「……綱よ、お前にこの右腕を切り落とされたのは不覚の極みだったが、俺にとっては却ってよかったのかもしれん。以後俺は、お前を倒すことだけを思い、己の技を磨いてきた。俺はもはや以前の茨木童子ではない。それを今日、たっぷりと思い知らせてくれる」
「茨木童子、それは俺とて同じこと。貴様の腕を取ったくらいで慢心する俺と思うているのか、俺が目指すのは天下最強の男、貴様の腕一本切ったところでどうということもない。貴様の首を取ってこそ、それも適うと言うもの。茨木童子よ、今日こそけりをつけてやる!」
そう語るや、綱は前に跳んだ。それを見た茨木童子はすかさず後ろに跳んだ。そして二人は互いの位置を見極めんとするように、じりじりとその位置を変えた。
間合い。突き詰めれば戦いというものはいかに自分に最適な間合いを取るかにかかっている。綱の刀は三尺足らず、方や茨木童子の槍は五間を超える。その差を考えれば、離れて戦うのは綱にとって不利、いかに相手の懐に入るか、それが綱にとっての最適な間合いであった。だがそんなことは茨木童子とて承知しており、間合いを取りつつ、突きを放つ。それが長大な槍を持つ、茨木童子の最善の戦い方であった。綱目がけて槍が繰り出された。しかもその突きたるや、まさに人力を越える鬼の技で、瞬きする間もなく三弾の突きが繰り出された。それを紙一重でかわし、刀で払う綱もまた人の域をはるかに越えていた。
一方、貞光と金熊童子はじっと睨み合っていた。
茨木童子の槍とは逆に金熊童子の得手である戟は二尺足らず、つまり金熊童子にとっては接近戦こそ望むところ、貞光の刀を交わしその頬を切った間合いこそが、金熊童子の最適な間合いであった。それを肌身で知っている貞光であるからこそ、徒に切りかかるのをやめ、相手の動きをじっとみつめているのであった。綱の刀と茨木童子の槍がぶつかり合う音が絶間なく響いていたが、貞光の耳にも金熊童子の耳にもその音は届いていないかのように二人は寂として動かなかった。
茨木童子が繰り出す槍の速さが増していた。綱ほどの男をもってしても、この槍を交わすのは至難となってきた。このままの間合いで戦えば、いずれ槍に捕らえられる。綱はそう判断すると何を思ったか、後ろの御堂の中に飛び込んだ。
「勝てぬと分かって、堂の中に逃げ込んだか。だが無駄だ。この槍は木々も岩をもすり抜け、お前の体のみを切り刻む!」
茨木童子はそう叫ぶと、なんと御堂の外から薙ぎ払った。するとその言葉通り、槍は御堂の壁をすり抜けていった。茨木童子は一歩一歩前に進みながら何度も何度も薙ぎ払った。
「ほらほら、もう後がないぞ。そんなところに隠れて俺の目を逃れられると思っているのか。俺にはお前の姿がよく見える。そしてお前の後ろにある我が右腕が我のもとに帰りたいと叫んでいる姿がな!」
茨木童子はそう叫ぶや、暗闇の中に潜む綱目掛けて渾身の突きを放とうとした。その時、急に御堂の扉が開いたかと思ったら刀が飛んできた。茨木童子は慌てて飛んできた刀を払ったが、その刀を追うように今度は綱が飛び出してきて腕を振るった。綱の手には別の刀が握られていた。その刀は見事に茨木童子の槍を断ち割っていた。その刀こそ、かつて茨木童子の右腕を切り落とした源氏重代の宝刀、髭切の太刀であった。
綱が茨木童子の持つ槍を真っ二つに断ち割った瞬間、金属が折れたような甲高い音があたりに響いた。その音はほんの一瞬であったが、貞光と対峙していた金熊童子の意識を反らした。貞光はその瞬間を見逃さなかった。貞光は抑えに抑えていた全身の力を解き放った。正眼に構えていた太刀を一気に振り上げ前に跳躍した。
金熊童子が気づいたときには既に貞光と刀が目の前に迫っていた。金熊童子の目が大きく見開かれた。金熊童子は無意識に頭を反らした。だがそれが限界だった。強い痛みが金熊童子を襲った。なんとか後ろに下がった金熊童子だったが、その胸から腹にかけて貞光の刃によって大きく切り払われていた。だがそんなことは貞光の念頭になかった。今、貞光の頭にあるのは、この鬼の息の根を止めること。ただそれだけだった。貞光は振り下ろした刀を止めることなく、流れるように今度は金熊童子の首筋目掛けて再び刀を振り下ろした。
だが金熊童子が外のことに意識を取られたのとは逆に、貞光は目の前のことに意識を取らわれ過ぎた。貞光の背後に別な鬼の気配が猛烈な勢いで迫っていることに気づかなかった。貞光の背中にとてつもない衝撃が走った。それはまるで熊の爪で背中を薙ぎ払われたかのようであった。そしてまさにそのとおり、貞光の背中の肉は鋭い爪のようなもので肉深くえぐり取られていた。
