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【平安を舞台にした和風ファンタジー】『異形の国』 (四十一)

 頼光の背後にぴたりとつく五平は、既に十を超える鬼を倒していた。寄る年波で昔のようには動けないはずなのになぜか敵がよく見え、体が動いた。それは背中にいる頼光のおかげでもあった。頼光の動きはまるで流水のように一つ所に留まることはなかった。時には疾く、時にはなめらかに縦横無尽に動き回ったが、常に敵の攻撃が集中しないような位置を取っていた。それは藤原秀郷と数多の戦を経た歴戦の勇者である五平から見ても、惚れ惚れするほど見事なものであった。 

――殿、私は幸せものです。殿と頼光様という天下に並びなきお二人の傍でともに戦うことができました―― 

 五平の心の声に応じるように、どこからか声が聞こえてきた。 

――五平よ、よくやってくれたの。お前は、わしが託した仕事を見事に果たしてくれた。もう十分に働いた。どうだ、後は頼光殿に任せてゆっくり見物せんか。一緒に酒でも飲みながらよ―― 

――それもようございますな。私もそろそろ手足が重うなってきました。気は張っても、やはり年ですなあ。このままではいずれ頼光様たちの足手まといになってしまうことでしょう。花は散り時、わたしの命も散り時でございますなあ―― 

 ――お前は立派な花を咲かせた、感謝しておる。ほんに感謝しておる……だが五平よ、そんなことを言っておきながら、最後にもう一つだけお前に頼みがあるのじゃ。お前にしかできぬ頼みなのじゃ。実は頼光殿の首を狙おうておる鬼が一匹、すぐそこの樹上に隠れておってな。そやつが今にも飛び掛からんとしているのだ。五平よ、なんとかそれだけは防いでやって欲しいのじゃ、お前の命と引き換えに、頼光殿の命を救ってほしいのじゃ―― 

 ――何を仰るかと思えばそんなことでしたか。ご案じなされますな、頼光様の背後はこの五平が命を懸けてお守りいたすと約束しております。そう誓ったからにはこの五平、いかなる鬼であろうと、頼光様のお体に指一本触れさせるものではございません―― 
 
 頼光は背後に五平を従え、鬼たちを相手に所狭しと動き回っていた。何百という数の鬼を相手にしているにも関わらず、これほど戦いやすいと思ったことはかつてなかった。背後を全く気にすることなく、目の前の敵に集中できた。背後にいる五平は頼光の呼吸を完全に知り尽くしているように、ぴたりと後ろについて頼光を守ってくれていた。目の前に赤い狩衣を着た鬼が刀を振り上げて迫ってきた。頼光はその刀をひらりとかわすと、膝丸を一閃した。

 鬼の体は痙攣したようにひくひくと動いていたが、一瞬の後、ずり落ちるように首が落ちた。頼光は周囲を見渡したが、いつの間にか頼光たちの周りには鬼は一匹も残ってはいなかった。少し離れたところでは金時が威勢のいい声をあげて、鬼を追い回していた。それを見た頼光の顔にかすかに笑みが浮かんだ。ほんのわずかな間であったが頼光は意識を緩めた。 

 その時だった。頼光の背後に凄まじい殺気が走った。あまりにとっさのことで防御の構えが遅れた。慌てて頼光が後ろを振り向いた時、五平の肩越しに鬼と目が合った。その眼は青く光り、無念の想いで頼光を睨んでいた。だが鬼は即座にその場から後ろに飛んで、頼光と距離を取った。頼光の目はその鬼の動きを見逃すことなく捉えていたが、視界にあった五平の肩が、ふっと消えていった。 

 崩れ落ちた五平の首筋から心臓にかけて、爪でえぐり取られたような深い傷があった。そこから血が湯水のように溢れていた。致命の一撃であった。 

 五平は凍り付いたように自分を見つめる頼光を見ると、小さく笑った。 

「……頼光様、この五平、ようやく己の役目を全うすることができました……貴方様はこの老体に死に場所を与えてくださいました、ほんとうにありがとうございました……殿……おお、そこにおられましたか……さあ、酒でも飲みながらゆっくりと頼光様の……」

 それが五平の最後の言葉であった。 

 

