貞光の胸に金熊童子の戟が突っ立っていた。一度見たものは決して忘れぬという鬼の目を持つ金熊童子は、貞光の攻撃を見切り、ついにその胸に戟を突き刺したのだった。
貞光の動きが止まった。それをみた金熊童子がにやりと笑った。だが不思議なことに貞光の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。その笑みの意味を理解しようと思った瞬間、何かがきらりと光るのが見え手首に痛みが走った。慌てて引っ込めたが、戟を握っていたはずの手は一刀のもとに両断されていた。
貞光は金熊童子の攻撃の速度がこれ以上増して、かわし切れぬ致命の一撃を喰らう前にわざと攻撃を受けたのだった。そしてその隙をついて、下段に構えていた刀を振り上げ、金熊童子の手首を切り落としたのであった。
「……貴様……小癪な真似を……」金熊童子が斬られた手首を押さえながら、よろよろと後ろに下がった。
「こうでもしねえと、てめえの動きを止められなかったんでな」貞光はそう言うと、胸に突き刺さった戟を抜いた。かなり深く刺さってしまったようで、抜いた瞬間、突き抜けるような痛みが脳天を貫いた。しかも、呼吸するたびにきりきりと痛みが走った。どうやら肺を痛めたようであった。だが貞光はにやりと笑った。
「さあ、これでてめえの武器は奪ったぜ。その鬼の目でこれからどうする!」
そう言うや貞光が剣を振るった。金熊童子は必死にかわした。鬼の目の力により貞光が振るう剣の軌跡は分かったが、手首を切られた動揺のせいか、思うように体が動かなかった。貞光の攻撃を防ぐべき愛笛もなかった。貞光が上段から切り掛かってきた。見切ったと思ったが、肩をうっすらと斬られていた。今度は下段から斬り上げられた。かわしたと思ったが腿に一寸ばかりの傷がついた。まるでいたぶられているようであっ た。どうにかしようと思っても、どうにもならない。その絶望的な思いが金熊童子の中にあった苦い記憶を蘇らせた。古い古い記憶だった。まだ鬼となる前の記憶だった。
「まだ覚えられえのか、このめしいが! こちとら、お情けでてめえみてえな役立たずを生かしてやってんだぞ!」罵声とともに金吉は思いっきり頭を引っ叩かれた。
金吉は目の見えぬめしいであった。親に捨てられ、行くところもなく、寒さに震えていたところを通りすがりの一座に拾われたのであった。この時代、めしいや唖やいざりなど体に障害をもつものたちは大道芸を見せる傀儡と呼ばれる座の中で、なんとか芸を覚えて細々と生きるほか道はなかった。金吉も拾われてすぐ笛を覚えるように命令された。もちろん金吉は笛など吹いたこともなかったので、どこを押さえて、どこを吹けばいいのか、一から手探りで学ぶしかなかった。だがいくら頑張って吹いてもその笛は調子の外れた音しか出ず、その音が響くたびに座の頭は金吉を容赦なくひっぱたくのだった。
「すいません、すいません、覚えます、必ず覚えますから、どうぞ許してください」
張り倒された金吉は何度も何度も頭を地べたにつけて、ただひたすら謝った。そして手探りで笛を探り当てあると再び笛を吹き始めたが、いくら金吉が一生懸命吹いてもやっぱりその笛からは耳障りな音しか出てこなかった。
「ばかやろう! そんなもんでどうやって、見世物になるってんだ!」頭は怒り狂って、今度は金吉の頭を蹴り上げた。
「何の役にも立たねえんなら、死んでしまえ! このくずが!」
頭は鬼のような形相で、金吉の小さな体を何度も何度も踏みつけた。
「すいません、すいません、許してください、堪忍してください」
金吉は必死になって叫んだが、頭はやめようとしなかった。まるで金吉を痛めつけることで日頃の鬱憤を晴らしてでもいるかのように、なんとも残忍な顔で目を血走らせて、蹴り続けるのだった。だが金吉には抗う術がなかった。目も見えず、痩せ細った体でいったい何ができよう。わずかなりとも口答えなどすれば、頭の不興を買って、あっさりと路傍に捨てられるか、そのまま蹴り殺されるか、そのどちらかだった。無慈悲な暴力に耐え続け、ひたすら許しを請う。金吉ができることはただそれだけだった。
「明日の朝までに覚えろ! それまでに覚えられねえなら、犬の餌にしてやるからな!」
蹴り疲れたと見えて、頭はそう言い残すとようやくその場から去っていった。
倒れ伏した金吉は死んだように動かなかった。顔は泥だらけで、口元からは血が垂れていた。だがしばらくすると、再び、ぴくぴくと動き始めた。見えぬ眼であたりを探り、皮と骨ばかりの手を伸ばし、なんとか笛を探り当ててまた吹き始めた。調子はずれの音が寒空に響いた。鳥たちはその音が気に入らないとばかりに、鳴き声をあげて飛び去って行った。
