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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(十一)

 真っ赤な巨大な太陽がジリジリとアスファルトを照り付けていた。至る所で湯気のように陽炎が立ち昇り、べとべとした大気が重苦しく沈滞する中、この東京の都心のいったいどこにいたのか、油蝉の鳴き声だけが異様なほど辺り一面に響いていた。海外の有名ブランドショップが立ち並ぶこのあたりは、普段であれば多くの買い物客や観光客でにぎわうのだが、今日に限ってはなぜか人一人見当たらず、車一台走っていなかった。

 そんな中、何か異様な音が蝉の声に交じって聞こえてきた。怒号、悲鳴、ガラスが割れる音、金属がへこむ音、禍々しい地鳴りのような鳴動が大気を震わせ押し寄せてきた。それは、何とも形容しがたい人間たちだった。全身にピアスやタトーを入れた男が目を血走らせて、血に染まった鉄パイプを握りしめていたかと思うと、白い開襟シャツにスラックスといういでたちの社会人一年生と見まごう青年が、バットを肩にそびやかし肉食獣のような鋭い目つきで何かを物色していた。『人類の覚醒』、『超人』などと書かれた大旗を振りまわしながら、誰も彼も目を血走らせ、怒号をあげながら街を闊歩していた。

 どこかで唸り声のような奇声があがった。何かを見つけたらしい男が何人か、猛牛のようにとあるショップに向かって走り込んでいった。貴金属を扱うそのショップにはまだ店員が一人残っていて慌てて自動ドアの鍵を締めようとしていたのだった。男たちはそんなことはお構いなしにショーウィンドーに向かって次々とバットを振り降ろし始めた。野獣と化した男たちの容赦ない攻撃により、強化ガラスでできた分厚いウィンドーの表面に蜘蛛の巣のような亀裂が広がり始めた。呆然としてその様子を見ていた店員がようやく危険を悟り慌てふためきながら逃げ出そうとしたその瞬間、大きな破裂音が轟き、ショーウィンドーが粉々にくだけ散った。男たちは店内に乱入すると高価なジュエリーが収められたガラスケースを次々に壊し始めた。美しい宝石がちりばめられたネックレスやブレスレットはこの男たちにとってはガラクタほどの価値もないと見え、見るも無残な姿に変わり果てたその姿を、ガラスの破片に埋め尽くされた床の上に晒していた。

 スキンヘッドの男が棍棒のような太い腕を伸ばして、慌てふためき逃げ出そうとしていた店員の襟首をむんずとつかみあげた。ツイードのスーツを着込み、髪をポマードで綺麗になでつけたその店員の顔は恐怖でゆがみ、猫に尻尾を押さえつけられた鼠のように足をバタつかせた。首根っこをつかまれた店員の目の前に、ロングヘアーを後ろでゆわえた端正な顔立ちの男がすっと立った。金属バットを手にしたその男は無機質な目で店員を眺めていたが無造作にバットを大きく振り上げた。

「まっ、まってくれ、欲しいものはなんだ! 金か! 金ならいくらでもあるぞ」そう言うと、店員は胸元から本革の財布を取り出し、手が切れそうな一万円札の束をつかんだ。

「ほっ、ほら、これでどうだ。たりないか? まってくれ、金なら腐るほどあるんだ。あそこの金庫に金はいくらでも入っている。ほら、これが金庫の鍵だ」店員は震える手でポケットから鍵束を取り出すと、媚びるように捻じれたような笑いを浮かべて男に差し出した。

 店員を見る茶髪の男の顔に初めて人間らしい感情が浮かんだ。それは口笛を吹きたくなるような爽やかな朝に、ふと道端に残されたクリーム色の吐しゃ物を見た時のような忌々しいほどの嫌悪感だった。茶髪の男は薄汚い毒虫をこの地上から完全に抹殺しようとするかのように金属バットを躊躇なく振り降ろした。気持ちいいほどの音が店内に鳴り響いた。バットは的確に頭頂部にぶち当たったと見えて、目を大きく見開いた店員の顔は上から押しつぶされ、カエルのようなひしゃげた面相にかわったかと思うと、スローモーションのようにゆっくりと後ろに倒れた。頭から噴水のように噴き出した血があたり一面を真っ赤に染める中、男たちは奇声をあげながら、あらゆるものをぶち壊していった。