「……五平よ、お前は自分の役目をしっかりと果たした。己が命をかけてこの身を守ってくれた……五平よ、これよりは天から俺たちを見守っていてくれ。そなたや秀郷殿の思い、この頼光、生きている限り、決して忘れぬ……ありがとう」

 頼光はまるで生者に語り掛けるように言った。そして、五平もまるでその言葉が届いているかのように、なんともうれしそうに微笑んでいた。 
 
「……そこな男、この星熊童子の必殺の一撃を身を挺して防ぎおった。頼光よ、良い部下をもって、命拾いしたな」星熊童子は少し離れたところに立って、五平を見つめる頼光に言い放った。頼光は顔を上げ星熊童子を見た。 

「――鬼よ、お前たちもお前たちなりに戦う理由があるのだろう。それが何かは知らん。だがそれは俺とて同じだ。俺にも戦う理由がある。俺が戦う理由、それは俺の中でたくさんの心が渦巻いているからだ。必死に生きんとする人の心、愛するものを想う心、そしてこの国を守るために命を賭して死んでいったものたちの熱き心、そういう人々の心が、たくさんの想いが俺の中に渦巻いて俺の体を突き動かすからだ。なればこそ俺はお前たちに負けるわけにはいかん、絶対に勝たねばならん、さもなくば……さもなくば、どの面下げて五平に見えようか!」 

 頼光は絶叫していた。そしてその叫びとともに大地を蹴った。稲妻の如く、星熊童子に走り迫った。星熊童子は頼光のあまりの勢いに思わず一歩引いたが、その時既に目の前には膝丸を振り上げる頼光が立ちはだかっていた。電光石火の如き頼光の攻撃を前にして、かわし切れじと思ったか、星熊童子はなんと素手で膝丸を受け止めようとした。 
切った!  頼光はそう思った。だが信じがたいことに、星熊童子は素手で刃を受けとめていた。そしてその手はまるで鋼でできているかのように、頼光が力を込めても刃はぎりぎりと鳴るばかりで傷一つつけることはできなかった。頼光は驚きの眼で星熊童子の手を見つめていたが、その手は月明かりの中で黒瑪瑙のように光っていた。 

 この手は切れぬと見た頼光は別なところに打ち下ろさんと、再度膝丸を振り上げた。だがその呼吸を読まれていたか、星熊童子は素早く後ろに飛んで、頼光の間合いから離れた。星熊童子は少し離れたところにすくと立つと、青く燃える眼を頼光に向けた。 

「頼光よ、今の一撃は見事であった。だがこの手は刀では切れぬよ。頼光、お前の太刀筋はもはや見切った。今度は私が攻める番だ」 

 その言葉が耳に届くや否や、今度は星熊童子が矢のように頼光目掛けて襲ってきた。その動きを見極めていた頼光は、今度は星熊童子の頭目掛けて膝丸を振り下ろした。だが星熊童子はその太刀を再び片手で防ぎ、もう一方の手で頼光の顔を薙ぎ払った。咄嗟に後ろに引いたが頬に痛みが走った。すかさず態勢を整えた頼光であったが、その左頬には三本の傷跡があり、たらりと血が滴っていた。 

 星熊童子はにやりと笑うと、真っ黒な指先を口元にあててぺろりとなめた。その指先はまるで鷹の爪のごとく鋭く尖り、うっすらと赤く染まっていた。頼光はごくりと息を飲み、刀を構えなおしたが、まるでそれが合図であったかのように星熊童子が再び攻め込んできた。次から次へと両の腕からなる攻撃を繰り出し、それはまるで熊が人を薙ぎ払うようにも見えたが、その速さたるや尋常のものではなく、そしてその指先はあらゆるものを抉り取る恐るべき武器であった。 

