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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(三十九)

「なんで、先輩分かったんですか」今朝は梅昆布茶を飲んで自席でくつろいでいる浩平に桜が聞いた。

「何が?」

「田口がツァラトゥストラじゃないってことですよ」

「あいつは、あんな大それたことができる玉じゃないだろ」

「そりゃ、そうですけど。それだけで、決めつけちゃったんですか」

 浩平は美味そうに梅昆布茶を口に含むと、改めて桜を見た。

「最初会った時から、あいつが感情の起伏が激しいやつだってことはすぐに分かった。確かにあいつはニーチェやツァラトゥストラを熱く語ってはいたが、その背景にあるのは、単に自分が評価されないことに対する不満に過ぎないだけだと俺には感じられた。つまり、あいつは人から評価されたいと思っているだけの平凡な一市民に過ぎないってことだ。そんな奴が思想のために殺人を犯すなんて度胸があるわけないだろ。それにこの事件はツァラトゥストラの声明文ばかりが注目されるが、一番肝心なのは誰が宮澤を殺したのか、なぜ殺されたのかってことだ。そこを突き詰めていけば田口には宮澤を殺す時間も動機もない」

「だって、田口は宮澤を憎んでいたんじゃないんですか……なんていうか上條を奪い合うという意味で」

「確かに、そういう意味では幾ばくかの動機はある。だが、それは後から考えればそういう可能性も考えられるというだけに過ぎない。もし仮に田口が本当に宮澤を殺そうとしていたのなら、もっと別な、もっと簡単な機会がこれまでにたくさんあったはずだ。わざわざ上條や佐々木を出し抜いて宮澤を殺すなんて面倒なことをする必要がない」

「でも、上條たちが共犯だったら可能性はあるんじゃないんですか?」

「可能性はあるというだけで蓋然性は皆無だ。そもそも上條や佐々木が、田口が宮澤を殺すための協力なんてすると思うか? ナンセンスだ。それに、重要なのは宮澤は奥多摩の山林まで自分の意志で出かけて行ったってことだ。宮澤が田口に呼び出されてそんなところに行くと思うか?」

「そう言われれば、確かに先輩のいう通りですね」桜は納得したようにつぶやいた。

「だから、俺は田口主犯説というのはとうの昔に捨てていた。唯一、残るのは上條の指示のもとで何らかの手助けをした可能性だが、それも昨日の事情聴取ではっきりした。あいつには、上條のためであっても法を犯すような度胸なんてない――結局、上條が言ったとおりだったよ」浩平は寂し気に言った。

「上條はなんて言ったんです」

「僕には本当の友達と呼べる人は宮澤さんしかいなかったって、そう言ってたよ」浩平がポツンとつぶやいた。

 桜は浩平の寂し気な姿を見てるうちに、自分までもがなんだかいたたまれない気持ちになってきたので、慌てて話題を変えた。

「でも、これでまた振り出しですね。宮澤に青木に、この先どうなっちゃうんでしょうね」

「宮澤はひとまず置いといて、青木の方は案外簡単に片付くかもな」浩平が事も無げに言った。

「えっ、どういうことですか」桜が驚いたように声をあげた。

「青木の方は、ツァラトゥストラとは関係ないんじゃないかって昨日言ったよな」

「ええ、投稿の内容がツァラトゥストラらしくないとか、殺し方が残酷すぎるとかって」

「まあ、それは俺の主観だが、それだけじゃない。考えてもみろ。もし仮にツァラトゥストラが新宿で誰かを殺そうとする。一応、ばれないようにやるとしたら、どこでやる」

「そうですねえ。新宿は人が多いところだから、やっぱり、事件が起きたような人が滅多に通らない路地裏とかですかね」

「それじゃ、あの事件があった時は、その人が滅多に通らない路地裏に都合よく人がいたってのか」

「たまたま出くわしたんじゃないんですか」

「そのたまたまってところが引っかかるんだよ。たまたま歩いていたら人気がない路地裏に出くわして、ちょうどいい具合に男が一人現れて周りには誰もいなかった。それでグッドタイミングとばかりに用意した出刃包丁で刺したっていうのか? それじゃあまりにも偶然が過ぎやしないか」浩平は語気を強めた。

