「おい宮城! 例の容疑者とツァラトゥストラとの関連はつかめたのか」
あのテレビでの一件以来、不機嫌状態が続いている近藤管理官がデスクから怒鳴り声をあげた。
浩平は不承不承腰を上げて近藤のところまで行くと、「いや、まだ、はっきりした証拠は掴めてません」と頭を掻きながら報告した。
「何やってんだ! いいか、ツァラトゥストラを名乗る愉快犯が全国各地で事件を起こして、そのたびに警察は何してるんだと、ギャーギャーマスコミが騒いでいるんだぞ。上からもひっきりなしに電話が掛かってくるし――とにかく、この事件はいまや単なる殺人事件じゃないんだ! 警察の威信がかかっているんだぞ。分かっているのか、お前らは!」
青筋を立てて怒鳴りちらす近藤の声が室内に響き渡ったが、室内の捜査員はみな一様に視線を避けて近藤の怒りの矛先が向けられるのを回避しているようだった。そんな中、浩平一人だけが近藤を睨み付けるようにしてむすっとデスクの前に突っ立っていた。
「――とにかく早く尻尾を掴め。あそこのゼミ生の仕業に違いないんだからな」浩平の気迫に押されたのか、近藤はそう言うと、もういけとばかりに手を振った。
「管理官、だいぶストレスたまってるみたいですね」ちょうど聞き込みから帰ってきた桜が浩平のもとに近寄ってきた。
「ったく、頭にくるぜ。メディアが騒ぎ出した途端、手のひら返したように急かしてくるんだからたまったもんじゃないぜ。何が単なる殺人事件じゃないだ、殺人に上も下もあるかよ」浩平は腹の虫がおさまらないとばかりに桜に毒づいた。
「先輩、声大きすぎますよ」桜が慌てて口をはさんだ。
「ところで、どうだった?」桜の心配などお構いなしとばかりに浩平が尋ねた。
「法事の件については完全に裏が取れました。上條家のお墓があるお寺の住職に確認したところ、確かに八月十日の午前十時から上條の自宅で法要を行ったそうです。上條の叔母にあたる菅原百合子という女性にも電話してみました。彼女は上條の母の妹にあたり、家が近かったこともあり、上條の母親が亡くなってからは何くれと面倒を見てきたようです。今回の法事も全て百合子が段取りしたようですが、上條が立派に喪主の務めを果たしてくれたと声を詰まらせて話してくれました。法事が終わった後は、上條家を片づけて自分の家に戻り、夜は上條と絵梨という娘と三人でゆっくり過ごしたとのことでした。翌日以降も娘とどこかに出かけたり、三人で買いものに行ったりと、とにかく十七日の朝の新幹線で東京に帰るまで、ずっといっしょにいたと話してくれました」
「ってことは、その菅原百合子ってのも母子二人暮らしってことか?」
「はい、夫はだいぶ昔に亡くなったそうです」
「姉妹ってのは境遇まで似てくるのかね」
「そういうこともあって、上條のことを自分の息子のように思っていたみたいです」
「上條の病歴についても聞いてみたか」
「えっと、上條は子供のころは体が弱くて、すぐに熱が上がって大変だったみたいです。何度か入院したこともあったそうです。でも、中学生になるあたりから、体もしっかりしてきて風邪を引くこともほとんどなくなったそうです」桜は手帳を見ながら答えた。
「それだけか」
「はい。特にこれと言った大きな病気をしたということはないそうです」
「そうか」浩平はそうつぶやいて頭を掻いたが、気を取り直したように、「ところでバイト先の方はどうだった」と聞いた。
「二十四日の四時から六時まで家庭教師をしたという女子生徒宅にお邪魔してその子と話をしてきましたが、上條はずっと部屋で英語と数学を教えてくれたそうです」
「ってことは、上條には事件前後も完全なアリバイがあるってことか」浩平はうんざりしたような口調でつぶやいた。
「その子に思いっきり悪態をつかれましたよ。上條さんはとっても優しくて、警察の世話になるようなことなんてするわけない! 上條さんをいじめたら許さないですって。まるで、上條に恋している――っていうか上條を崇拝しているみたいな感じでしたよ」
桜の言葉が浩平の中にあった何かに触れた。
崇拝……そう、それなんだ! あいつを知る人間はみんなあいつに好意をいだき、深い親愛の情を示すようになる。浩平の脳裏に田口や佐々木、芽衣の顔が次々と浮かんだ。
「それだよ!」上條が飛び上がった。
「えっ?」
「崇拝してるんだよ上條のことを。ツァラトゥストラを名乗る犯人は上條を崇拝して、あいつの理想を実現することに至福の喜びを感じているんだよ」浩平が早口でまくしたてた。
「それじゃ上條の信者が勝手に犯行を行っているってことですか」桜が当惑気味に言った。
「その可能性はある――」浩平はそう言うと、自分の気持ちを抑えるようにまた椅子に座り直した。そして、しばらく考えた末に再びつぶやいた。「――もしくは、上條が自分の崇拝者と共謀して事をおこしているのか」