浩平は身を固くして百合子の話をじっと聞き続けていた。
「姉は、朝早くから夜遅くまで働きづくめでした。和仁に惨めな思いをさせたくないと思っていたんでしょう。和仁の着る洋服はいつもきれいにアイロンがかけてあって、皺ひとつありませんでした。学校に入れば何かとお金がかかりますが、なんとかやりくりして必要なものは他の子と同じように買い揃えていました。でも人の噂っていうのは、どうしてもあるんですよね」百合子が寂し気に言った。
「絵梨は和仁と三つ違いですから、いろいろと聞こえてくるんですが、ある時、和仁がクラスでいじめられているようだって話を聞いたんです。よくよく聞いてみると、あの子が私生児だっていうことで意地悪されたり、仲間外れにされているっていうんです。そんなこと子供に分かるわけないですよね――たぶん、どこかの親がそういう噂を聞いて、自分の子供に話したんでしょう。私は心配になって、すぐに姉のところに飛んでいきました。そしたら、姉はとてもびっくりしておろおろするばかりでした。そこにちょうど和仁が帰ってきました。姉は『ゆりちゃん、どうしよう』って私を見るので、私が聞いてみるからと姉に言いました。私は『かずちゃん、ちょっとお話あるから、こっち来て』と言いました。和仁は私の目の前にちょこんと座って、不思議そうに私の顔を見ていました。私は『かずちゃん、学校楽しい?』と聞きました。そしたら、和仁は『楽しいよ』って言うんです。私は『かずちゃん、学校で嫌なことはない』って改めて聞きました。そしたら、あの子は私の顔を見て、それから心配そうに自分の顔を見ている姉の姿を見て『僕、学校とっても楽しいよ。友達もたくさんいるんだよ。だから心配しないでいんだよ』って、にっこり笑うんです。それを聞いて、私も姉も何も言えなくなってしまいました。私と姉は、時折子供を連れてお互い行き来しました。その時の和仁は本当に楽しそうでした。うちの絵梨とどこかに出かけて行って、暗くなっても帰ってこないことが何度もありました。うちの絵梨もかずちゃん、かずちゃんと言って和仁になついていました。もしかしたらあの頃、和仁には絵梨だけが唯一の遊び友達だったのかもしれません」百合子はハンカチを取り出すと目じりをぬぐった。
「和仁が中学二年生のころ、うちの父親がようやく姉を許してくれました。姉はやっと実家に帰ることができました。でも、そのころ父はほとんど寝たきりになっていました。姉は父に許されたというより、父の介護をするために戻されたと言ってもいいかもしれません。私たちの母は、ずっと父の言うことをおどおどしながら聞いているような人でした。自分の意志などないに等しく、既になんの気力もなくなっていて、生きているのか死んでいるのか分からないような人でしたから、父の介護などできるはずもありませんでした――でももしかしたら、それが母の父に対する唯一の反抗だったのかもしれません――母はそれから間もなくして亡くなりました。一方、父は寝たきり状態になっているにも関わらず、ああしろこうしろと、姉に要求ばかり突き付けました。しかも福祉サービスを受けることは一切拒否して、自分の介護は全て姉がするように命じました。姉はそれにずっと耐え通しだったんです。おそらく父に対して申し訳なかったという気持ちもあったんでしょう。父が亡くなったのは、姉が実家に戻って五年目のことでした。ちょうどそこのころ和仁は高校三年生になっていました。和仁は立派に成長していました。和仁が帝都大学に合格した時のことは今でも覚えています。姉から合格通知が届いたってうちに電話がかかってきて、慌てて姉のところに行くと『ゆりちゃん見て』って、私に合格通知書を見せてくれて『うちのかずは大したもんだ、大したもんだ』って、それはうれしそうに何度も何度も和仁の背中や頭をさすっていました。和仁もはにかみながら『母さん、わかった、わかった』ってうれしそうに笑っているんです」百合子は一瞬、うれしそうに微笑んだが、すぐにまた寂し気な顔に戻った。
「大学入学が決まり、和仁は東京に住むようになって姉は一人きりになりました。その頃、姉は三十七歳になっていました。私が言うのもなんですが、妹の私が羨むくらい姉はとても綺麗な人だったのに。そのころの姉はとても三十七歳とは思えないほど老け込んでいました。そして、姉は床につくことが多くなりました。私は毎日のように姉のところにいって世話をしました。和仁には連絡しているのと聞くと、姉は私の手を取って『ゆりちゃん、お願いだから和仁には私のことは言わないで、あの子は今が一番大事な時だから』って言って、私に口止めさせました。私は姉の気持ちを思うと和仁に何も言うことができませんでした。でも、和仁が帰省するときだけは姉はとても元気になって、朝早くから家の掃除を始めるんです。和仁が来るのは夜だから、少し休んでって言っても『かずが帰ってくるんだから、部屋をきれいにしておかないと』って嬉しそうに――でも、和仁が東京に帰ってしまうと放心したようになって、また臥せる毎日でした。ある日、私が姉のところに行くと、姉は意識が朦朧としていました。私は慌てて救急車を呼び、もはや一刻も猶予はないと思い和仁に連絡しました。和仁はその晩、東京から帰ってきましたが、姉のあまりに変わり果てたようすに茫然としていました。そして、姉が弱々しく和仁の手を握り何かつぶやくのを聞くと、母さん母さんとずっと泣き叫んでいました。姉がなくなったのはその三日後でした」そう言うと、百合子は口を閉じた。
浩平は、いつか上條が『母親がいない、こんな世界で生きる気力がわきません』と言ったことを思い出した。上條には母が全てだった、そして母にとっても上條が全てだった。上條が哲学を学んだのは、自分だけの問題ではなく、母の生きた意味を知りたいということでもあったのだろう。母が生きたことには意味がある。それは上條にとって絶対に譲れない信念であったに違いない。だがもし、それを見いだすことができなかったとしたら……この世に普遍の真理などなく生きる意味もなく、この世界がまったくの偶然でできたただのガラクタに過ぎないと思ってしまったとしたら……もしそうなったら、上条はこの世界をぶち壊すことに何の呵責も感じないだろう。
「――上條君は、世の中を恨んでいたんでしょうか」浩平がつぶやいた。
百合子は驚いた様子で浩平の顔を見ていたが、怖いくらい真剣な顔つきになって毅然と言った。「そんなことは絶対にありません。和仁は木や花や動物が大好きで、そして人の痛みを感じることのできる本当に優しい子なんです――姉がそうだったように」