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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(五十五)

「今日はなんですか? 職場にこられても困りますよ。ただでさえ、色眼鏡で見られてるんですから」

 大手町の高層ビルの一画でビジネススーツを着こなした佐々木は、どこからどう見てもエリートサラリーマンだった。桜は昨晩浩平から教え込まれたとおり、佐々木が勤める会社を訪れ、十分だけという約束で佐々木と話をしていた。

 あの後、浩平は桜にある推測を告げた。それは桜自身まだ半信半疑だったが、もう後には引けなった。桜は覚悟を決めると佐々木にこう言った。

「佐々木さん、あなた、私たちに嘘をついてますよね」それを聞いた途端、佐々木の顔色が変わった。

「……なんの話ですか」

「佐々木さん、あなたはあの晩、上條さんや田口さんたちと朝まで過ごしたんですよね」

「そうですよ。それがどうかしたんですか」

「どうして二人を家に泊めたんですか?」

「だから終電が過ぎてて……あいつら帰る足がないし、せっかくだから朝まで飲もうぜってことになったんですよ。前に話したじゃないですか」

 桜は佐々木を見つめた。「本当は終電過ぎまで二人を帰さないようにしたんじゃないんですか? なんとしてもあなたの家に泊まらせるために」

「な、なにを言ってるんですか」

「そして、わざと二人をコンビニに行かせた。監視カメラに映させて二人のアリバイをつくるために――」

 佐々木の顔は明らかに青ざめていた。「なんでそんなことしなきゃいけないんですか。なんの証拠があってそんなこと言うんですか」

 桜はバッグから手帳を取り出した。そして、ぺらぺらとめくりながら、「あなたは、田口さんを嫌ってましたよね。田口さんについて、だいぶきついことも言ってます。そのあなたが上條さんがいたとは言え、なんで、田口さんと朝まで飲もうなんて思ったんですか」

 佐々木は一瞬口ごもった。「……僕が飲もうと言い出したんじゃなくて、宮澤がビール持ってきて飲もうと言い出したんですよ――で、あいつがいなくなった時には、たまたま終電過ぎてた――だったら、泊めてやるしかないじゃないですか」

「宮澤さんが終電過ぎてから出て行ったのも、あなたと宮澤さんの計算づくの行動だったんじゃないんですか」

「だから何の証拠があって、そんなこと言うんですか。そんなこというなら証拠を見せてくださいよ」

「証拠ですか? 証拠ならあなたがお持ちの携帯電話の中にあります」

「……」

「あの晩、みんなで飲んでいたら、宮澤さんの携帯に着信音があったそうですね。そして、宮澤さんはそれに出るために外に出て行かれた――つまり、その時刻に誰かが宮澤さんの携帯に発信したはずなんです。佐々木さん、あなたの携帯電話を見せて下さい。そこであなたが宮澤に連絡してないと確認できれば、私が言ったことは全て私の憶測だったと認めて謝ります」

「な、なんで、僕が自分の携帯電話をあなたに見せなきゃいけないんですか。そんな義務が僕にあるんですか――」佐々木は桜を睨みつけたが、その顔は明らかに震えていた。

「見せていただかなくても構いませんが、であれば必要な手続きを取った上で、あなたの携帯電話を押収させていただきます。そこで何かが明らかになるより、今正直に見せて、本当のことを話した方がよろしんじゃないんですか――あなたの将来のためにも」

 桜は浩平が話してくれた推測を信じ始めていたが、まだ、油断はできなかった。もし携帯に何の痕跡もなかったら、これはまさしくただの憶測だったにすぎない。厳しく佐々木を見つめる桜の鼓動もまた震えるように高鳴っていた。二人は対峙するように睨みあった。

 不意に佐々木は力が抜けたように肩を下ろして下を向いた。「……あなたのいうとおりです。僕は宮澤に頼まれて、あの二人を家に泊めました」

 佐々木は悄然とした様子で話し始めた。「あれは、七月の末のことでした。宮澤から電話があったんです。久しぶりに会いたいんだけど空いてないかって。あいつと会うのは久しぶりだったし、なんとなくあいつがどんな様子か知りたいと思って、会うことにしました。最初は、最近仕事はどうだというような話をしました。あいつが三年目で課長補佐に昇格したって話を聞いたときは、羨むとかそんなレベルをはるかに通り越して、こいつは本当に凄い奴だなと感動さえ覚えました――でも、話しているうちに、何か様子がおかしいのに気が付きました。何か僕に言いたいことがあるのに言い出せないような気がしたんです。僕は『何か頼み事あるなら言えよ。俺たち仲間だろ』って言ったんです。そしたらあいつ、僕の目を見て『本当に仲間だと思ってくれるか』って言うんです。その時のあいつは、僕がこれまで見たこともないくらい不安げで少し震えてさえいました。僕は急に昔に戻ったような気になって『何言ってんだ、俺たち一緒に社会を変えて行こうっていった仲間だろ、友達じゃないか』って言いました。そしたら、あいつ、急に下を向いて声を押し殺して泣き出したんです。

