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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(三十七)

 翌朝、睡眠不足気味の浩平はあくびを噛み殺しながら、捜査本部会議に出席していた。

 昨晩深夜一時に新宿の繁華街外れの路地裏で殺害されたのは青木健三、中野区在住の四十一歳独身であった。青木は現場にある繁華街ビルの二階のカウンターバー「フォンテン」で九年前から働いていた。渋みがかったなかなかのイケメンで、界隈のホステスの間では名うてのプレイボーイとして知られていた。そのため、色恋のいざこざも相当あったようで、第一発見者で「フォンテン」と同じビルの三階のスナックで働く池戸美奈も以前青木と交際していたらしかったが、青木の浮気が原因で別れ、一時はだいぶ険悪な状況だったと同僚のホステスが語ってくれた。

 その池戸美奈は三十四歳独身で、本人が言うところによれば、一年ほど前に確かに青木と付き合っていたが、青木の浮気癖があまりにひどいのですぐに別れたとのことで、それ以降は同じビルなのでたまに顔を合わせることはあるにしても個人的な関係は一切ないし、今はなんとも思っていないとのことだった。昨晩はもともと一時にあがるシフトになっており、いつもどおり着替えて帰ろうとしたら、青木が通用口で倒れていたので慌てて店に戻り警察に通報したとのことだった。

 『フォンテン』で青木と一緒に働いていたのは下村武彦二十五歳、東京出身で都内の私大を卒業した後いくつかの会社で働いたがどこも長続きせず、今年の七月からこの店で働いていた。『フォンテン』の客層は仕事帰りのホステスや同伴の客がメインで、夜の十時を過ぎたころから客が入り始めるので、だいたい九時頃から店を開けて、遅いときには朝方まで営業するのが常だった。最近、明らかに青木狙いのホステスが何人か頻繁に店を訪れていたとのことで、昨晩青木が早めに帰ると言い出したのも、その中の誰かと会うためじゃないかと下村は話していた。

 凶器に使われた出刃包丁は魚を捌くのによく使われるサイズの鋼製のもので、鑑識の結果、刃こぼれや研いだ後が一切無かったことから買ったばかりの新品である可能性が高いとの報告があった。また、刃渡りにはべっとりと血液が付着しているにも関わらず、柄の部分には全く血液がついてないことから、柄の部分はタオルなどでぐるぐる巻きにされていたのではと推測された。

 『賤民』を意味するVom Gesindelという文字が記されたカードについては、宮澤や内藤の死亡現場にあったものとよく似通っていたが、字のフォントや大きさは微妙に異なっていた。

 包丁とカードの他に遺留品はなく、また、新宿という人口密集地で行われた犯罪にも関わらず、事件と関りがありそうな情報は皆無で、また現場近辺にある監視カメラも全て調べられたが不審な人物を見つけることはできなかった。

 次に帝都大学内藤ゼミOB十二人の尾行調査の報告がなされた。それぞれを担当した捜査官から逐一結果が報告されたが、青木が殺害された時刻にアリバイがなかったのは田口ただ一人であった。上條は浩平と別れた後、夕方の七時にはアパートに戻り、その後はずっと部屋にいたと浩平の代わりに上條のアパートの前で張り込みをすることになった捜査員が報告した。

 田口については昼過ぎにマンションを出て電車に乗り、新宿駅で降りるところまでは確認できたが、そこで雑踏に紛れて見失ってしまってしまい、その後の消息は不明であった。現在非常線が張られ、新宿及び田口が出入りしそうな場所には警官が多数配備されていた。

 一通りの報告がなされ、捜査本部会議も終わるかと思えたころ、一本の無線が入った。田口のマンション前で張っていた捜査員からの連絡で、たった今マンションに戻る田口を見つけ、その場で確保したとのことだった。

 無線報告を受けた近藤管理官は即座に捜査本部に任意同行を求めるよう指示するとともに、捜査員全員に早急に取り調べの準備をするように命じた。捜査本部は急に慌ただしくなり取調室や機材の確認、調書の作成などの準備が進められた。一方、肝心の田口宜夫の事情聴取にあたる捜査官については、近藤の一声で浩平に任されることになった。

 

 会議が終わり、浩平がいつものようにミルクをたっぷりいれたコーヒーを飲んでいると、少し目の下にクマを作った桜が憤慨気味に近寄ってきた。

「まったく! 私がいなかったら、昨日は絶対にトラブル起こしてましたよ。そうでなくても、今警察はマスコミから白い目で見られているんだから、少しは自重してください」桜は鬱憤を晴らすように浩平に悪態をついた。

「分かった、分かった。悪かったよ」浩平はうるさそうにそう言うと、コーヒーを啜った。

「少しは真剣に考えてください。今朝のテレビ見ました? ツァラトゥストラ新宿に現れるって大騒ぎですよ。事前に犯行声明がなされていたにも関わらず凶行を止められないのは、捜査本部の捜査官の資質に致命的な欠陥があるのではなんて言ってるんですよ。全く、信じられない!」

「――そんな大声出すなよ。寝不足で具合悪いんだから。だいたい、この件はツァラトゥストラの仕業なんかじゃねえよ」浩平はつまならそうに言った。

 桜は浩平の顔をきょとんと見つめると、「なんでそんなこと分かるんですか?」と不思議そうに尋ねた。

「なにか違うんだよ、前回の声明文と今回の投稿は、表現の奥行きっていうか深みっていうか――だいたい、ツァラトゥストラの爪の垢ほどの資格もないとか、偉大なるツァラトゥストラの道を理解できない屑どもなんて、ツァラトゥストラを讃美しているやつの言いぐさだろ。つまり、自分こそがツァラトゥストラの本当の理解者だと言ってるんで、ツァラトゥストラその人であるとは言ってない」

「まあ、そう言われればそうですけど」

「それに犯行のやり口も残虐すぎる。あの出刃包丁の刃渡りからすれば最初の一突きだけで致命傷のはずだ。それを二度も三度も突き刺しているのは、明らかに青木に対する憎しみによるもので感情が入りすぎている。ましてや場所は新宿だぞ。いくらビルの路地とは言え、人に見られる可能性が相当高い。しかも夜中の一時を過ぎれば帰り支度の人間があの扉から出てくるかもしれない。実際、青木はそうして出てきたし、第一発見者の池戸美奈もほとんど時間を置かず出てきた。そんな状況だったら目的を達成したら一刻も早く逃げ出すのが普通じゃないか。違うか?」

 浩平が言っていることは改めて考えてみれば至極当たり前のことであり、反論の余地はなかった。

「確かに言われてみればそうかもしれませんけど――でも、こうして殺人事件が起こった以上、ツァラトゥストラだろうが誰だろうが犯人を見つけないと!」一瞬言葉に詰まった桜だったが、それはそれ、これはこれとばかりに語気鋭く浩平に迫った。

「まあな」そう言うと、浩平はにやりと笑ってウインクした。

 桜は少し困ったような顔つきで、「ところで準備は大丈夫なんですか? 田口の事情聴取を任されたの先輩でしょう」とせっつくように言った。

「まあな」今度は面倒くさそうにそう言うと、浩平はコーヒーを一気に飲み干した。

「まったく、もう」そう言いつつも、桜にはそんな浩平が頼もしく見えた。

 

モーニングコーヒー

 

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