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【仏教をテーマにした和風ファンタジー小説】『鎮魂の唄』 ~国津神編~ 第十一話 致命

 カリマは苛立っていた。目の前にいる阿弖流為と名乗る男。たかが人間と思って、たかを括っていたが、その剣の腕前は並々ならぬものがあった。自分の四本の手から繰り出される必殺の攻撃は悉くかわされ、それどころか時折鋭い突きを放って、この身をたじろがせた。  

「――どうした、それで終わりか、では、今度はこちらの番だ!」

 阿弖流為が叫び、その声と同時に雷光のように剣を振るい始めた。カリマはたじろぎ、なんとか四本の刀でかわそうとしたが、勢いに勝る阿弖流為の剣はカリマの左手の二本の刀を弾き飛ばした。すかさず阿弖流為はカリマの左を狙って剣を放った。カリマは反射的に素手となった左手で阿弖流為の剣を防ごうとしたが、鈍い音がしたかと思うとカリマの二本の腕が宙を舞った。カリマは苦痛に顔をゆがめ、残された右手で切断された左手の跡を抑えた。次の一撃でカリマに止めを刺せる。阿弖流為がそう思ったときだった。なにやら陣太鼓のような重々しい響きが耳に聞こえてきた。その音は鼓膜を震わせ、皮膚の毛をそそり立て、肉を通じて体内にまで伝わってきた。途端に阿弖流為の体が重くなった。

「……これは、大黒天の真言……大黒力か」

 反対にカリマはその真言を聞くと、喜悦の表情を浮かべた。

「これこそが我らが持つ真の力! 仏ですら制御することのできぬ我々異形の神の力!」

 荒覇吐の真言はどんどん大きくなっていった。それとともに阿弖流為の体も身動きがとれなくなっていった。阿弖流為は一旦体から力を抜いた。そして、静かに真言を唱え始めた。

 おん あらきしゃ さぢはたや そわか

 その真言が口から出た途端、阿弖流為の体を縛っていた重苦しい力が消えていったかと思うと、阿弖流為の体の中にまた別の狂おしいまでの怒りに満ちた力が沸き上がってきた。

 「……これは、羅刹天の真言……お前、鬼神力を使いこなせるというのか」カリマは驚きの面持ちで、目の前の阿弖流為を見つめた。

 阿弖流為の声が高まるとともにその体から緑色の炎が吹き出してきた。その炎は真言の韻律にあわせるように阿弖流為の体を二重にも三重にも大きくさせた。阿弖流為の顔は凄まじいまでの怒りに満ちていた。

 

恐ろしい姿をした鬼

 

 阿弖流為が一歩進んだ。カリマは一歩引いた。カリマは自分がなぜ引くのか分からなかった。ただ恐ろしかった。目の前の男が恐ろしかった。カリマは生まれて初めて恐怖という感情を知った。手が震えた、体が震えた。どんな恐ろしい鬼ですら、カリマの前に立つとみな震えていた。カリマは相手がガクガクと震えるのを見るのが楽しかった。相手の心に湧き上がる恐怖がいつも自分を酔わせた。だが今、カリマは自分が恐怖に震えているのを感じた。今まで自分の前で震えていた鬼や妖どもと同じように、ぶるぶると震えているのを感じた。次の一瞬にも、この男は我に飛び掛かり、我の体を引き裂き、我の体を喰らうに違いない。

 カリマは思わず荒覇吐の方に目をやった。青龍寺の庭の中央に傲然と立ち、スサノオと対峙していた。最強の力を持ちながらも、深い愛情を持ち、部下のことを心底から信頼してくれる男だった。荒覇吐の唱える真言が変わらずに空気に響いていた。その声はカリマには唄のように聞こえた。自分のために荒覇吐が歌っているような気がした。カリマの中にかつて感じたことがない、なんとも言えぬ感情が沸き上がってきた。荒覇吐のために戦いたい、荒覇吐のために死にたい。その想いがカリマから震えを拭い去った。

 だがその瞬間、阿弖流為の渾身の一撃がカリマの胸を突き刺した。カリマは思わず、よろめいた。だがカリマは阿弖流為の剣を掴むと、さらに己の胸に突き刺した。そして阿弖流為に身を寄せると、その首筋に牙を立てた。阿弖流為の体から噴き出る炎が二人の体を包んだ。 阿弖流為は敢えてその牙を身に受けたまま、まんじりともせずそのまま立っていた。