「犯人は誰でも良かったんじゃない、最初から青木を殺そうと計画していたんだよ。そしてあの時間、あそこの路地は滅多に人が通らないことを知っていた。そして重要なことが一つある。あのフォンテンって店は通常三時まで開けるらしい。それが事件当日は一時に切り上げたそうだ。なぜかというと急に青木が誰かと会うことにしたからだ。ということは青木がその日一時に帰ることを知っていたのは二人だけということになる。それはこれから会う予定の女か、それを告げられた下村だ。第一発見者の池戸奈美という女は当然、そんなことは知らなかったはずだし、青木がデートする予定の相手だったとは到底思えないから、彼女は事件には何の関係もない」

「それじゃ!」桜の目が大きく開いた。

「おそらく下村って男が犯人だろう。まさか、初めてデートしようとする相手を殺そうとする女がいるとは思えないからな」

 

 青木健三殺しについては浩平の提案でサイバー班と連携しながら捜査が進められることになった。ネット上では既に新宿の事件は大騒ぎになっていたが、まだ犯人と思しき人物からの投稿は見当たらなかった。だが犯人は、おそらく前回と同様、必ずネットに書き込みを行うに違いない。よってネットにそれらしき書き込みがあったら、すぐにサイバー班がどこの事業者が提供している公衆WiFiを経由して投稿されたかを特定し、尾行班に連絡するというものであった。その事業者が公衆WiFiを提供するエリアと尾行班がいるエリアとが同じで、かつ尾行対象がネットを使っていたら、即座にその場で取り押さようというものだった。

「浩平さんって、見かけは大したことないけど、やるときはやるよな。田口の事情聴取についても、もう庁内で噂になってるぞ」サイバー班の芳賀が桜に言った。

「ハッカーは一言余計なの! とにかくちゃんとやってよ」

「分かってるって。お前の敬愛する宮城浩平警部補のために、芳賀圭介巡査部長、命に代えて職務を全うします」

「ふざけないで! だいたい、そんなんじゃないし」桜が怖い顔をした。

「悪かった。ちゃんとやるよ。ほら、このソフト見てみろよ。これ俺が開発したんだけどさ、キーワードを設定しておけば、ネット上でその文字を含む記事が発信されるとすぐにここに表示されるようになっているんだよ」

 芳賀はそう言って、パソコンを指し示した。芳賀の言う通り、パソコンの中央部分の枠の中に、ツァラトゥストラ関連の記事が掲載されたサイトのアドレスとそのサイトに書かれた最初の数行が次から次へと表示されていた。

「キーワードは『ツァラトゥストラ』と『超人』という単語で設定したけど、まあ、次から次へと出てくるわ出てくるわ。ニュース記事もあるけど、ほとんどが掲示板かSNSだよ――ほら、また新しい投稿だ。ええと、ツァラトゥストラに上司を殺して欲しいだとさ。なんだか、殺しを請け負う仕事人みたいになってきたな」

 芳賀のいうとおり、画面の中には次から次へとコメントが現れた。

――最近、うちの上司がツァラトゥストラの思想を受け売りして、俺たちにはっぱかけるんだけど、それってあり?――

――さっき、会社に辞表叩きつけてきた。今日から俺も超人目指して頑張ります!――

――いつも嫌がらせする同僚にバシッといったら、急に低姿勢になって笑っちゃいました。ツァラトゥストラ万歳!――

――一度は諦めたけど、また演劇やってみようかな。そういうのも超人への一歩なんじゃないかな――

――ツァラトゥストラのおかげでなんだか将来に希望を感じるようになった――

 画面を眺めていた桜は、浩平が言ったとおりツァラトゥストラという存在が確実に世の中に影響を及ぼし始めているのをひしひしと感じた。

 

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