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【平安を舞台にした和風ファンタジー】『異形の国』 (二十四)

 右大臣の藤原兼家の屋敷にこの時代の名士ともいえる男たちが集まっていた。安倍吉平の父であり当代きっての陰陽道の術者、陰陽博士安倍晴明。晴明と並び陰陽の大家である賀茂家の当主であり、陰陽頭も務めた賀茂保憲。真言密の行者であり、平将門の乱においては関東に下り、祈祷をもって乱の平定に貢献した広沢の寛朝僧正。そしてその将門討伐において、朝廷の兵を率いて将門と刃を交え、見事将門を討ち取った天下一の武人藤原秀郷。 

 普段であれば、このような男たちが一堂に揃うなどということは滅多にあるものではなかったが、今日ばかりは皆この場に呼ばれたことの理由は薄々感じていた。都を騒がしている鬼を討伐すべく、藤原保昌が兵三千の兵を率いて大江山に向かったはいいが、なんとたった一人の鬼のために壊滅させられたとの報告が朝野に届いたのは、ついこの間であった。そして今朝ほど朱雀大路を巡回していた検非違使二人が骨ごと喰われたとの知らせに加えて、大江山の鬼討伐を命じられた源頼光の屋敷に鬼が押し込み、家人数名を殺害するとともに屋敷に保管されていた鬼の腕が奪われたという知らせが届いたとあっては、朝廷を主導する右大臣藤原兼家から国の大事至れり、何を差し置いてもお越しいただきたいと早馬で呼び出されたわけも自ずから知れようというものであった。ところが肝心の兼家だが、人を呼び出しておいた癖に自分はどこかに出かけたと見えて、やむなく一同は口を結んで兼家が戻るのをじっと待っているのであった。 

 しばらくして、ようやく館の主がどたばたと足音を立てて部屋に入ってきた。だが兼家、座についても困った困ったと言うばかりで一向に要領を得ない。たまりかねた晴明がとうとう口を出した。 

「右大臣様の急遽のお召しに応じて、我らこうしてこの場に集まりましたがいかなご用件でございましょうか」 

 すると兼家、自分が呼び出したことなどすっかり忘れていたように自分の前に座る男たちを眺めると、急に泣きそうな顔で繰り言を言い始めた。 

「いや、これは失礼仕った。だが大変、困ったことになってしまったのだ。そなたたちも知っておろう。鬼どもが真に恐れ多くもこの都で騒ぎを起こしておることを。公家の娘の中にも鬼に喰われたものがおると聞く。最近では市も立たず、諸国からの貢納まで滞おる始末じゃ。今、帝に直々に呼ばれてお会いしてきたが、帝もことのほか憂慮されているようで、すぐにも対処するよう私にお命じになった。しかしわしとて忙しい身。来月は亡き父の法要の準備もせねばならぬし、娘の入内も間近に迫っておる。いったい、どうしたらよいというのか。困った、誠に困った」 

「お困りのご事情は誠にごもっともではございますが、ここで愚痴を言っていても始まりますまい。帝がお命じになったごとくに何か策を講じませぬことには」晴明が少し強い口調で言った。 

「おお、確かに何か策を講じねばならぬ。どうだ、そちには何か良い考えはないか」兼家は助けを求めるように晴明に尋ねた。 

「陰陽の術は鬼神の心を惑わすことはできまするが、鬼神そのものを滅することは叶いません。さればこそ源頼光殿に鬼討伐を命じたのではありませんか」 

「しかし、頼光はこの大事な折に相撲大会などを開き、無為に時を過ごしていたと聞く。保昌はそんな頼光に業を煮やして大江山に向かったというではないか。しかも、こともあろうに昨晩は鬼の手を奪われたというのだぞ」 

「確かに鬼の手を奪われたのは失態でございましたが、悪い話ばかりではありません。頼光殿と行動をともにした我が子吉平によりますと、頼光殿のもとには一騎当千の兵が揃い、その力は鬼にも匹敵するとのことでございました。私が思いますにこの鬼どもを殲滅することができるのはやはり頼光殿をおいて他にはございません。今は頼光殿をお信じになるのが肝要かと思います」晴明は熱心に説いた。 

