「わざわざ、我が屋敷にお越しいただくとはかたじけなく思います」頼光が目の前に座った来客を前に丁寧に頭を下げた。
「いや、前触れもなくいきなり押しかけて、わしの方こそ恐縮じゃ」そう言って、頼光に笑いかけたのは藤原秀郷であった。
「実は昨日、此度の一件で右大臣様に呼ばれてな。既に聞いておるかもしれぬが、安倍晴明殿と賀茂保憲殿、そして広沢の寛朝僧正殿が大元帥の修法を行うように進言された。おそらくそのようになるのであろうが、わしはそっちの方ではなんの手助けもできぬで、何かそなたの役に立つことができぬかと考えておったら、いいものがあったので持ってまいった。そなたも聞いたことがあるかもしれぬが、わしは昔、琵琶湖に棲む大百足を退治したことがあってな。その時、琵琶湖の神が現れて、このわしに鎧をくれたのじゃ。この鎧、刃も矢も悉く跳ね返す不思議な鎧での。将門討伐の折には、大いに役にたったものであった。じゃが、わしも既に齢八十を超えて、もはや片足を棺桶につっこんでいるようなもので、いつあの世へ旅立つか分からぬ身。今更、この老いぼれがこのようなものを持っておっても宝の持ち腐れ。そこでそなたにこの鎧を授けたいと思ってな」
秀郷はそう言うと、後ろに下がっていた従者に命じて鎧を前に運ばせた。たしかにその鎧、既に五十年ばかり経っておると言うのに傷一つなく、美しく輝いていた。
「これがあの……しかし、このような貴重なものをいただいては……」頼光はびっくりしたように言った。
「何を言われる。今やそなたの肩にはこの国の行く末がかかっている。わしができることなどこれくらいじゃが、これでわしも思い残すことはない」
秀郷はそう言うと、長居してはそなたの迷惑とすぐに立ち上がった。頼光は秀郷の好意に深く謝し、玄関まで見送りに出た。
「なんと、秀郷様は徒歩で来られましたか」牛車もなく、秀郷が歩いて帰ろうとするのを見た頼光が言った。
「いや、昨日晴明殿にも同じようなことを言われたが、どうも牛車に慣れぬでな。やはり武人はいつまでたっても武人なのかのお。といって、今では馬に乗ることも滅多になくなってしまったがの」秀郷はそう言うとははと笑った。
頼光はそう語る秀郷を見てふと子どもの頃を思い出した。その頃の頼光にとって、藤原秀郷は生ける伝説であった。琵琶湖の大百足のみならず、妖異の類を退治した話は数知れず。そして天下を大いに騒がせた将門を見事討ち果たし、この国を救った真の英雄であった。
秀郷の話を聞くのが大好きであった。矢を二度放ったがいずれも大百足の固い皮を貫くことができず、三度目に自分の唾をつけて矢を放ち、見事百足の眉間を貫いた話など、何度聞いても聞くたびに目を輝かせ、体の中から燃えるようなものが立ち上ってくるのを感じたものであった。今の秀郷には確かにその当時の面影はなかったが、それでも頼光にとって秀郷は子どもの時分に憧れた男であり、自分が目指さんとした英雄そのままであった。その秀郷が自分に後事を託し、そしてこの年になっても武人の心を忘れておらぬことに深い感動を覚えたのだった。頼光は深く頭を下げた。秀郷はそんな頼光を見ると軽く頷き、満足そうに去っていった。
秀郷は頼光の屋敷を辞すと何を思ったか、ぶらぶらと京の町を歩き始めた。東市ではだいぶ人の数は少なかったが市が立っており、京のまちびとが野菜や魚を贖っていた。秀郷はそんな中を楽しそうに歩いていたが、ふと茶屋の女に声を掛けられると、ではもらおうかと気軽に答え、茶と団子を注文した。茶席に座ると、ちょうど正面に東寺の五重塔が真っ青な空の下できらきらと煌めいていた。
秀郷はその塔を眺めながらゆっくりと茶を啜った。なんとも心地よい気分であった。なんだか自分が一生を掛けて守ってきたものが全てここに詰まっているような心地だった。秀郷は自然と笑みがこぼれた。秀郷はそのあとも平安神宮、清水寺と京の名所と呼ばれるところを気ままに散策しながら日をつぶし、上賀茂神社に辿り着いた頃には、いつしか日も傾きかけていた。秀郷は上賀茂神社の参道の前に立つと、ずっと付き添ってきた五平という従者に声を掛けた。
「五平よ、今日はずっとつき合わせてしまって大儀であったな。もうお前は屋敷に帰るがよい。わしはもう少しここで時間をつぶしてから帰るとしよう」
「殿様、そろそろ日暮れがちこうございます。鬼のこともあります。そろそろお戻りになられた方がよろしいのではございませんか」五平が心配そうに言った。
「なに、この年になれば、いまさら鬼などどうということもない。ただ、お前に何かあってはわしが困るでな」
「ならば、私も残ります。殿様に何かあったら、私とて生きている甲斐もございません」
見れば五平という従者も秀郷に劣らず、だいぶ年老いていた。おそらく秀郷に長年付き添い、数多の戦場を駆けめぐり、生死をともにしてきたのであろう。五平の顔を見た秀郷はどう言おうか少し悩んでいたが、ようやく口を開いた。
「五平や、どうやら鬼どもが昼間からわしを付け狙っておったようでな。おそらく夜が来るのを待って襲いかかってくるつもりじゃろ。別に鬼に食われてやってもよいが、わしも武士であるからには、ただで死ぬつもりはない。そいつらを何匹かでも叩っ切ってやろうと思ってな」
五平はそれを聞くとびっくりした。
「ではなおのこと、殿様一人をおいて私だけ逃げるわけにはまいりません! 将門の乱の折、雲霞のごとき敵勢に突っ込むとき、私をみて死ぬときは一緒じゃぞと仰ってくれたのは殿ではありませんか、この期に及んで私一人残して、一人で死のうなど言われるのは、あまりに情けなきお言葉でございます」
秀郷は五平の決意に満ちた顔を見るとなんとも困ったような顔になったが、すぐに分かったと声を上げた。
「ならば五平よ、お前は今すぐ頼光殿の屋敷に駆け戻り、このことを頼光殿に申し上げるのだ。そして加勢を出してもらうようお願いしてまいれ」
「いやでございます! 私が走っている間に殿が討たれてしまうかもしれません! 私は最後まで殿のお傍にお付き申す」五平はすがりつくように言ったが、そんな五平に秀郷は大喝した。
「五平、お前は我らの命とこの国の行く末とどちらが大事だと思っておるのだ! 鬼どもは今やこの国を滅ぼさんとしている。そして頼光殿こそ、鬼どもを討ち滅ぼすことのできる唯一の御仁なのじゃ。老いぼれたとはいえ、わし等は勝手に死んでよいわけがない。わしはわし、そなたにはそなたの役目がある。鬼どもの目当てはわしじゃ、わしはお前が頼光殿を連れてくるまで、鬼どもをここに引きつけておく。だからお前は一刻も早く、頼光殿に告げてくるのじゃ!」
「殿……」
「五平よ! ここは戦場と同じじゃ、その上でお前に命じるのだ! さっさといかんか!」
秀郷はかっとにらむと大声で怒鳴った。その剣幕にさしもの五平も抗うことができず、ではごめんと一言言うと、もの凄い勢いで走っていった。その後ろ姿を見て、秀郷は静かに微笑んだ。
「……これでよい」
