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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(二十九)

「すいぶん上條さんに肩入れされてますけど、何か理由でもあるんですか」

 田口は鼻で笑った。

「刑事さん、あなたも何度か上條に会ってるんでしょう。それなのに、あいつの凄さを感じないんですか。あいつはね、信念を持っているんですよ。そしてその信念のためなら自分の命すら捧げかねない男なんですよ。そんな人間がこの世の中にいますか。警察の中にそんな人間が一人でもいますかね。いるわけないですよね。まあ、そんな体たらくだから、警察が無能とか言われるんでしょうけどね」

 この男が上條に妄信的な想いを頂いていることは明らかだった。この男は上條のためなら、どんなことでもやりかねない雰囲気を持っていた。だが異常とも言える田口の上條に対する感情をなぜか客観視できない自分もいた。浩平は自分の中にも少なからず田口と似たような感情があることを否定できなかった。

 浩平の心の葛藤を知ってか知らずか、桜がバトンタッチするように質問を始めた。

「――すいません、内藤教授のことについてもお聞きしていいですか。内藤教授の死体の傍に『学者』と書かれたカードがあったのはご存知かと思いますが、何かそれに関することで思い当たることはありませんか?」

 田口は毒々しい笑みを浮かべた。

「僕はあの人のゼミを受講しましたが、あの人から何かを学んだとは思ってませんね。あの人は単にニーチェを気取っていただけの俗物ですよ。メディアの前ではかっこいいこと言ってたけど、裏ではひどいもんでしたよ。結局、あの人は自分のことしか関心がないんですよ。思想なんてありゃしない。そうそう、あの人学部長になり損ねたんですけど、ゼミの飲み会でそのことをずっと愚痴ってたんですよ。さすがに見かねた上條が、そういうことを言うのは日頃の言動に反しませんかって言ったんです。そしたらあの人顔真っ赤にして体ブルブル震わして、でも結局何も言わずそのまま帰っちゃって。それからですよ、上條を無視するようになったのは。それまではうちのゼミのエースだとかと言っておだて上げていたのにですよ。まあそんな程度の人なんですよ」田口はもう一切の遠慮は無用とばかりに、唾を飛ばしながら悪口を並べ立てた。

「無視っていうと?」

「いや、それまでは誰か発言するとすぐに上條くんはどう思うなんて猫なで声で聞いてきたくせに、それ以後は全く目も合わせずに、上條が発言してもほとんど無視ですよ。ほんと最低なやつでしたね」

「それじゃ、上條さんもだいぶ怒ったでしょうね」

 だが田口は少し困ったように「ところが、あいつは人の悪口を言うような人間じゃないし、そもそも、そういう感情がないっていうか――逆にそういう奴だからこそ教授は上條を許せなかったんじゃないんですかね。自分が絶対にたどりつけない境地に既に到達している上條を。まさに『学者』とツァラトゥストラの関係ですよ」

「それじゃ内藤教授が『学者』と呼ばれるような人だったってことは間違いないんですね」

「僕がそう言ったからって僕が教授を殺したなんて思わないでくださいよ。教授のことを『学者』って言ってたやつは他にもたくさんいたんだから」そう言って田口は桜を睨んだ。

「ところで八月十日の夜はどこにいたか教えてくれませんか?」桜は田口の言葉を気に留めることもなく淡々と質問を続けた。

「いきなり日にちだけ言われてもな」田口は苦笑を浮かべたが、桜はそんな田口に「内藤教授が亡くなった日です」と躊躇なく言った。

 田口は少しうろたえ気味にもぞもぞと口を動かしていたが、「……その日は家にいましたよ」と小さく答えた。

「誰かそれを証明できる人はいますか?」桜が厳しい顔つきで聞いた。

「そんなのいるわけないでしょう。家にいたんだから」

 田口の憤慨したような返事を聞くと、桜は聞くべきことは全て聞いたとばかりに浩平に目をやった。浩平は軽くうなずくと「いや、お手数をお掛けしました。いろいろ参考になりました」と言って立ち上がった。ほっとしたように田口も立ち上がると早く帰れと言わんばかりに二人を追い立てた。せかされるように靴を履き、ドアノブを手をした浩平だったが、急に何かを思い出したように振り返ると、田口に声をかけた。

「そうだ田口さん。あまり大きな声を出すと、外に響きますからほどほどにした方がいいですよ」

 茫然と玄関に立ち尽くす田口を尻目に二人は扉を閉めた。

 

呆然と立ち尽くす男

 

「明らかに田口は上條に対して度を越えるような感情を持ってますよね。あの感じだと、上條のためだったら本当に犯罪も犯しかねないかもしれませんね」車に乗り込むやいなや桜が言った。

「確かにな。だがやはりアリバイの問題は残る」

「……ですね。八月二十四日の夜から、二十五日の午前まではずっと上條と一緒ですし、裏も取れてますからね」

「他のゼミ生の裏取りもしたんだよな」

「ええ、内藤ゼミの受講生は十二人いますが、全員アリバイがあります」桜は途方にくれたように言った。

 宮澤が奥多摩の山奥で射殺されたのは出血の跡や衣類についた痕跡などの物証からみて動かしようのない事実であり、その時刻は八月二十五日の早朝とされていた。しかしその時間にその場所に行くことのできた内藤ゼミOBは誰もいない。確かに上條がOB以外の誰かに指示して殺人をさせたというなら、それは可能だろう。だが浩平にはなぜかその考えは承服できなかった。

 あいつは、もしかしたら自分の信念を貫くためだったら、犯罪を犯すことも厭わないかもしれない。だがもし仮に誰かと共謀して犯罪を犯したとしても、あの上條という男は自分を安全圏において、他人にだけ卑劣な行為をさせることは絶対にない。

 浩平にはそんな確信にも近い思いがあった。そしてもう一つ、浩平の中にずっとわだかまっている疑問があった。それは犯罪現場が奥多摩の山中ということだった。なぜそんな人気のない場所に宮澤を呼び出すことができたのかということだった

 まるで殺されにいったも同然だ。いや、殺されることを覚悟して行ったに違いない。だがなぜだ。なぜ宮澤は死ななければならないんだ。何度考えてもそこで考えが止まってしまうのだった。

 

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