそこを眺めて欲しい。あなたたちは見えないだろうか、あの虹を、あの超人の橋を。

 

 ページをめくるたびにまるで文字が踊っているかのように、次から次へと浩平の眼の中に飛び込んできた。そして、一文字一文字が電気信号のように脳細胞を刺激し、浩平の記憶を呼び覚ましていった。

 

『賤民』
 人生は悦楽の泉である。しかし賤民と共に飲めば、全ての泉は毒される。
 神聖なる水を彼らは淫欲をもって毒した。そして彼らがその穢き夢を悦楽と名づけたとき、この言葉もまた彼らによって毒された。
 多くの人々が人生を逃れたのは、こうした賤民から逃れたのだった。賤民と共に泉を分かち、焔を分かち、果実を分かつことに耐えられなかったのだ。
 私はかつて問おうとして、その問いのために、息が詰まって死にそうになった。すなわち、「賤民が人生に必要なのか。毒された泉と、悪臭を放つ火と、不浄なる夢と蛆、こんなものが生命のパンの中に必要なのか」と。
 憎しみよりもむしろ嘔吐だった、私の人生を虐げたのは。ああ、賤民にも深い精神を持つものがいることに気づいたとき、私は精神そのものに辟易した。
 どのようにして私はこの嘔吐から逃れたのだろう。なにが私の眼を生き返らせてくれたのだろう。いかにして私は賤民がいない泉のほとりに、こんなにも高い山に飛翔できたのだろう。
 私の嘔吐そのものが、私に翼と泉を感じる力を与えてくれた。悦楽の泉を再び見出さんため、これほど高い山頂にまで飛ばざるをえなかった。
 ああ、私はついにそれを見いだした。このいと高き山頂に、悦楽の泉が湧いている。いかなる賤民も触れることができない一つの生命がある。
 ここは、私たちの高みであり故郷である。私たちは全ての不浄なる者と、その渇望にとって、高くかつ険し過ぎるこの地にこそ住む。
 私たちは彼らの上に、強き風のように生きよう――鷲の隣人、雪の隣人、太陽の隣人として。強い風として生きよう。
 まことに、ツァラトゥストラは全ての低き地に住むものにとって一陣の強い風である。彼はその敵と、すべての唾を吐く者にこう忠告する。「風に向かって唾を吐くのをやめよ」

 

『毒蜘蛛』
 私は比喩をもってあなたたちに語る。人の魂に眩暈を感じさせるもの、あなたたち平等の説教者たちよ。あなたたちは毒蜘蛛だ、隠れた復讐者だ。
「私たちと等しくない全ての者に、復讐と誹謗を与えん」――このように毒蜘蛛は誓う。
「『平等への意思』これこそが、将来、道徳の名称となるべきものである。そして、権力を持つ全てのものに対して、私たちの叫びをあげよう」
 あなたたち、平等の説教者よ、無力なあなたたちの中に秘められた暴君的な狂気が、あなたたちに「平等」を叫ばせるのだ。あなたたちの中に隠された暴君的熱望が、この道徳的な言葉の中に潜んでいるのだ。
 私はこの平等の説教者たちと混同されたくない。なぜなら正義は私にこう語るから、「人間は平等ではない」と。
 また、人間は平等になるべきでもない。
 人間は、幾多の橋を渡って未来へ押しよせて行くべきなのだ。そしてますます多くの戦いと不平等が、彼らの間に起こらなければならない。
 善悪、貧富、貴賤、その他あらゆる価値の名称は武器であるべきだ。生において自らを克己して高まらねばならぬことを示す標識であるべきなのだ。
 生そのものが、柱と階段とをつくって、自らを築きあげようとする。生ははるか遠くを眺め、至福なる美を望み見ようとする。だからこそ生は高みを必要とするのである。
 高みを必要とするから、生は階段を必要とし、階段を登り行く者との相克を必要とするのだ。
 我が友よ、我らもまた断固としてそして美しく戦おう。互いに神々しく、相争わんではないか。

 

 浩平は呼吸するのも忘れたように身動き一つせず本をつかんでいた。
 民衆に対する軽蔑、政治への失望、社会に対する怒り、そんなことを思い浮かべるうちに、浩平の中に埋もれていたあるビジョンが蘇ってきた。それは浩平が大学の頃に夢想したビジョンだった。感情をうまく制御する術を知らず、狂ったように怒り、ボロボロと泣き、腹を抱えて笑っていたあの時代。マグマのようにドロドロした熱い何かがはけ口を求めて体の中をうごめいていたあの頃。社会の歯車に組み込まれていないことに誇りすら感じ、理想を追求するためには常識というくだらない価値観をぶち壊すことが必要であると頑なに信じ、力というものに純粋に惹かれ、暴力や流血に陶酔すら感じ、正気と狂気とがほんの紙一重で交差していたあの青春のひと時に夢想し、思考の全てを覆い尽くしていたビジョンだった。

 

本をもって立ち尽くす男

 

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