「……な、なにが……」
貞光は自分の身に何が起こったのか分からなかった。だがその凄まじい一撃は貞光に瀕死の傷を与えていた。貞光は信じられないというような目で、ばったりと地面に倒れた。
貞光によって深手を負った金熊童子も苦痛に顔をしかめて思わず膝をついたが、その目は、それまで貞光が立っていたところを見つめていた。そこには背の小さい一人の鬼が立っていた。
「……星熊童子……お主であったか」
金熊童子の前に立つ鬼は青い目を光らせて、静かに金熊童子を見つめていた。
「……金熊童子よ。その傷では今日はもう動けまい。後は私に任せておけ」
「すまん……頼む」金熊童子は痛みを堪えて言った。
「……お前ほどの男をここまで追いつめるとはな」
星熊童子は嘆じるようにそう言うと、眼下に横たわる貞光を見て目を細めた。
綱の太刀は御堂より飛び出し茨木童子の槍を見事立ち割ったが、さすがは茨木童子、すかさず穂先がついた方を掴むや、綱に対峙した。
五間の槍は三間となったが、短くなって却ってその槍筋は鋭さを増したようだった。茨木童子が放つ突きは三弾を超えて、今や四弾となっていた。綱の目には、瞬時に四本の槍が迫っているように見えた。しかもその四弾の突きが顔、首、心臓、胃の腑と体の急所に繰り出される。それが一回ではなく、続けざまに二回、三回と繰り出されるのだ。
だが綱が手にしているのは髭切の太刀。この刀こそ茨木童子の右腕を断ち切った、まさに茨木童子にとって因縁ある刀であった。髭切の太刀を手にした綱の技の切れも一段と増したようで、綱は茨木童子が繰り出す四弾の突きを悉く見極め、的確に打ち防いでいた。しかも、守るだけにあらず、攻めに転じれば風を切るように茨木童子に襲い掛かった。まるで髭切の太刀にも意志あって、鬼を喰わらんとしているかのようですらあった。
両者とも必死であった。一瞬でも気を許せば、己の首が飛ぶことを知っていた。綱は金熊童子と対峙していた貞光が新たに現れたもう一人の鬼によって倒されたことは分かってはいたが、今は如何ともすることができなかった。
その鬼がこちらに近づいてくるのを感じた。綱はそちらに気をやりつつ、用心のため無理せず守りに入った。だが妙なことにその鬼は自らは攻めかかってこず、御堂の前に立つと、まるで二人の対戦を見物するように立ち止まった。茨木童子もその鬼がいることは分かっているようであったが、加勢しろともなんとも言うこともなく、ひたすら己の技を繰り出すことだけに集中していた。それはある意味、綱との戦いを楽しんでいるようですらあった。
馬の嘶がかすかに聞こえた。その嘶きとともに戦いを眺めていた鬼が初めて口を開いた。
「茨木童子様、どうやら頼光たちが戻ってくるようです。一条戻り橋の様子を遠くから眺めておりましが、そちらの手勢の中にも油断ならぬものがいるように見受けました。ここは敵地でありますれば今日はこの辺で引いた方がよろしかろうと思われます……金熊童子もかなりの深手を負っておりますれば」
綱と間断ならぬ攻防を続けていた茨木童子であったが、その言葉を聞くとようやく一歩引いて手を止めた。
「……そうか、金熊童子が手傷を負ったか……やむをえまい、引くとしよう。だが星熊童子よ、大事なものを忘れてはおらんだろうな」
「忘れてはございません。あなた様の右腕は既に私の懐にあります。髭切の太刀の呪縛から解き放たれて、嬉しそうにあなたのもとに戻ろうしていたところを押さえておきました」
そう言うと星熊童子は懐から茨木童子の右腕を取り出し、愛おしそうに撫でた。それを見た綱は顔色を変え、すかさず星熊童子に向かって切り掛かった。だがなんと星熊童子は太刀を避けるどころか素手で髭切の太刀を掴んだかと思うと、そのまま太刀を跳ねのけた。
信じられぬ思いで星熊童子を見つめる渡辺綱に向かって、茨木童子が笑うように言った。
「この星熊童子の手はどんなものより固く鋭い。髭切の太刀であろうが刀ではこのものの手は切れぬぞ――綱よ、今日は面白かったぞ。だが次に会う時こそ覚悟することだ。右腕が戻った私の本当の力をとくと味あわせてやる。頼光にも伝えておけ、いくらお前たちが気張ったところで、我らの足元には遠く及ばんということをな」
そう言うと茨木童子は金熊童子のもとに走り、その身を抱えたまま、屋根の上に飛んだ。その横には茨木童子の手を抱えた星熊童子がいた。そして鬼たちは月の光に誘われるように夜の都の中に消えていった。
