面白い小説を書きたいだけなんだ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

【平安を舞台にした和風ファンタジー】『異形の国』 (四十八)

 頼光の館では、吉平による修法が続いていた。修法が始まって既に五時間が経過していたが、結界の中央に身を置いた吉平は疲労の色も見せず、ただひたすら念じ続けていた。 

 その後ろには桔梗の姿もあった。吉平が何を唱えているのか桔梗にはちっとも分からなかったが、桔梗も一心に手を合わせて祈っていた。桔梗は一人娘で、母は早くに亡くなってしまったため、ずっと居酒屋を営む父と二人で暮らしてきた。商売柄、酔っ払いや荒れくれものたちのあしらい方はそれなりに学んでいて、自分ではいっぱしの大人であると思っていたし、どこか子供っぽい幼さを残した金時と暮らしているときは、まるで姉のような気分で金時に接していた。しかし頼光の家来として取り立てられてからというもの、金時はどんどん成長し、いつの間にか自分の方が金時の後を追いかけているような焦りにも似た気持ちに駆られるようになっていた。そんなのは嫌だった。金時に置いていかれたくなかった。だから、より一層大人の真似をして威勢を張った。姉御気取りで金時や貞光たちに説教したりした。

 ところが店の前で金時と熊童子の戦いを見たとき、金時の姿に素直に感動した。金時に守ってやると言われたとき、なんとも言えない気持ちが心に溜まっていくのを感じた。桔梗の心を囲っていた幼い殻が壊れたのだった。金時が成長しているように、桔梗もまた成長していたのだった。童が逞しい勇士になっていくように、少女もまた大人の女性へと成長していた。そして、桔梗の中にかつてなかった思いが生まれ始めていた。それは人を思う心だった。人を労わる心だった。それを愛と呼ぶのはまだ早いのかもしれない。だがその思いの根源には確かに愛があった。大事な人を想う心、苦難をともに背負わんとする心、己を捨て他者を救わんとする心、それは全て愛から生まれる心だった。一切の衆生を救う仏の大慈悲に通じる心であった。

 金時や貞光たちが鬼と戦っている。人々のために、今この時も命を懸けて戦っている。そう知った今、じっとなどしていられなかった。自分には金時たちのためにできるようなことは何もない。でも身を案じ、無事を願うことはできる。無事に帰ってきて欲しい。また元気な姿で会いに来て欲しい。それだけだった。ただそれだけを願って、桔梗は祈っていた。 
 
 吉平は桔梗の想いを背中でしっかりと感じていた。一人の女のいじらしい心。その想いを届けん。ただそれだけを念じて祈ろうと思っていた。だが祈っているうちに、吉平の中にも今まで感じたことがなかったような熱い思いが込み上げ来るのだった。 

「――所詮、陰陽の術など目くらましよ」 

 父、晴明はよく吉平にそう言って寂しそうに笑ったものだった。吉平自身、そんなものだと思っていた。陰陽師のくせにこんなもので世の中が変わるはずがないと思っていた。その男が今、全身全霊をかけて祈っていた。想いを届けたい。桔梗の想い、自分の想い、父晴明の想い、この世の数限りない人々の想い。それを伝えたいと思った――いや必ず、伝えねばならぬ。それこそが陰陽師としてこの世に生を受けた自分の生きる意味であり、証であった。必死な面持ちで念じ続ける吉平もまた大きく成長していた。 

 



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