面白い小説を書きたいだけなんだ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

【平安を舞台にした和風ファンタジー】『異形の国』 (三十二)

 家の中で生きた心地もせず外の様子を伺っていた住人たちだったが、ようやく静かになったと思ったか恐々と顔を出してきた。そこに見たのは、崩れ去った築地塀の前に仁王像のように立ちすくむ金時の姿であった。 

「……金時、腕は無事か」桔梗が心配そうに後ろから声を掛けた。 

 金時の左腕は熊童子の鋭い牙によって噛み千切られ、だらだらと血が流れ落ちていたが、どうやら食いちぎられることなくくっついていた。それを見た桔梗はほっと安堵の息をつくと、感極まったようにつぶやいた。 

「……金時……おまえ、よくやったな……ほんとに、よくやったな……」桔梗の声は少し震えていた。その目には今にも涙がこぼれんばかりであった。金時はそんな桔梗を見るとにっと笑った。 

「だから言ったろ、何にも心配することねえ、安心して待ってろって……」そう言ったが、力尽きたように金時は桔梗の前にぶっ倒れた。 
 
「大量出血して、一時的に気が遠くなったんじゃな。ちょうど腕の大動脈を噛み切られておったからな。まあ腕の根元を縛って、血止めの薬を塗っておいたから、しばらくは安静にしておることじゃ。腕の方は骨は折れておらんようだから、少し経てばもとどおり動かせるようになるじゃろ」医者はそう言うと帰り支度を始めた。 

「こんな時分に、わざわざすいませんでした」桔梗が神妙に頭を下げた。 

「いやなに、都を騒がす鬼を倒した男の治療とあっては何をおいても駆けつけんわけにはいかんからな。まあ、あんたが血相変えてうちに走ってきたときにゃ、あまりの剣幕にあんたが鬼でわしを喰らいにきたんじゃないかと思ったよ」医者はそう言うとからからと笑った。 

「気づいたら何か精になるものを食べさせて上げなさい。まあこの分じゃ、そんな心配もないかもしれんがな」医者は少し青褪めてはいたが大いびきをかいて眠っている金時を見ると苦笑しながら立ち上がり、家まで送りますと申し出た桔梗に無用無用と言い捨てて、そのまま帰っていった。 

 
 桔梗が医者を見送って座敷に戻ってくると、寝床を取られた親父が隅の方で茶碗酒をちびちびと飲んでいた。 

「ねえ、おとっつぁん、おとっつぁんは金時のことをよく知ってるんだろ。いったい金時はどんな生まれだったんだ」桔梗は金時が寝ている脇にちょこんと座ると親父の方に声を掛けた。 

「どうしたんだ。お前がいきなり、そんなこと聞くなんてよ」親父は不思議そうに桔梗の顔を見た。桔梗は顔を曇らせた。 

「……鬼が死に際に妙な事言ってたんだ……金時には鬼の力があるって……」 

 親父は桔梗の顔を見ると、しばらくの間、口を閉ざしていたが、諦めたように口を開いた。 

「……こりゃ、決して誰にも言うんじゃねえぞ」そして茶碗酒をぐいとあけるとぽつぽつとしゃべり始めた。 

「あいつの母親ってのは亡くなったおっかさんの幼馴染でな。隣家同志、姉妹のように仲良くしていたらしい。ところがその娘がいつの間にやら身ごもったのだ。びっくりした両親は誰の子かと問い詰めたが、娘はそれだけは言えませんと固く口を閉ざすばかりでな。とうとう、親父殿の堪忍袋の尾も切れたと見えて、勘当だ、この家から出ていけとこうなったわけだ。それでその娘は足柄山に引っ込んでたった一人で金時を育てることになったんだと。ただお前のおっかさんだけは、その幼馴染の娘を不憫に思って、米や魚を持っていったり、赤子のための衣装を作っては折々に山に届けに行っておったそうな」親父はそこまで言うと、再び、茶碗に酒を注いだ。 

「ちょうどその頃、俺も相模の方で暮らしておったんだが、何の縁かお前のおっかさんと懇ろの仲になってしまってな……だがその頃はまだ相模の方は、将門の乱の混乱も冷めやらぬひどい有り様でな。夫婦になったところでとてもこんなところでは暮らしていけぬと思い、俺たちは覚悟を決めて京に出ることにしたんだ。だが京に出ればもはや会いに行くこともできぬと思い、お前のおっかさんは最後の別れと思って足柄山に出向いたんだ……子どもの時分から仲良くしていた二人だ、今生の別れかもしれぬと、涙ながらに夜更けまで語りおったそうじゃ。するとついにその娘の口も緩んでな、とうとう金時の父親のことを話してくれたんじゃと」そこまで言うと親父は茶碗酒をぐいとあおり、つぶやくように言った。 

「……金時の父親ってのは、平将国だと言うんだ」 

 その名を聞いた途端、桔梗の目が丸くなった。 

「平将国って、平将門の子じゃないの!」 

「……ああ、この国に反旗を翻し、新皇と名乗った平将門の嫡男だ。その男が金時の父親だというんだ」

 親父はそう言うと、大いびきをかいて大の字で寝ている金時の方を見やった。 桔梗も金時の顔をみつめたが、驚いたことにいつの間にか金時の顔には血色が戻り、既に赤みが差していた。 

「……鬼の力」桔梗の口から言葉が洩れた。 

 



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