 敵の攻撃を紙一重の間で交わすのが頼光の得意とする見切りの技であった。水が流れるように敵の攻撃を受け流し、付かず離れず常に最適な間合いを取り、一瞬の隙をついて一撃で仕留める。そうして数十の鬼を斬り倒してきた。だがその紙一重の間がいつもよりもほんのわずかではあるが広がっていた。体験したことがない星熊童子の攻撃への用心が余計な間を生み、頼光の流れるような動きを滞らせていた。愛刀膝丸も受け流すことのみに使わざるを得なくなっていた。そんな焦りが頼光からいつもの冷静な判断力を奪っていた。間断なく攻めかかる星熊童子の攻撃をどうにかいなしていた頼光だったが、いつの間にか死んだ兵士たちの鎧が屯するところに動いてしまっていた。足もとにしゃれこうべが転がっていた。白骨と化した骨が覗く鎧が地面に転がっていた。そうしたものが頼光の足の運びを邪魔した。それはまるで亡者どもが頼光の足を絡めとらんとしているようであった。 

 頼光が一歩後ろに引いた。その足が鎧から飛び出た骨に引っかかった。一瞬ではあったが足元が乱れ、体勢が崩れた。星熊童子はそれを見逃さなかった。星熊童子の両手が十字を切るように頼光の胸を払った。 

 攻撃を食らった衝撃で地面に倒れた頼光だったが、すぐに体を起こして立ち上がった。どの程度傷を負っているのか分からなかったが、星熊童子の攻撃に備えなければ命がないと体が反射的に動いていた。だがいったいどうしたというのか、星熊童子は唖然とした表情でその場に立ちすくんで頼光を眺めていた。いやその視線は頼光というより、頼光の着ている鎧に向けられていた。はっとした頼光は攻撃を食らった胸当てのところに手をやった。確かに星熊童子の鋭い爪の一撃を食らったはずだった。あの一撃を食らえば、薄い鋼を張っただけの鎧などなんの防御にもならず、そのまま肉を抉りとられることは必定であった。だがその鎧にはかすり傷一つなく、体の方もなんの傷も受けていなかった。 

「……貴様、その鎧は……」星熊童子が驚愕したように言った。 

 頼光が身に着けていた鎧、それは門出の祝いにと秀郷から譲られた鎧だった。どんなに鋭い刀であっても傷一つ負わせることはできぬと言い伝えられている伝説の鎧。将門の乱において秀郷の身を守ってきた鎧、その鎧が今頼光の身を守っていた。 
 
 遠くの方から自分を呼ぶ聞きなれた声が聞こえてきた。頼光がその方を見ると、金時がものすごい勢いで走ってくるのが見えた。星熊童子もその声に気づいた様子で、青い瞳に焦りの色が浮かんだが、自らの攻撃を全く受けつけぬ鎧を着こみ、完全に体勢を整えた頼光に攻めかかる隙はもはや無かった。 

「殿様、無事か!」 

 金時がはあはあ言いながら走ってくると、星熊童子はやむをえないとばかりに二人からさらに距離を取った。 

「ああ大丈夫だ。お前の方こそ、無事であったか」頼光は星熊童子から目を離すことなく答えた。 

「何、大したことはねえよ。ちょっと時間が掛かっちまったが、一人残らず倒してやったぜ――季武の方は、なんだかばかでかい鬼とやり合ってるが、まあ、あいつなら大丈夫だろう。殿様の方もこの野郎で終わりみてえだな――ところで、五平のじっちゃんは無事か、姿が見えねえようだが」 

 金時は頼光のもとに辿り着くと無邪気な笑みを浮かべてそう言ったが、その場にいるはずの五平がいないことに気づいた。頼光はその言葉を聞くと押し黙った。金時はその様子を見て不吉な思いに駆られたのか、急に周りを見渡した。そして少し離れたところに首から腹まで胴巻きごと切り刻まれ、静かに横たわっている五平の姿を見つけた。 

「……あれは、五平のじっちゃんか」金時が呟くように言った。 

「……ああ……五平は身を呈して、この鬼の攻撃から俺の身を守ってくれた」頼光が忍ぶように呟いた。 

「……じっちゃん、あんた殿さまを守って死んだのか……そんな年なんだから無理することなんてねえのによ……でも、やっぱりそっか……あんたはそうしたかったんだな……」金時は独り言のようにそう言うと、少し離れたところでこちらを冷ややかに見つめている星熊童子を睨みつけた。 

