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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(十五)

 翌日、浩平と桜は御茶ノ水駅から歩いてわずか十分のところにある宮澤の同級生の佐々木隼人という男のアパートを訪ねていた。来る途中上條と田口が買い出しに行ったというコンビニにも寄ってきたが、そこは佐々木のアパートから五分足らずで行ける距離だった。

 佐々木の部屋は宮澤ほどではないにしても二十五歳のサラリーマンが住むには少し贅沢過ぎるように桜には思えたが、佐々木が務めている大手商社の名前を聞くと最高学府を卒業したエリートたちの生活はこんなものかと妙に納得した。だが目の前に座っている男は見るからに体育会系というような体つきで、肌も浅黒く、桜が思い描く帝都大学というイメージからはかけ離れていた。

「佐々木さんは宮澤さんと四年間一緒に過ごされたんですよね」隣に座った浩平が徐に話を切り出した。

「ええ、大学一年のときからの付き合いです」佐々木は少し緊張した面持ちで答えた。

「じゃあ、宮澤さんのことはだいぶ詳しく知ってらっしゃるんでしょうねえ」浩平は柔和な口調で続けた。

「そうですね。始めて会ったときから数えるともう七年になります。思い出してみると、やっぱりいろいろありますね」

「宮澤さんはどんな方でした?」

 浩平の茶飲み話のような口調に釣り込まれたのか、佐々木は昔を思い出すようにゆっくりと話し始めた。

「刑事さんの前でこんなこと言うのはなんですけど、最初会ったころはあまり好きじゃなかったですね。なんていうか自分の考えを曲げないやつだったし、人にもこうすべきじゃないのかって自分の価値観を平気で押し付けてくるし――ほら学生の頃ってよくいるじゃないですか、理屈ばっかりの奴って。最初は、こいつもそんなやつなんだろうって思って会えば挨拶をかわす程度の付き合いでした。だけど徐々にこいつはそういう奴らとは違うなって分かってきたんです。口ばっかりじゃなくて、いろんな活動にも積極的に参加するし、みんなが嫌がることも率先してやるし、後輩たちの面倒見もいいし、とにかくこいつは頼りがいがあるやつだなって分かってきて、二年の半ばには学部の中でも相当顔が知られてましたね。で、ゼミを選ぶ段になって僕が内藤ゼミを選択したら、あいつも内藤ゼミに入ってきたんですよ。まあ、僕もあいつも西洋哲学に関心があったから、内藤ゼミに入るのはお互い既定路線って感じでしたけど」佐々木は一息入れると話を続けた。

「あいつはゼミでも目立ってましたよ。とにかく考え方がしっかりしてるし、自分の意見を堂々と言えるし、なによりもあいつの言葉には重みがあるっていうのか、知らず知らずのうちに納得させられてしまうんですよ。だけど俺も若かったし、同い年の奴に負けたくないって思いもあったから、とにかくあいつの言うことにはむきになって反論したものですよ――あれは夏休みに入る直前だったかな、初めて二人で酒飲んだことがあるんです。何話したかほとんど忘れちゃいましたけど、一つだけ覚えてることがあるんです。酔っぱらった勢いで、お前なんで、そんなにくそ真面目に突っ張ってんだよって聞いたんです。そしたらあいつ『俺たちでさ、この社会を変えようぜ』って、いきなり言い出したんですよ。そんなこと簡単にできるわけないでしょ。だから何言ってんだよ、そんな簡単なもんじゃねえだろって言ったら、あいつは『いや俺達ならできる。いや俺たちにしかできない。だって俺たちはツァラトゥストラの思想を受け継ぐものだろ』って真顔で言うんですよ――そしたらだんだん俺も熱くなってきて、結局二人で酔いつぶれるまで語り合いましたよ」そこまで言うと佐々木は少し押し黙った。

 

居酒屋のカウンター

 

「――だけど、俺は大学を卒業して社会に出て、いろんな壁にぶつかっていくうちに、段々と自分の思ったとおりにはいかないんだってことが分かってきて、それに自分の限界みたいなものがうっすら見えてきて――でも、あいつは社会に出てからも学生時代と同じように常に新しいことにチャレンジしていって、どんどん高く昇っていくし。いつの間にか、あいつの話を聞いてると何か自分がひどく劣っているような気になって、そのうちに連絡も取らなくなっちゃって、実はこの前会ったのだって、半年ぶりくらいだったんです」佐々木はそう言って寂しく笑った。

「亡くなられた内藤教授を偲ぶ会を開こうということで集まったとお聞きしましたが」話をつなぐように今度は桜が口を開いた。

「ええ、あいつから電話があって、内藤教授が亡くなったらしいぞって教えてくれて、それで何かお別れ会みたいなものを企画した方が良いんじゃないかっていう話になったんですよ。で、上條にも電話したんです」佐々木は再び緊張した面持ちで答えた。

「なぜ上條さんに?」

「一つ下のやつらには上條に話しておけば、うまくやってくれるんですよ。案の定、すぐに田口と一緒に行くからって電話があって」

「それで八月二十四日の晩にあなたのアパートに皆さんが集まったわけですね」

「そうです」

「かなり飲まれたようですが、最初からそのつもりだったんですか?」

「いや、最初はそんなつもりはなかったんですが拓己がビール買ってきたんで、とりあえず飲むかってことになって――上條と会うのも久しぶりだったし」

「それなのに、いきなり宮澤さんが帰ると言い出した?」

「ええ、用事ができたから帰るって言い出して、タクシー呼んで慌ただしく帰っていきました」

「それで、その後皆さんたちは?」

「時計見たら終電の時間も過ぎてたし、上條と田口をこのまま帰すわけにもいかないんで家に泊めることにしました。まあ結局、朝方まで飲んでましたけど」

「上條さんたちもずっとこの部屋に?」

「ええ、まさに刑事さんたちが座っているところにあいつらがが座って、僕はここに座ってずっと飲んでました。何時ごろかな。少し薄明るくなってきたのはなんとなく覚えてるから、五時頃まで飲んでたんじゃないかな。その後いつの間にか寝ちゃったみたいで、目を覚ましたら九時近くなってましたね。結局九時ちょい過ぎかな、あいつらが帰ったのは」

「宮澤さんが出て行かれてから、誰かが途中で部屋を出て行かれたなんてことは?」

「酒が足りなくなったんで二人に買い出し頼みましたけど、十五分もしないうちに戻ってきましたし、その後はずっとここで飲んでましたよ。終わりの方はあんまり記憶が定かじゃないですけど――」

 横から浩平が口を挟んだ。

「すいません。佐々木さんはいろいろご存知のようだからちょっとお聞きしますが、上條さんはどんな人でした?」

 佐々木はその言葉を聞くと少し顔を緩めた。

 

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