虎熊童子は鬼たちと頼光たちの戦いの様子を眺めていた。数百という鬼たちを率いて頼光どもを討ち取れと茨木童子に命じられたときは、たかが人間如きに用心が過ぎるのではと声が出掛かった。だが目の前の光景はそんな予想を覆す、信じがたいものであった。何百という屈強な鬼たちがなすすべなく頼光たちに討ち取られていた。頼光とその配下のものたちは四人が四人とも鬼にも勝る男たちであった。
「……虎熊童子よ。決して敵を甘く見るな。必殺の念を抱いて敵に当たれとは、茨木童子様の言葉にもあったろう。このまま手をこまねいていれば、いずれ配下の鬼たちは一人残らず倒されてしまおう。もはや猶予はならん。我らも死を賭して奴らに対峙せねばならぬ」 頭上にいた星熊童子から声が掛かった。
「確かに、少し奴らを舐めておったようだ。よかろう、我らもいよいよ動き出そうぞ」虎熊童子は覚悟を決めたように言った。
「……私は頼光をやるから、お前は、まずあの棒を操る男をやれ……」
星熊童子の言葉に頷いた虎熊童子だったが、言い忘れたように頭上を見上げた。
「星熊童子よ、お前こそ油断するなよ。頼光の太刀捌き並々ならぬものがあるぞ」
その言葉は星熊童子の耳に届いたのか、星熊童子の気配は既に彼方に消えていた。虎熊童子はふっと笑うと改めて目の前を見た。そこには巨大な鉄棒をぶんぶんと振り回し、鬼たちを蹴散らす季武の姿があった。虎熊童子はゆっくりとそちらの方に向かっていった。
季武は巨大な鉄棒を振り回して、周囲の鬼どもを蹴散らしていた。既に百以上の鬼がただの肉片と化していた。もはや季武に真っ向から立ち向かおうなどという勇ましいものはなく、鬼たちはみな及び腰でただ遠巻きに取り囲んでいるだけだったが、鉄棒を伸縮自在に操る季武の棒術の前には為す術もなく、一人また一人と倒れていき、いつしか季武の周りには鬼の姿は一匹も見えなくなってしまった。
一息ついた季武があたりを見渡すと、少し離れたところで金時が鬼どもをひっつかんでは放り投げている様が見えたが、金時のあまりの傍若無人ぶりに苦笑いを浮かべた。また彼方では頼光と五平が、まるで二人で舞を踊っているかの如くに、鬼たちを切り刻んでいるのが見えた。金時の方も頼光の方も、もはや鬼の数は数えるほどで、どうやらこの場における戦いは、頼光側の勝利で決したかと見えた。
季武はとりあえず頼光の助太刀をせんと、そちらの方に歩き出したが突如背後に猛烈な殺気が迫ってくるのを感じ慌てて振り向くと、林の中から一人の巨大な鬼がゆっくりと近づいてくるのが見えた。その鬼は季武よりもさらに大きく、遠目にも八尺はゆうに超える巨大な鬼であった。虎の陣羽織を着て、何の獲物も持たず傲然と歩みきたる鬼、それこそ虎熊童子であった。虎熊童子は季武と十歩のところまで来るとそこで止まり、季武を睨みつけた。
「人の分際ながら、見事な棒術。我が配下どももお主の前では、まるで赤子のようであったわ。我は大江山四天王の一人、虎熊童子。せっかくのこと故、お主の名を聞いておこうか」
季武はそれを聞くとにやりと笑った。自分より二回りも大きい、山のような鬼を前にしているというのに、季武には恐れる風は少しもなかった。
「俺の名は卜部季武。ようやっと思う存分力比べができるかと喜んでおったのに、鬼どもの張り合いの無さにいささか拍子抜けしておったところだ。大江山四天王の一人、虎熊童子とな。面白い、この俺と釣り合うほどのものかどうか、試してくれよう!」
季武はそう叫ぶと、手に持った鉄棒を振り回し始めた。触れただけで肉がちぎれ、骨が粉砕する鉄棒がもの凄い唸り声を上げて虎熊童子の方に近づいていった。五歩の距離まで近づいた時、季武は鉄棒を虎熊童子の頭目掛けて振り下ろした。その一撃は虎熊童子の頭を一瞬にして消し去るかと思われたが、季武の手にはずっしりと重い反動が帰ってきた。虎熊童子は微動だにすることなく、季武の鉄棒を片手で掴んでいた。
「こんなものが、我に通用すると思っておるのか」虎熊童子は季武を見下ろしながら傲然と言い、綱引きでも始めようとばかりに鉄棒を両手で握った。
だが季武はこうなることを予期していたかのように、「それはこちらとて同じ事。これはただの挨拶代わり、ここからが本番だ!」そう叫ぶやくるりと反転し、鉄棒を肩に乗せて虎熊童子ごと振り投げんとした。筋肉が隆起し、まるで瘤のように盛り上がった。血管が浮き出た季武の太い足が地面にずぶずぶとめり込んでいった。頭髪は逆立ち、眦は切れ、顔は真っ赤に染まった。そして、季武の雄叫びが轟いたと同時に、なんと百貫はあろうという虎熊童子を宙に投げ飛ばしてしまった。
凄まじい地響きが大江山に轟いた。あまりの衝撃に大地は震撼し、はるか十里四方にまで轟音が響いた。その振動は大江山山頂の洞窟の前に立つ茨木童子にも伝わっていた。そしてその衝撃が次第に収まると、今度は一筋の笛の音が聞こえてきた。茨木童子はその音を聞くと、にやりに笑った。人と鬼との本当の戦いが始まったことを知った。