「殿様、この場は俺に任せてもらうぜ。なんせ前々からの約束だったからな。殿様はこの隙に先へ進んでくれ」 

「待て金時、この鬼の攻撃は俺には通用せん。秀郷殿からいただいたこの鎧は鬼の攻撃をものともせん。二人で掛かればこやつを倒すことができる」 

「だったらなおのこと、殿様は前に進んでもらわなきゃならねえ。殿様の役目はこの鬼を倒すことじゃねえ、この山のてっぺんに巣くってる鬼の頭を倒すことだ。それが俺たちの目的のはずだろ、そう言ってたじゃねえか。貞光も綱どんもそのために敵の手を掻い潜り、道なき道をひたすら登っているはずだぜ。だったら殿様だって、こんなところで油を売ってる暇なんてねえはずだ」 

「ならば、お前が先に進め。俺はそう言ったはずだ。五人のうちだれか一人でも生き残って敵の首領の首を取れと!」 

 頼光が声を荒げるように叫ぶと、金時がなんだか気恥ずかし気に微笑んだ。 

「殿様、おいらはどうも殿様のことが好きになっちまったらしい。だから殿様をほっぽって一人だけ前に進めなんて、そんな命令は聞けっこねえよ。そりゃ、貞光も季武も綱どんだって同じだと思うぜ。五平のじっちゃん、あんただっておんなじだろう。だから殿様の身代わりになって死んでくれたんだろ」 

「……金時」 

「俺は日本一の男になるって夢がある。でももう一つやりたいことができた。そりゃ、殿様と一緒にこの国を変えるってことだ。だから殿様には生きてもらわなきゃならねえ。殿様にこそ前に進んでもらわなきゃならねえ。なに安心してくれ。こんな野郎に負ける俺じゃねえ、必ず勝って殿様の後を追う。でもこの場は俺に任せて先に進んでくれ。そうしてくれねえと俺は五平のじっちゃんに怒られちまうよ」金時はそう言ってにこりと笑った。 

 頼光はじっと金時の顔を見た。いい顔だった。男の顔だった、本当の男の顔になっていた。その顔を見た頼光は決心した。今は先に進むことだ。自分に思いを託すものたちの心をしっかりと受け止めることだ。その思いを胸に刻み付け、自分に与えられた役目を果たすことだ。強い想いを抱いた頼光が大声で吠えた。 

「坂田金時! この場はお前に任せる。そしてこの鬼を討ち果たして、必ず大江山の山頂に登ってこい! 命に違えることは絶対に許さん、分かったか!」 

「御大将の命、この坂田金時、確かに承った!」 

 金時が威勢よく答えるのを聞いた頼光はにやりと笑うと星熊童子に一瞥をくれて山道の方に駆け出していった。 

「待て、頼光!」星熊童子は走り去る頼光を追いかけようとしたが、金時がその前に立ちはだかった。 

「おい、てめえの相手はこの俺だ。間違えるんじゃねえよ」 

 星熊童子は間に割って入った金時を見ると冷ややかに言った。 

「あの鎧を着た頼光ならいざ知らず、お前ごときがこの私に立ち向かえると思っているのか」 

「てめえは確か、不意打ちを仕掛けて、荒太郎の背中に傷を負わせた野郎だな。どうせ今回もこそこそと盗人みてえに隙を伺って殿様の首を狙ったんだろうが。おいこの卑怯者、てめえには正々堂々正面からやり合う勇気もねえのかよ。四天王だかなんだか知らねえが、肝っ玉の小さな野郎だな。てめえなんぞ殿様が相手する値打ちもねえから、しょうがなく俺が手合わせしてやるっていってんだよ」 

「……人間はいつもそうだ。最初ばかり威勢がいいが、分が悪いと知ると恥も知らず、すぐに泣き喚いて許しを請う。お前らに卑怯などと言われるとは片腹痛いわ。私たちがこの都を滅ぼそうというのは、いわばごみ掃除だ。貴様らのような腐臭を放つごみを綺麗に片づけてやろうと言うのだ」 

「おいてめえ、一つだけいっとくぞ。俺たちはごみなんかじゃねえ、俺たちはみんな生きてんだよ、みんな夢もって生きてんだよ! それを馬鹿にするやつは許さねえ、覚悟しろよ、五平のじっちゃんの分まで俺がてめえをぶちのめしてやる!」そう叫ぶや金時は星熊童子に殴り掛かっていった。 

 



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