アマチュア作家の面白い小説ブログ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(五十三)

 何度電話しても電話に出ない浩平に業を煮やした桜は浩平のアパートに向かっていた。

 そこは普段は結構静かなところなのだが、今日はまるで様相が違っていた。アパート周辺にはテレビの中継カーが並び、二十人を超える人間がそこら中にたむろっていた。桜はアパートの電気が付いているかどうかだけでも確かめようと、通行人を装って二階にある浩平の部屋を見上げてみたが部屋は暗いままだった。意気消沈して、その場を通り過ぎようとしたとき、一人の女性リポーターと目があった。その女は、以前青木健三の殺現現場で浩平にマイクを突き付けてきた女だった。

「――宮城さんの同僚の刑事さんじゃありませんか?」

 無視して急ぎ足で通り過ぎようとすると、その声を聞きつけた大勢のリポーターが桜を取り囲んだ。

「宮城警部補は今どこにいるんですか?」

「警察はこれで責任を取ったつもりなんですか?」

「全国的にツァラトゥストラまがいの犯行が急増しているのは、ご存知ですよね」

「宮城警部補は独断専行の行動が多く、周囲との協調性がなかったとも聞いてますが、実際はどうなんですか?」

 桜は取り囲むリポーターたちから無理やり抜け出だすと、その場から走り去った。

 いいようのない怒りが込み上げていた。

 なんで私たちがこんな目に合わなきゃいけないの。なんで先輩があんなひどい言われ方しなきゃいけないの。自分たちが完璧な人間だなんて思っていない。警察という組織に悪いところがあるのもたくさん知っている。でも、悪い奴を捕まえたい、みんなが安心して暮らせる世の中にしたい、そういう気持ちで一生懸命頑張っている警察官だってたくさんいる。先輩こそ、まさにそういう人だったのに――怒りとともに涙があふれた。何度ふいても後から後から止めどなく流れ落ちた。

 

 桜が「山小屋」の戸を開けると大きな声が鳴り響いた。

「いらっしゃい! おっ、桜ちゃん、久しぶり」

「おやじさんごめん、一人なんだけどいい? なんだか、まっすぐ家に帰る気がしなくて」

「いろいろ大変そうだからなあ。そりゃ飲まなきゃやってられないよな。二階空いてるから自由に使って」店主はそう言うと手早く生ビールを注いで桜に渡した。

「ありがとう。そうさせてもらう」生ビールを受け取った桜は億劫そうに階段を昇った。

 桜は誰もいない部屋に入ると疲れたように腰を下ろした。目の前にジョッキを置いて少し口をつけたがすぐに離した。なんでこんなに苦いんだろうと思った。しかし何か注文する気力もおきず、ぼんやりと正面を見た。いつもだったら、ここには浩平がいて、お品書きを見ながら今日はこれだなと言って一番おいしい料理と酒を選んでくれた。この肴にはこの酒が合うんだよと、馬鹿みたいに熱心に話してくれた

 今どこにいるんだろう。なんで連絡してくれないのかな。先輩がいない職場なんて、さっぱり面白くないのに。もう、やめちゃおうかな、なんか疲れちゃった。桜はテーブルの上に肘をついてうずくまり目を瞑った。

 

「もう一回、容疑者洗いなおしましょう。この中に絶対犯人がいます」

「いや、もう十分にやった。ここまでやって証拠が出ないんだ。ここら辺が切り上げ時だ。あとは特命に任せよう」

「ちょっと待ってください。まだ我々で解決できます。今投げ出したら、本当に迷宮入りになってしまいます!」

「我々の仕事はこの事件だけじゃないんだ、お前はそれが分からないのか」

「目の前の仕事を片付けられないやつが、なんで次の仕事を解決できるんですか!」

「もういい、お前の言い分は分かった。これは命令だ。以上で捜査本部は解散する」

「ちょっと待ってください。本部長!」浩平は立ち上がると、本部長のもとに詰め寄って言った。

 

「駄目ですよ。そんなに上に嚙みついてちゃ、出世はできませんよ」

 桜はさきほどの捜査本部会議であやうく本部長につかみかかりそうになり、大騒ぎを起こした浩平に近寄ると笑いながら声をかけた。

「お前な。俺は出世したくて、警官になったんじゃないんだよ。そりゃ俺だって、楽したいさ。でも俺の前で起こった事件はなんとしてでも解決したいんだよ。じゃなかったら、なんのためにこの仕事選んだのか分かんないだろうが!」

 浩平の目はまるで子供のように純真だった。桜は、警視庁という巨大組織の中でいつまでも警察官という使命を大事にしている浩平と一緒に仕事するのが楽しかったし、自分までもが警察官という自分に誇りを持つようになっていた。

 私や他の誰かが、こんな目に合うのなら納得する。でも先輩だけは組織の中でも自分を失わずに本気で頑張ってきた。先輩だけは正義を信じて、それを本気で実現させようとしてきた。そんなこと誰も知らないくせに、みんなで寄ってたかって先輩にだけ罪をきせて、その場を繕おうとしている。そんなの許せない。絶対に許せない!

 

 ふと気づくと誰かの気配がした。誰かが部屋の中にいる。桜ははっと身を起こした。

「――おい、ここは寝るところじゃないぞ」

 懐かしい声が聞こえた。桜は前を見た。そこにはいつもと同じ仕草で酒を飲んでいる浩平がいた。少し無精ひげは伸びていたが、その眼差しは以前と同じように鋭く光っていた。

 桜は思わず涙がこぼれそうになった。涙を見せまいとしたら顔がくしゃくしゃになった。

「おいおい、いつもの小生意気な藤原桜はどうした。お前には、そんな顔は似合わないよ」茶碗酒を手に浩平はそう言った。

「先輩、なんで電話に出てくれなかったんですか! みんな凄い心配してたんですよ」

 桜は、うれしいのやら怒っているのやら、さっぱり分からないような口調で浩平をなじった。

「ごめん、悪かったよ」

「そんなに簡単に謝られたら、何にも言えなくなるじゃありませんか」

「じゃ、ここら辺で仲直りして乾杯しようか。俺はとっくに日本酒だけど、お前はビールお代わりでいいか? そのビールもうすっかり泡消えてるしな」浩平はそう言うとテーブルに置いてある呼び出しブザーに手を伸ばした。

 桜は急にうれしさが込み上げてきた。本当に帰ってきたんだ。先輩がまた戻ってきたんだ。

「乾杯!」

 桜はいきなりそう言うと、自分の手元にあった泡の消えたビールジョッキを浩平の茶碗酒にぶつけた。そして、一気にごくごくと喉に流し込んだ。ビールはすっかりぬるくなっていた。だが、その泡の消えたビールは今まで飲んだどんなお酒よりおいしかった。

 

飲みかけのビールジョッキ

 

次話へ

TOP