 路上では女性リポーターがカメラに向かって興奮気味に何やらまくし立てていた。政治不信に対し若者たちが立ち上がったとか、資本主義に対する革命だとか、そんなことをべらべらしゃべっていたかと思うと、若者たちの生の声を聴いてみましょうと恐れも知らず群衆の方に向かって行った。

 集団の先頭ではTシャツが今にも張り裂けんばかりのぶ厚い胸筋と逞しい上腕をもつ短髪の男が「神は死んだ、人間は超克されねばならん」と大声で連呼していた。女性リポーターは鋭い目つきをした獅子がプリントされたTシャツを着こんだその男にずかずかと近づいていくと「リーダーの方ですか! あなたがたがこの暴挙に至った動機は、やはり最近の政治腐敗が原因ですか」といきなりマイクを突き出した。

「あなたがたに同情する声もありますが、これは明らかな法律違反であり、平和に対する重大な挑戦だと思いますが、これについて、どのように反論されますか」女性リポーターはカメラのアングルを気にしつつ、我こそが法律であり世論であるかのような態度で厳しい言葉を男に投げつけた。

 短髪の男は立ち止まると、香水の匂いを撒き散らし、自分は常に別格な存在だと勘違いしているかのようなこの女を冷ややかに眺めた。その目つきは同じ人間に対するものとは思えないほど冷徹で侮蔑の念があふれていた。

 女性リポーターの背後に別な男が歩み寄ったかと思うと、いきなり髪を後ろからぐいと引っ張った。その勢いで女の頭は後ろにのけぞり、眼は狐のように吊り上がった。さきほどまでの切れ長の美人の面影は瞬時に消え失せ、その顔は妖怪にも似た不気味なものになった。何が起こったのか理解できず、ゾンビのように手を前にぶらぶらさせていた女性リポーターは、ようやく自分がどういう状況にあるのかを理解し、カラスの鳴き声にも似た奇妙な叫び声をあげた。神経を逆なでするようなそのノイズが我慢ならないとばかりに、短髪の男は後ろで髪を掴んでいた男に視線を送った。男は合図に応えるように腰からアーミーナイフを抜き出すと女の喉にあてた。

 鋭く冷たい金属が喉に押し付けられたことを皮膚で感じた女性リポーターは恐怖のあまり、吊り上った目を大きく見開いた。何事かをしゃべろうとしたが言葉にならず、終いには蟹のようにぶくぶくと泡を吹いていたが、急に重力から解放されたように、ふわっと前によろめいた。ふらふらとよろめく女性リポーターの喉からは、血がだらだらと流れ落ちていた。そしてそのまま前に崩れ落ちた。

 その様子をカメラ越しに見ていたカメラマンは体中をがくがく震わせながら、一歩も動けないでいたが、女性リポーターが倒れた途端、意味をなさない叫び声をあげ、二、三歩後ずさりして尻餅をついた。歯をがたがたいわせながら顔をあげると目の前には、上半身裸の男が仁王像のように聳え立っていた。その両の胸には鷲と蛇の刺青が施され、その二つの生き物はまるで生きているかのように鋭い眼光をカメラマンに向けていた。刺青の男が雄叫びをあげながら木刀を振り上げるのをカメラマンはコマ送りの映像を見るように眺めていた。そして鈍い音とともにその映像は暗闇の中に永久に消えた。

 暴徒の集団が津波のように国会前に押し寄せていた。後から後から人が押し寄せ、いったい何千いや何万の人間が集まっているのか見当もつかなかった。血にまみれたバットや鉄パイプをもち天を圧するような怒声をはりあげた熱気と狂気に覆われたこの集団は、かつてこの地上に存在したどんな集団とも様相を異にしていた。彼らには合理的な目的などはなかった。体の内から突き上げてくる物狂しい何かが彼らを衝き動かしていた。現代のこの社会とはまったく相いれない何か、それでいて人間が生きていくために絶対に必要なもの。熱く粘っこく、そして常に大きく増殖しようとする何か。無制御な生の意思とでも言おうか、そうした剥き出しの原初のエネルギーのようなものを全身から発散させていた。