「……カリマよ、お前の想いも、この身に入った……安らかに眠れ」

 その言葉はカリマに届いたのであろうか、炎に包まれたカリマはゆっくりと目を閉じて大地に崩れ落ちた。阿弖流為はその姿を悲しげに見つめた。

 

 三蔵はひたすら不動明王の真言を唱えていた。三蔵の前に降臨した不動明王はこれまで三蔵が呼び出したものの中で、最も強力な力を有していた。真言とはその言葉自体に真理を有している。真言を唱えれば仏の力を呼び出し、神を降臨させることもできる。しかしそれは、ただ単に真言を唱えればいいということではない。心に仏を思い浮かべ、仏と一体になり、印を正確に結び、正しい発音で真言を唱える。そうしてはじめて神や仏は顕現し、その力を存分に奮うことができる。とりわけ心を仏と一体化させること、これこそが密において最も重要なことであり、最も難しいことなのであった。

 三蔵はそれを成し遂げることができる稀有な存在であった。幼少時からの修練の日々、己の過酷な宿命に立ち向かおうとする気概、菩薩に至らんとする強い意思。それらが三蔵を優れた密教僧に育て上げた。そうしてこの地に赴いた三蔵であったが、ここでの様々な体験と出会いはさらに三蔵の力を高めていた。金剛力を完全に使いこなすに至った三蔵が降臨させる不動明王は完全な力を備えていた。しかし三蔵が相手するアスラもまた、何千年にもわたって神と戦火を交え、互角の戦いを繰り広げてきてた、まさしく神そのものであった。不動明王が放った羂索をしかと握り締めたアスラは真言を唱え始めた。

 のうまくさんまんだ ぼだなん らたんらたとお ばらんたん

 それは、阿修羅王として知られる、彼自身の真言であった。

 のうまぁくさんまんだぁ ばあざらだんせんだん まあかろしゃあだぁ そはたやぁうんたらたあ かんまん

 三蔵もさらに声を強め不動明王の真言を唱えた。巨大な力同士がぶつかり、二人の神の間に渦が巻き起こった。雷鳴が鳴り響き、雷が四方に飛び散った。不動明王が渾身の力を込めて羂索を引くがアスラも眦を釣り上げて、それに抗した。羂索はびんと張り、今にも断ち切れんほどにふるふると震えていたが、仏によって鍛えられた羂索は決して切れることはなく、二人は嵐が渦巻く中、力の限り羂索を引きあっていた。互いの体の中で血が沸き立ち、肉が震えるように踊った。二人が踏みしめる大地はぎゅうぎゅうと音をたて、まるで悲鳴をあげているようだった。

 三蔵の耳に別な真言が聞こえてきた。それは大黒天の真言であったが、その真言には二色の声色があり、明らかに一方が押されているのが分かった。三蔵は意識を向けまいとした。今、アスラと力比べしているこのときに一瞬でも気をそらせば、一気にアスラにもっていかれてしまうのは分かりきっていた。だが三蔵の意識はどうしても荒覇吐とスサノオの方に向かってしまった。真言を唱えながら、三蔵はちらりとそちらの方を見やった。荒覇吐はゆっくりとスサノオの方に歩いていた。そしてスサノオの前に立つと、大きな斧を振り上げた。

「なにをしている、逃げろ!」三蔵の意識がそちらに飛び、思わず声を出していた。

 だがその声はスサノオには届かなかった。スサノオはまるで固まったように一歩も動かず、荒覇吐が振り下ろした斧をその身に受けて、どうと倒れた。三蔵はその光景をコマ送りのように見ていた。頭が真っ白になっていた。だが突然、三蔵の胸に鋭い痛みが走った。真言が途絶え、不動明王の力が弱まった隙をアスラは見逃さなかった。アスラは一気に羂索を引くと、前によろめいた不動明王の胸に剣を突き刺した。不動明王は苦悶に満ちた表情を浮かべ膝を落とした。密によって降臨した神と人は表裏一体をなすものであった。人の力が弱まれば神の力も減じ、神が受けた苦痛や痛みは人にはねかえってくるのであった。

 アスラは目の前に蹲った不動明王の顔を思いっきり蹴り上げた。不動明王は抗しきれず、後ろに倒れた。その胸からは人間の地にも似た真っ赤な液体が溢れ出ていた。同じように、三蔵の胸からも血がどくどくと噴き出していた。立てなかった。言葉を出すことすらできなかった。それは致命の一撃だった。

 

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