 

「――どうしたんだよ」佐々木は目の前で急に泣きだした宮澤を見つめて、戸惑うように声を掛けた。宮澤はしばらく肩を震わせていたがようやく落ち着いたとみえて面をあげた。

「――ありがとう、隼人。今日お前に会えて本当に良かったよ」

「何言ってんだよ。まるで最後の別れみたいに」

「もしかすると、本当にそうなるかもしれないんだ――だから、お前に頼みがある」

 佐々木は、宮澤の言ってる意味が分からず押し黙った。

「俺はあと少ししたら、ある奴とどうしても戦わなくちゃいけない。だけど俺は絶対にそいつに負けたくないんだ――そいつに負けたら、俺の人生は何の価値もなくなってしまう」

「誰と戦うって言うんだよ」

「……ごめん、それは今は言えない」宮澤は悲しそうに首を振った。

「だけど信じてくれ、俺は絶対にそいつに勝って、昔お前と誓ったとおり、この世の中を変えてみせる。だから俺を信じて欲しいんだ」

 宮澤が佐々木を見つめるその目は、大学当時二人が初めて酒を酌み交わし、ツァラトゥストラの道をともに歩もうといったあの時と同じように強く煌めいていた。

「――もちろん信じるさ。お前なら社会を変えられる。俺はお前を信じるよ」佐々木は、宮澤の目を見てはっきりと言った。

「どんな結果になっても、俺の友達でいてくれるか」

 その言葉を聞いて佐々木は微笑んだ。「あたりまえだろ。俺たちは親友だろ。お前との約束は必ず守る――絶対に守る」

 佐々木の言葉を聞いた宮澤は安心したように微笑んだ。その笑顔はまるで、悟りを開いた仏者のように穏やかで充ちたりた幸福に満ち溢れていた。

 

「あいつが僕に頼んだのはこういうことでした。一つは八月二十四日に僕のアパートに上條が来るように電話して欲しいということ、ただし電話する時期と口実は少し考えてからまた後で連絡するということ。二つ目は上條が来たら終電時間が過ぎるまで飲ませて家に帰れないようにしてほしいということ。三つめは十二時過ぎたら、あいつが僕の携帯にダウンロードしたアプリを使って発信だけして欲しいということ。そしたらあいつは適当な理由をつけてアパートを出て行くから、その後、上條をコンビニに行かせて何か買わせてきて欲しいということ。そして今言ったことは絶対に誰にも言わないで欲しいと、そうあいつは言ったんです――僕はあいつが何をやろうとしているのかさっぱり分からず、これがお前にとって大事なことなのかって聞きました。そしたらあいつは真顔になって、内藤ゼミに所属していた俺たちの仲間が大変なことに巻き込まれるかもしれない。だから僕や後輩たちを守りたいんだって、そう言うんです」

「――大変なことになる?」

「ええ、でもそれ以上はいくら聞いても、あいつは答えてくれませんでした。でも内藤教授が亡くなったってあいつから聞いたとき、もしかしてこのことなのかって思ったんです」

「あなたは、その時、宮澤さんに問い詰めなかったんですか?」

「そりゃ聞きました。内藤先生がなくなったことと、お前が言ってた戦いってのは何か関係があるんだろって。でもあいつは『それは違う。先生は末期癌と宣告されて、ずっと闘病生活をされてきたんだ。そして今ようやく安らかに眠ることができたんだ。先生の死は俺が言ったこととは何の関わりもない』って言うんです。俺は疑問は感じましたが、それ以上は何も言いませんでした。そしたらあいつが先生の慰労会をしないかって言い出して。いっそのこと慰労会の企画を口実に上條を呼び出そうというので俺はそれに従ったんです」

「どうして、ずっと黙ってたんですか?」桜は問い詰めるように尋ねた。

 その言葉に、佐々木は顔をあげた。

「宮澤が死んでしまった今、何を言えと言うんです! 僕が今話したことの中に宮澤を殺した犯人の手掛かりになるようなことがあるのなら、すぐに話しましたよ。それに……」

「それに?」

「俺はあいつと約束したんだ。どんな結果になっても、あいつを信じて、あいつとの約束を守るって! あいつを信じること、それがツァラトゥストラになれなかった俺の……俺のたった一つの誇りだったんだ」そう言うと、佐々木は頭を抱えてうずくまった。

 

並んで歩く若い男の後姿

 

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