 彼らの前に盾を構えた機動隊の一団が長城のように立ち並び鉄壁の陣を敷いていた。社会という制度を守るために存在する日本最強の組織。隊長を頂点として末端の部下ひとりひとりに至るまで、完全な指揮命令系統に支配された機能的な集団。彼らは隊長が発する命令を無線で聴きながら、自分こそが社会を守護する最後の砦であるとの誇りを胸にいだき、正面に迫った無秩序な集団を厳しい目で見つめていた。

 暴徒の集団は嬌声をあげ地団駄を踏みながら機動隊を挑発していたが、最初の一歩を踏み出せずにいた。睨み合いが永遠に続くかと思えた頃、一人の男が傲然と列の前に歩み出た。古のゴリアテと見まがわんばかりのその男は獅子が描かれたTシャツを着こんだあの短髪の男だった。その男は目の前に並ぶ機動隊を睥睨すると、かっと目を大きく見開き、天にも轟かんばかりの大音声を放った。

「神は死んだ、人間は超克されねばならん!」

 その声は、その場にいる全てのものの鼓膜をつんざき、腹の底を打ちぬいた。するとどこからともなく小さなこだまが返ってきた。こだまは反響しあうように様々な方向から響いてきた。そして徐々にその勢いを増し、ついに一つの音になりはじめた。

「神は死んだ、人間は超克されねばならん!」
「神は死んだ、人間は超克されねばならん!」
「神は死んだ、人間は超克されねばならん!」

 天をも焦がすような轟音が、あたり一面に轟き渡った。その声はそれを放つ暴徒たちの心気を高め、じりじりと機動隊に向かって進んでいった。手を伸ばせば届かんばかりの距離に近づいたとき、ついに堤防は決壊した。

 狂ったような雄叫びをあげて、男たちが次々と機動隊に飛び込んでいった。盾を持ち必死に防ぐ機動隊の懸命の努力もむなしく、暴徒の圧力は増すばかりで鉄壁の布陣はじりじりと押されていった。間に挟まれて苦痛のあまり絶叫する仲間の悲鳴など意に介するそぶりもなく、前に前に進もうとする暴徒たちは、ついには前にいる仲間の頭をも踏み台にして、機動隊の陣形のなかに飛び込んでいった。無秩序な混沌から生まれる圧倒的な増殖の力には抗う術もなく、機動隊が誇る最強の防衛ラインは崩壊し、ついにはいたるところで肉弾戦が始まっていった。数人がかりで躍り掛かり、引きずり倒した機動隊員を踏みつけるもの、ヘルメットめがけて金属バットを叩き下ろすもの、そこで繰り広げられる光景は我々が知る平和国家とは一切無縁の世界であった。純粋に力を有するものだけが生き残れる世界、純粋に個としての能力だけが問われる世界。

 いつしか機動隊の若者たちも暴徒を警棒で殴りつけ、倒れたものの顔を容赦なく蹴りつけていた。その顔は暴徒たちと何ら変わるところがなかった。生き残るためにあらんかぎりの力を出して、目の前の相手を打ち倒すことだけに己のすべてをかけていた。ようやく目の前の男を倒したかと思うと、次の瞬間には別な男に頭をぶち割られていた。必死で勝ち取った生の権利は一瞬のうちに死の直行便の切符に早変わりした。もはや理由はなかった。生きるために戦う。ただそれだけだった。

 機動隊を踏み越えた暴徒たちは、とうとう国会前に設置されたバリケードを打ち倒し、次から次へと国会議事堂に乱入していった。歴史ある赤い絨毯は泥靴で踏みにじられ、近代日本をつくりあげた為政者たちの銅像は無残に引き倒された。社会と秩序の象徴であった建物は、暴徒たちの抑制の無い無秩序な力により打ち砕かれ無残な姿に変わり果てていた。常識だとか法律だとか制度だとか、これまで社会を牛耳っていた既存の価値観は粉々に砕かれ、血に染まった新しい種類の人間たちにより新たな価値が刻まれようとしていた。

 

暴徒の集団

 

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