「わしとて頼光を知らぬではない。その力も十分に承知しておる。だが頼光一人では荷が重いのではないか――保憲、そなたはどう思う?」兼家は晴明の隣に座っていた賀茂保憲の方を向いた。 

「晴明殿のおっしゃることは誠に道理にて、私も頼光殿を頼むがまずは上策かと存じます。ですが事態は急速に悪化しております。このまま手をこまねいていれば不測の事態が起こらぬとも限りません。ここは我らもできる限りのことをなさねばなりませぬかと……」

 保憲はそう言うと隣に座っていた広沢の寛朝僧正に目を向けた。寛朝僧正は保憲の言いたいことが分かったようで、これまでずっと目を閉じて黙っていたが、かっと目を開くと兼家に言った。 

「大元帥法をなしましょう」 

「大元帥法とな! 大元帥法は国家の大事にのみ行われる修法。これまで宮中の奥深くにて帝臨席の元でしか執り行われたことはないという秘中の秘とも言う修法ではないか。それを行うと言うか!」兼家がびっくりしたように言った。 

「今こそまさに国家の大事ではありませんか。躊躇する時ではありません。右大臣様には、さっそく、帝に大元帥法実施の裁可をいただくようお取り計らい願います」そう語る寛朝僧正の声は兼家を叱りつけるが如きであった。 

 
 兼家の館を辞し、屋敷の前に並んだ牛車に乗り込もうとした晴明だったが、藤原秀郷が牛車もなく徒歩で帰ろうとするのが目に入った。 

「秀郷殿、歩いてこられたか」晴明が軽く声を掛けた。秀郷はこちらを振り向くと、いやあと頭を掻き、「この年になってもどうも牛車というものに慣れぬでなあ」と笑うように言った。 

 確かに秀郷は齢八十を過ぎ、将門を討ち取ったかつての面影は見る影もなかったが、それでもその顔にはどこか童のような無邪気さが残っていた。晴明はそんな秀郷を見るとなんだか無性にこの男と話したくなり、少し一緒に歩くことにした。 

「秀郷殿は、此度の鬼の一件をどのように思われますか」秀郷とともに歩きながら、晴明が尋ねた。秀郷はしばらく黙って歩いていたが、ぽつりと言った。 

「もしかすると、我らが討ってきたものたちの無念の念が溜まりに溜まり此度のことになったのやもしれませぬなあ。わしらは朝廷に反旗を翻した平将門を討ち、藤原純友を討ち果たしました。いやそれだけではない。桓武の御代には奥州を騒がせた阿弖流為を滅ぼし、以来、諸国に割拠する豪族どもを悉く打ち滅ぼしてきました。彼らとて我らと同じくこの国に住むものたちであったのに、立場が違うだけで逆賊の名を被せられ、無残な最期を遂げてきたのです。彼らからすれば我らは殺してもあきたらぬものたちでありましょう」そう語る秀郷の顔には深い皺が幾筋も刻まれ、なんとも言えぬ哀しみの色が滲み出ていた。 

「……そうかもしれませぬな。私とて狐の子よ、化生の子よと、子どもの時分はだいぶ公家衆にいじめられたものでございました」晴明もしみじみと呟いた。 

「……だが、今更わしらがこんなことを言ったとて、彼らはわしらを許してはくれますまい。そして結局わしらはどうあがいても朝廷には弓引けぬ。貴殿とてそうであろう」 

「おっしゃるとおりです。どんなに愚痴を言っても、やはり私もこの都の中でしか生きられぬ身」 

「晴明殿、結局、わしらは死ぬまで戦うしかないのかもしれぬなあ」 

「まこと、そうかもしれませぬなあ……」 

 日が沈みかけた土御門大路を歩く二人の背後には、長年重いものを背負わされ続けたものだけが持つ悲しみの影が浮かんでいた。 

 



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