「先輩はすごかったですよ。仕事は早いし、取引先からの評判もいいし、なにより仕事のクオリティが凄いんですよ。先輩が去年担当したシステムなんか、先輩が提案したアイデアが画期的でしたよ。あんなの先輩じゃなきゃ思いつきもしませんよ」
静かな喫茶店の一番奥のテーブルで熱っぽく話しているのは、まだ学生っぽい雰囲気を全身に漂わせた宮澤の部下の井上浩太という男だった。今日、浩平と桜がこの男と話しているのには理由があった。宮澤について話したいことがあると、昨日井上から捜査本部に電話がかかってきたからであった。
「でもそういう人って、意外に仲間受けが悪いことってあるじゃないですか。なんでも自分優先って感じで。ところがあの人は僕たちのこともしっかり面倒見てくれて、だからすごい人望もありましたよ。本当にできる人ってああいう人を言うんでしょうね」
「井上さん、今日は何か我々に話したいことがあると聞いて伺ったんですが?」
さきほどから、茶飲み話のように思い出を語る井上の言葉を聞いていた桜が業を煮やしたように言った。井上はそのことをすっかり忘れていたかのように目をぱちくりさせていたが、本来の目的を思い出したのか急に不機嫌な表情を浮かべた。
「僕は我慢がならないんです」
「どういう意味ですか?」
「最近テレビや雑誌が今回の事件を面白おかしく取り上げてますけど、警察はなんであいつらに好き勝手なこと言わせているんですか! くだらないカードが一枚あったからって、それが先輩と何の関係があるんですか。そんなもののために、あいつらまるで先輩が死にたがりだとか狂信者だとか好き放題言ってますけど、そんなことが許されるんですか。先輩はあんな連中とは比べものにならないくらい凄い人だったんですよ!」井上はそういうとテーブルを強く叩いた。
桜はそんな井上を呆れたように眺めていたが、浩平は何食わぬ顔でコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れると、ぐるぐるとスプーンでかき回していた。井上は目の前に座ったおよそ刑事らしくない男ののんびりとした仕草を見ているうちに、急に自分の言動に恥ずかしさを覚えたのか肩を縮めて頭を下げた。
「あの、すいません。かっとなってしまって……すぐ感情的になっちゃうんです。自分でも直さなきゃと思ってるんですけど」
コーヒーを美味そうに啜った浩平はカップを置くと井上に声を掛けた。
「いやいや、僕もマスコミの対応には心底うんざりしてるんで気になさらずに。ところで、お話を聞くと井上さんはだいぶ宮澤さんを尊敬されてたようですね」
浩平が気さくに話しかけたせいか、井上はだいぶ落ち着きを取り戻したようでコーヒーを一口飲むとゆっくりと話し始めた。
「僕は去年この会社に入ったんですけど、その頃先輩はもう自分のプロジェクトを抱えてガンガン仕事してました。とにかく仕事が早いし、チームをまとめるのも上手いし、だからすぐに部長に信頼されて入社一年目からプロジェクトマネージャーを任されようになってたんです。普通ありえないですよ、一年目でマネージャーなんて。だから最初は先輩のことをもっと年上だと思ってたんですけど、後で一つしか違わないって知って凄い驚きました――いつか先輩と飲んだ時に聞いたことがあるんです。なんでそんなに仕事ができるんですかって。そしたら、こう言われました。『何つまらないこと言ってんだ井上、お前だって、こんなことはすぐにできるんだぞ。できないと思っているのは、お前がまだ自分の力を信じてないからだ。いいか、仕事ってのは必ずゴールがあるんだ。ゴールがあるってことはそこにたどり着くための道が絶対にあるんだ。その道がどんなに険しくてもとにかく道があるんだ。だったらそこを進むしかないだろ。そして進んでいけば必ずゴールにたどり着けるんだ。できない奴は俺の手には負えないとか、上司が理解してくれないとか言い訳ばっかり言うだけで自分で足を踏み出すことをしない。確かに世の中にはそんな奴がたくさんいる。だけど俺たちまでそんな奴らと同じである必要はないんだぞ。なあ浩太、俺たちはできるんだよ、だからもっと自信を持て。そしてもっとでかいことやろうぜ』って」そう言うと井上は寂しそうに笑った。
「あれは去年の暮れのことでした。ある自治体のセキュリティシステムの改修の案件があって、僕らは黒田課長の下でその仕事をしてたんです。先輩は別のプロジェクトを抱えていたので、その案件には関わっていませんでした。ところが年明けすぐの課内ミーティングで、課長がいきなり、今後このプロジェクトのマネジメントは宮澤くんに任せると言い出したんです。そんな話全く聞いてなかった僕らも驚きましたけど、先輩も初耳だったと見えてすごいびっくりしていました。先輩は何か言いたそうでしたが、その場ではあえて質問もせず会議はそれで終わりになりました。そしたら課長、具合が悪いから休むって言い出して、そのまま逃げるように帰ってしまい、しかも次の日から会社に来なくなってしまったんです――ひどいでしょう。いきなり億単位のプロジェクトを部下に丸投げして、引継ぎもせず仮病ですよ。それでいて事業が無事終わるとのこのこ復帰してきて、さも自分の手柄みたいに社内で吹聴してるんですよ。最低だと思いませんか!」
井上はまたしても血相をかえて高声をあげたが、何を思ったのかすぐに黙りこんでしまった。井上の性格にだいぶ慣れてきた桜だったが、今度はいつまでたっても口を開きそうにないので、あのと声をかけたようとしたその瞬間、井上が小さな声でつぶやいた。
「……ボロボロだったんです」
「えっ?」桜は思わず聞き返した。
「……僕たちのプロジェクトはどうにもならないくらいボロボロの状況だったんです。課長は自分のノルマこなすために予算度外視でこの案件取ってきたんです。だから最初から明らかに人が足りなかったんです。それなのにクライアントにはいい顔して無理なリクエストもどんどん現場に落としてくるし、それでいてろくに打ち合わせもしないし……毎晩残業しても全然先が見えないし、スケジュールはどんどん遅れていって、このままじゃ絶対無理だと思いました。だけど僕は……僕は……」
井上はほとんど真下を向いていた。桜は井上の肩が小刻みに震えているのに気付いた。井上は嗚咽をこらえているようだった。そして涙が一滴、ポツンとテーブルに落ちた。
「井上さん、何か言いたいことがあるなら、どうぞ言ってください」桜が労わるように声を掛けた。すると井上は涙に濡れた顔をあげて、いきなり駄々っ子のように叫んだ。
「僕だって先輩みたいにできるってとこ証明したかったんです! 先輩に言われたように自分を信じれば、なんでもできるはずだって思ってたんです!」
井上の目は真っ赤に染まり涙がボロボロとこぼれていた。桜はハンカチを取り出すとそっと井上に差し出した。井上は少し頭を下げてハンカチを受け取ると、涙を何度もぬぐった。そして吹っ切れたようにしゃべり始めた。