この笛はもともと調子が狂っていたのだった。だから、どんなに正しく吹いても決して美しい音は鳴らないのであった。めしいだったが耳だけは良かった金吉は、すでにそのことが分かっていた。だがそれをあの頭に言ったところでどうなろう。笛のせいにするのかと鬼のような形相で怒り出すに決まっている。
笛を吹く金吉の目からは涙が溢れていた。目が見えなくても涙は溢れるのだった。どうしてこんなに辛いのだろう。どうして生まれてきたのだろう。自分はこの笛と同じだ。何の役にも立たぬ厄介者、誰からも好かれず、誰からも相手にされず。それでもこの世に送り出されてしまった。いったいどうしたらいいというのか。どうやって生きたらいいというのか。金吉にはなんの希望もなかった。ただ絶望だけが金吉の心を覆っていた。
誰やら人の気配がした。金吉は思わず、体を強張らせた。また誰かに殴られるのかと思った。だがその気配は金吉の前に立つと妙に甲高い声で話しかけてきた。
「金吉よ、お前は目が見えないから大層不自由だろう。どうだ目が欲しくないか」
「……そのようなことをおっしゃる、あなたさまは、いったいどなたでしょう」金吉は用心しながらおずおずと尋ねた。
「そなたにはどう見える」
「……わたしはめしいでございますので、なにも見えないのです」金吉が寂しそうにそう言うと、そのものはふふふと笑った。
「いや、そなたはそこらにいる人間どもよりよっぽど世の中が見えている。この世の理をよおく知っている。だから俺はそなたに贈り物をやろうと思うのだ。鬼の目をやろうというのだ。この鬼の目があれば、そなたはもっとものが見えるようになる。人間どもがひれ伏すぐらいの力を手にすることができる。どうだ、この目をつけてみぬか。そうすれば鬼になれる。鬼として生きられる。そうして人の世など滅ぼしてしまえ。こんな世にはなんの未練もなかろう。それはお前がよく分かっているはずだ」
金吉は相手が語る恐ろしい話にごくりと息を飲んだ。だがなぜだか恐怖は感じなかった。その言葉に惹かれる自分がいるのであった。人として生きたところで、この先何の希望もない。だったら鬼として生きた方がどれほどいいだろう――いや人も所詮、鬼ではないか。あの頭こそ鬼ではないか。そんなものたちがのうのうと暮らすこの世はすでに鬼の世ではないか。ならば自分も鬼となって生きて何が悪い。強くなって、今まで自分を虐げてきたものたちを一人残らず喰らって何が悪い。この世を鬼の世に染め上げて何が悪い。金吉の顔に初めて笑いのようなものが浮かんだ。
「どうやら、決心がついたようだな。ならばこの鬼の目をつけてやろう。だがその前に、お前の見えぬ目玉を取り出さねばならん」
相手がそう言った瞬間、金吉の目玉が抉り取られた。声を上げる暇もなかった。そして血がだらだらと溢れる穴の開いた目に別なものが押し込まれた。まるで真っ赤に焼けただれた鉄の玉を入れられたようだった。目の周りの肉がじゅうじゅうと音を立てて溶けていった。皮膚がめくれ、肉が溶けて、頭が燃えるように熱かった。金吉は声をあげることすらできなかった。目を押さえてそこら中を転げまわった。そのうちに金吉の皮膚がべろべろとむけ始めた。むけた皮を破って新しい肌が現れた。その体は今までのようなみすぼらしい体ではなかった。相変わらず体は小さかったが、その身には強靭な筋肉が張り付いていた。
すると、ふふふという笑い声と共に声が聞こえてきた。
「金吉よ、これからは金熊童子と名乗るがよい。そして大江山にいけ。そこにはお前のようなものたちを統べる首領がおられる。そこでその方とともに人間を喰らい、この世を悉く滅し尽くすのだ。その時こそ我ら不具のものたちの積もり積もった怨念がようやく晴れるときなのだ」そのものはそういうと甲高い笑い声とともに、どこかに去っていった。
静けさが戻ってきた。それとともに瞼の裏に今まで感じたことがない妙な暖かさを感じた。金吉はゆっくりと目を開けた。すると今まで暗闇しか映さなかった眼に別なものが映っていた。月が浮かんでいた。なんとも大きな丸い月だった。その月の光が辺りを照らしていた。金吉は興味深そうに周囲を見た。木があった。岩があった。少し離れたところにはあばら小屋があって、そこからは一座のものたちの打ち興じる声が聞こえてきた。その方を見ていると地面にきらりと光るものが見えた。それはあの笛であった。金吉は笛を手に取って息を吹き込んだ。すると今まで決していい音を奏でなかったその笛から妙なる音色が聞こえてきた。その音色を聴いたのか、あばら小屋で騒いでいたものたちが、何事が起ったのかと外に顔を出してきた。そしてその美しい音色を奏でているのが、あの金吉だと分かると、びっくりしたような顔つきで立ち尽くした。
金吉はそのものたちを見ると凄惨な笑みを浮かべた。その眼は緑色に怪しく光っていた。 それはめしいの金吉の目ではなかった。金熊童子と名乗る鬼の目であった。
