「この混乱の原因が全部先輩のせいってことなんですか! 先輩は全ての警察官を代表して戦ったんですよ。そんなの納得できません!」桜の声が捜査本部に響いた。
「誰が全部あいつの責任だなんて言った! あいつだけじゃない、俺だって、俺の上だって、そのまた上だって責任を負うんだ。いいか、今俺たちが置かれた状況はそんな生易しいもんじゃないんだ。国会にまで飛び火して、警視総監が国会で釈明せにゃいかん状況になってるんだ。誰かが責任を負わなきゃいけないんだ。あいつはまさに当事者だ、あいつは全国民の前で警察の代表としてツァラトゥストラと戦い、そして負けたんだ」近藤はデスクの前で怒りに顔を染めている桜に向かって怒鳴り声をあげた。桜はギリギリと歯を噛みしめながら、近藤を睨みつけていた。
「お前の言いたいことは百も承知だ。俺だって、あいつなりに頑張ったと思う。あいつの言ったことは間違っちゃいなかった。どっちが勝った、どっちが負けたなんて、ほんとのことは誰にも分からない。だがあの光景を何千万という人間が目の当たりにして、新聞にこんなでかでかと書かれてしまっては、もうあとの祭りなんだ。とても俺なんかが助けられるような状況じゃないんだ」近藤は吐き捨てるように言った。
デスクの上には新聞が広げられ『警視庁、ツァラトゥストラに完敗!』という大見出しとともに、怒号する群衆の中で一人ステージの上で俯く浩平の写真が載っていた。
「……それで、結局先輩はどういう扱いになるんですか」桜は怒りを押し殺して尋ねた。
「とりあえずは一年間の停職ということになった」
「先輩は、それを受け入れたんですか?」
「さっき懲戒処分の辞令を受けた後、何も言わずに警察手帳を置いて、そのまま出て行ったよ」近藤は疲れたように言った。
「おい、少しほっといてやれ!」部屋から飛び出していく桜の後ろから近藤の声が響いた。
『ツァラトゥストラを称賛する声が圧倒的に多いんですが、これは、どういうことなんでしょう?』テレビキャスターが隣に座っている野党の政治家に質問を振った。
『やはり、世の中に不満を持っている人の数が予想以上に多いということなんでしょうね。だからこそ格差の是正と社会保障制度の拡充が必要なんですよ。ところが現政権は高額所得者だけを優遇して、低所得者を一向に顧みない。ツァラトゥストラというのは与党のおごりから生まれたと言っても過言じゃないんですか』
『それはちょっと言いすぎでしょう。ツァラトゥストラは、あなたたちのこともえせ平等者と皮肉っているじゃないですか。だいたい、我々は次の臨時国会で低所得者向けに一兆円規模の経済対策をしっかりと行います。我々はあなたたちのように口先だけではなくて、しっかりと実行している。いわば、ツァラトゥストラの精神をまさに体現しているんです』与党の政治家が自慢げに反論した。
『なんですかそれは? ツァラトゥストラを利用して支持率あげようなんて思っているんじゃないでしょうね。ツァラトゥストラは殺人者ですよ。よくそんな貧相な発想ができますね』野党の政治家が皮肉げに言った。
『えっと、すいません。今度は社会経済学的な観点からご意見をいただきたいと思います。先生いかがですか?』キャスターが政治家同士の口論に割って入り、一番端に座っていた大学教授に話を向けた。
『私から言わせてもらえばね、経済政策に問題があるんですよ。行き過ぎた資本主義はね、資本の集中を生んで結果的には世界規模での寡占状態をつくってしまうんですよ。そういう社会になると、どうしても富に偏りができて貧富の差が生まれると、こういうわけですよ。だからね、しっかりと政治が手綱を取って、この国のことを考えていかなければならないというのに、こう毎度毎度、不毛な議論に終始するからいけないんですよ』大学教授は冷ややかに政治家たちを眺めた。
『グローバル経済を推奨してきたのは、あなたたち学者連でしょうが、自分たちの政策が失敗したからと言って政治に責任をなすりつけるのはやめにしていただきたい』与党の政治家が憤慨したように学者を睨みつけると『失敬な。私はそんなことは過去に一言もいっていない』と大学教授が青筋を立てて怒鳴り返した。
自宅でテレビを見ていた桜はうんざりしたように電源を消した。そして携帯電話を手に取ると着信の有無を確認した。しかし桜が期待していたものはそこにはなかった。あの事件以来、浩平は一度も桜の電話に出ず、ずっと連絡が取れない状態が続いていた。